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毛玉と木の芽とハンカチ[短編]

恵都と理玖とアヲ。彼女と彼と彼女で彼の、3人でした結婚。
彼らのありがちな日々の物語を書いた『5月の窓 11月の椅子』の続編。
今度は小さな旅のお話です。

あるいは4月について

 桜は満開なのに季節が回れ右!をして突然寒くなった。
積み上がった洗濯待ちの洋服の中から、アヲがひっぱり出したのは毛玉の浮いたセーターだ。
あっちにもこっちにも丸い毛玉がぷつぷつ浮いているが、暖かさにはかえられない。
シーズンの始めは毛玉もまめに取っていたが、3月を過ぎ出番が少なくなるにつれて手入れもおろそかになってしまう。
それでもクリーニングに出さないのは、突如やってくる思いがけない寒い日に備えてのこと。
毎年この“最後の一回”が着納めとなる。

 リビングに降りたアヲは毛玉だらけのセーターで電気ストーブにかじりついた。
指先が温まるのを待つあいだ気付かなかった場所の埃がよく見えた。
部屋に差し込む日差しの角度が知らぬ間に変わって、理玖が置いた観葉植物の表情もどことなく違って見える。
ウンベラータとかドラセナとかチランジアとか、どこか遠くで生まれた植物。葉っぱの影が面白いとアヲは思う。

「時期的にお花見ツアーが多いのねー。桜前線を追って東北まで行ってみようか? 」
 
三人掛けのグレーのソファにひとり身をあずけた恵都がスマホから顔をあげた。

「いいね、温泉宿で美味しい地酒」

と答えたのはコーヒーを淹れていた理玖。
旅行の計画絶賛進行中なのだ。恵都の指と視線はまた日本全国を駆け巡る。

「あ、沖縄もう海開きしてるわ。スキューバしたいなぁ」

「いきなり南北に大きく振ったね。はい、アヲの」

差し出されたコーヒーカップを受け取る。以前ずいぶん入れ込んでいた海外ロックバンドのロゴが入ったカップだ。

「ありがとうございますー」

受け取ったカップを両手で包み込む。

「寒いんだね」

「冷え性はつらいよ〜」

氷のようだった指に血のかよう感覚が戻ってくる。コーヒーの香りが鼻腔を満たすと体温が上がった気がした。

「恵都のはテーブル置いておくよ」

彼女のカップは美濃焼の土肌の小ぶりなカップ。砂糖とミルクが添えられるのはこの家では恵都だけだ。
理玖は自分専用のマグを幾つも持っているが、ファイヤーキングのカップの出番が多い。今回もそれ。

「うーん。でも、沖縄行くなら3日は短いなぁ」

と頭をひねる恵都。

「あったかいとこ行きたい」

「それは“今”だね」

骨っぽい肩を丸めてコーヒーを啜るアヲに恵都は笑いかける。

「そ」
 
3人が4月の下旬に予定を合わせて休みをとってから、何も決まらぬまま時間ばかり過ぎている。
旅行先の候補をあげておくね、と言ったきり忘れていたのは恵都だ。
宿どころか西も東も決まっていない。
なかなかまとまった休みが取りづらいのは理玖で、そもそも忙しすぎるのが恵都で、求職中で時間はあってもお金がないのがアヲだ。

そんな3人が1、2泊でも旅行に出るのはビッグイベントなのだ。
旅行は計画している時も含めて旅の醍醐味だと理玖は思っている。しかしこうも何も決まらないと立ち消えてしまいそうで多少不安になる。
せっかくの春旅。張り切っても張り切りすぎることはない。

「4月と言えばぁ……? 」

と理玖がふたりにたずねた。

「4月と言えばねぇ、タラの芽、筍、フキ、桜餅、シラウオ、サワラ、アサリもかな」

と食べ物を羅列する恵都。やはり旅に美味しいものは欠かせない。
しかしアヲは、

「4月と言えば毛玉」

と答える。
旅行に繋がる何かを聞かれているのは分かるが、食べ物にも観光地にもあまり関心がない。
ただ恵都と理玖と“一緒に旅行にいく”ことにアヲの価値がある。

「なんで毛玉? 」

アヲが毛玉の浮いたセーターを見せながら、

「これを着ると4月って感じ」

と経緯を説明すると話は大きくそれていく。

「それなら俺は、4月と言えばハンカチだなぁ」

と理玖が恵都の横に移動しながら言った。恵都は、

「涙を拭くため? 」

と首を傾げながら言う。

「涙? 」

「ほら入学式とかで」

「それは親御さんのすることだね。それに5人くらい子どもがいないと、“毎年4月は入学式”ってならないだろうね」

親御さん。と理玖は距離を取った言い方をした。
親になることは自分達にも無縁ではないとはいえ、踏み込むのはやすくない。
少しだけ恵都から表情が消える。
何度か三人で話したこともある。自分達には“選択”でも子どもには強制だと恵都は思っている。どこにも正解はないとしても。

「じゃあ? 」

と理玖は重ねて聞いた。
まなざしひとつで恵都のふわりとした憂慮をはらう理玖の手品。アヲはそれに気づく。

「ハンカチっていつ買う? 」

と反対に聞かれた恵都は少し考え、

「全部なくして困ったら、かな」

と笑ってごまかし、

「最近は誰かが買い足してくれるから買ってないけど」

とつけ足した。

「誰かでなくてアヲだよ」

と理玖が釘を刺す。え、そうなのと口早に呟き、

「サンキュー」

とアヲを見た。理玖の質問を反芻していたアヲは

「私は買い物欲はあるけどお金がない時かな。実用品は買ってもあまり罪悪感がないから」

と答えた。

「それが私のとこにきてるってわけか」

と恵都はいつの間にか増えているハンカチの出どころを知った。

「なるほどねー。俺、古いハンカチ捨て時がわからないからなんとなく4月に新しいのを1、2枚買って古いのから捨ててたの。
それが定着して4月はハンカチを買う月」

「それいいね。新年度に合わせて気分も新しくなるし」

「でしょ」

うぃーんと電気ストーブが不穏な音を出す。なだめるように温度を下げて、アヲはようやく温まりかけた手を、ソファと理玖の腿の間に差し入れた。

「こっちの方があったかいよ」

そう言って恵都が捲り上げた理玖のシャツの下に、アヲはすかさず手を入れた。

ひゃーと叫んだ理玖は、

「なんて事するんだ! 冷たい! 手が冷たいよ、ストーブにかざしてたでしょ」

と抗議する。
理玖の慌てぶりをいじめっ子の顔で見ている恵都と、

「冷え性舐めんな」

と凄むアヲ。

「こんなに冷たいとたいへんでしょ」

服の中から引っ張り出したアヲの右手を理玖は両手で包んだ。

「あったかい? 」

と聞かれ、

「背中の方が」

とアヲは答えるが頬が緩んでいる。

「ええーい」

と言って理玖の手を恵都の手が包んだ。
アヲの右手を餡にしてふたりの両手で不格好な饅頭になる。
誰もなにも言わず掌から熱が伝わるのを待った。

「………なんかの宗教儀式のようだ」

と理玖が言う。

「理玖、手に汗かいてる? 」

「え、かいてるかもしれない」

アヲに嫌そうな顔をされ理玖は手をどけようとするが、恵都が上から抑え込んだ。にやっとして、

「しっとりしていいんじゃない。そう、ハンドクリームがわりに」

と言うが、

「絶対かわりにはならない」

アヲは拒否する。

「で、どこへ行こか」

宗教儀式のポーズのまま3人は思案する。

「やっぱり、桜かな」

と恵都。

「長野の高遠の桜もいいかもね」

と理玖。近いからね、と付け加えて。

「桜なら駅裏の神社のが今見頃かも」

アヲの提案が思わぬ近場だったがふたりは興味をそそられた。

「ソメイヨシノはもう散り始めたけど、神社のはたぶん山桜かな、種類が違うから今頃咲いてると思う。古い木だし、雰囲気あると思うよ」

「行こっか」

と恵都はぱっと手を離した。

「いいよ。駅裏行くなら帰りに中華食べて帰らない? 」

ゆっくりと手を退けながら理玖は言えば、ふたりはいいねとうなづいた。

「あそこの小籠包美味しいんだよね」

「俺、かた焼きそばが食べたくなってきた」

「ふたりとも花より団子だね」

「えーアヲ、なんてこと言うの。その通りだわ」

「さ、支度しますか」

理玖が飲み終わったコーヒーカップを集めて食洗機に放り込む。
その間にアヲは埃を払おうとモップをとってくると、溜まった郵便物をまず退けた。
ひとつひとつ点検仕分けしていると、恵都がサッとモップをかけてサッとしまって、上着を取りに二階へ登っていった。とても軽やかに。

 心を病んで何かと考えこみがちなアヲ。恵都の自由奔放さはブレーキのないレーシングカーで公道を走っているようなもの。誰からも好かれるのに誰も好きになれなかった理玖の寄るべないような不調和。
持ち寄ったものはそれぞれで、人は生きているだけで埃を吐き出す生き物だ。
見て見ぬふりするのも、そっと払うのも、大掃除までとっておくのも、日々の中に溶け込んで。
きっとそれぞれのやり方で清めている。自分の人生をよい形で受け入れることはそんな小さなこと。

「行ってきまーす」

と誰もいない室内に恵都が声をかける。カチャンと鍵をかける音が玄関に吸いこまれた。

よい旅を。






ポリアモリーという形から生まれる日常を書いたお話。本編はこちらから。
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