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女子と学歴(5)~ショパン弾く マドンナ今は マチャミ似に~

インターネット上では、学歴、年収、学歴と年収の関連についての話題が本当に多いです。

誰もがアクセスできるからか、お悩み相談などの掲示板でも、学歴対決の話題は多く、週刊誌では、読者層にOBOGなどの関係者が多いせいもあるのか、大学対決の話題も多いと感じます。

・名門X大学とY大学はどっちが上!?

・X大学とY大学、両方受かったらどっちに行くと就職に有利?

・●●系の学部の中では、どの大学がすごいの?

・名門●●高校の出身者の進学先はどこ?

・●●大にはどこの高校出身者が多いの!?

・大企業の新卒就職者の出身大学、社長になっているのは…、出世しているのは…!?年収が高いのは…!?

・誰だ!誰だ!誰だ!(by電気グルーヴ)

一番すごいのは、果たして…どこの大学を出た人たちなのかぁぁぁぁ(ドラが鳴る)!?

ドラゴンボール、ドラゴンボールZを熱心に読んで育った身からしても、近年の大学対決、その後の社会での活躍のゴールは、終わりが見えないというか、もはやスカウター(と呼ばれるドラゴンボールにおいて戦闘能力をはかる機械)が壊れてしまったというか、一昔前では考えられないほど、多様化しています。その割には、昔からの●●大がすごい!みたいな価値観は、それはそれで根強く残っている感じもまだまだあり。果たしてどの程度学歴に価値があるのかが、世代や地域、勤務している環境によってかなり異なるのです。

やはり幸せは最後は「自分の心が決める」というか、「みんな違ってみんないい」ような気もするし、相田みつをイズムというか、金子みすゞイズムというか、異様にたくさんコンビニに並ぶ、新しいスイーツのように、ふわっとしたものになっています。

むしろ、ライターなど、企業などには所属せず、個人で何かをやる上では、卒業した中学、高校、大学や所属していた元の企業のネットワークは重要だったりもするようです(そういえば就職活動を見越して運動系のサークルを選ぶ人や、映画サークルなど集団で何かを作ったと言うためだけに映画サークルを選んでいる人もいたと聞いて衝撃を受けた…あっぱれな社会適応力の高さよ!映画が好きじゃないのに、映画サークルに入るなんてすごい!ゴイス!←皮肉!)その一方で、学校の活動も、受験も、頑張ったものの、何を目指せばよいのかよくわからず、自己実現の夢ばかりあおられて「こんなはずじゃなかった」と鬱屈してしまう可能性も今や、大いに、あるような気がします。

学歴なんて全く関係ない職業、の筆頭に上がりそうなのはyoutuberでしょう。youtuberとまではいかなくとも、youtubeを生かして収益を得るのは、なんとなく誰にも平等にチャンスが広がっているかのようで、思わず、ちょっとやってみたいと、不覚にもあこがれてしまうところも、なんとなく分かる気もします。

最近はyoutubeの内容が多様になりすぎて、非正規雇用の妙齢の女性の方が自分の給与明細をさらして、古めかしいキッチンで皿を洗う様子をずっと撮っているような動画などもあり、これはこれで再生回数に応じて収入が入るのだろうかと思うと、何か胸がざわつきます。

ななめ読みしたネットニュースによれば、HIKAKINさんは、毎日何時間も撮影と編集に励んでいて、実は会社員と同じくらい、動画のために働いているそうですが、恐らく彼の収益は、自分のような、しがないサラリーマンの生涯賃金を、下手すると数か月で軽く越えてしまうでしょう(よく知らんけど)。

もはや、地元の進学校出身者が、県の外に出れば誰も知らない、その高校名だけで凄く見えていたあの頃が懐かしいというか、クラスで足が速い人がその足の速さだけで凄かったなんて…ああ、懐かしい…。

中学校のクラスの、女子バスケ部所属のマドンナが弾く、ショパンの名曲「別れの曲」の弾きぶりが、何のコンテストも関係ないのに、あんなに素敵なものに聞こえていたなんて…。

そのマドンナが、地元の大学に入った後に、久本雅美(通称:マチャミ)にそっくりになっていて、むしろWAHAHAと笑う男勝りのキャラ、みたいになっていたのだが「自分は中学時代、男の子にすごくモテた、自分を知らない人はいないほどの存在だった」というようなことを言い切っていたと聞いて、衝撃を受けました。淡い記憶の中でピアノをひいていた、そんなマドンナが、自らを「モテており自分を知らない人はいなかった」と認識していた上に(まあ、そりゃあ認識するだろうけども)、久本雅美(通称:マチャミ)にそっくりになっていたことを聞いた時のショック(言われてみればマチャミも整った顔立ちをされている)、また「久本雅美(通称:マチャミ)にそっくりなのに、彼女は自信があり、大学では常に彼氏が途切れず、いつもみんなが羨むかっこいい人とばかり付き合うのがとても不思議」と同じ大学に進学した高校時代の友人に地元の駅の駅直結のコーヒー屋さんで「つくづく不思議」と評されていたことなどを、複雑な気持ちで、生々しく思い出しますが、当時の中学校のクラス内でのマドンナが、マドンナとして君臨できたその時の価値基準は、ある意味その場かぎりというか、その集団かぎりというか、中学校という世界における最強スペックを全て備えてはいたものの、とてもふわっとしたものだったと思われます。

この高度スペック社会においては、あのふわっとした価値観の中で輝いていた同級生たちの思い出に胸がきしみます。あとで気づいてみれば、変質者の盗撮の対象にすらなっていたブルマ(今はたぶん廃止されている)や体操服の様子、ピアノが弾けることが絶大な価値があることとされていた、そんな昭和の慣習なども、すべてが懐かしい気持ちになるのでした(ピアノや合唱文化にはどうも少し違和感というか、疑問があるのですが、日本の学校、ピアノや合唱、好きですよね…)。

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