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【エッセイ】鎌倉④─禅寺と亀ヶ谷坂のあじさい─(『佐竹健のYouTube奮闘記(31)』)

 鶴岡八幡宮の参拝を終えた。

(さて、これからどこへ向かおうかな)

 私は次の目的地について考えた。

 鎌倉へ来たときの散歩コースは、大体四つある。

 一つは鶴岡八幡宮からまた鎌倉駅に戻り、江ノ電に乗って由比ヶ浜の海を眺めたり、高徳院の鎌倉大仏や腰越の満福寺を巡るコース。二つ目は鶴岡八幡宮から北に行って、建長寺や円覚寺といった禅寺を見るコース。三つ目は北上して建長寺なんかを見て寿福寺へ行くコース。四つ目は鶴岡八幡宮から東へ行って、畠山重忠邸跡、大蔵御所跡、鎌倉宮、永福寺跡を徒歩で巡るルートだ。

 二つ目のコースは、梅雨や紅葉のシーズンにはうってつけだ。梅雨には亀ヶ谷坂のアジサイ、秋には円覚寺前の紅葉の紅がとても色鮮やかだからだ。四つ目のコースは、春の鎌倉遠征のときに開拓した。マニア向けではあるが、永福寺跡の静かな感じがいいので個人的には満足がいくものとなった。

(今回は二つ目か四つ目のどちらかにしよう)

 迷う。

 今ごろ建長寺や亀ヶ谷坂のアジサイがきれいだから、二つ目にしたいという気持ちと、まだ未踏の地が多い鎌倉の東側を探索したいから四つ目にしたいという気持ちが五分五分である。

(四つ目の永福寺から行くのもいいけど、結構歩くからな……)

 今回は二つ目のコースを選んだ。今の時期、亀ヶ谷坂のアジサイが見ごろだろうと思ったからだ。だが、今回は建長寺やら他の寺院へはなるべく寄り道しない。今回の関東城めぐりという企画は、どうも金がかかる。茨城、栃木、群馬へ行くのに少なくとも5000円以上は飛んだ。仮に行くとしても、一つだけにしよう。

「というわけで、行きますか」

 私は鳥居の前で一礼をし、鶴岡八幡宮を出で、北鎌倉へと伸びる道をまっすぐ進んだ。


 北鎌倉へと伸びる道を進むと、トンネルがある場所に行き着いた。

 トンネルの前には、「巨福呂坂(こぶくろざか)切通」とあった。

「ん? 切り通しか何かかな?」

「巨福呂坂」という地名を見た私は、この辺りに切り通しでもあったのかな? と思った。

 山に囲まれた鎌倉には、切り通しが通っている。

 切り通しとは、鎌倉の山に作られた道のこと。山に囲まれた鎌倉とその他の地域との交易を活発にするために作られた。

 これだけ聞くと、

「鎌倉って要害の地じゃないの? そんなことしたら余計攻められやすくなるんじゃない?」

 と思った人もいるだろう。実は切り通しには、利便性だけでなく防衛面もしっかり考えられていて、土塁や空堀を掘るなどの工夫がなされていたそうだ。

 私が反応した巨福呂坂以外にも、大仏坂、化粧坂、朝比奈、名越、極楽寺などといった感じで通っていた。ちなみに今向かおうとしておる亀ヶ谷坂もその一つである。


 坂の多い山あいの狭い歩道を歩いていくと、筑地のある立派な門の寺院が見えてきた。

 ここが、建長寺である。

 建長寺は禅宗の一派である臨済宗の寺院。第五代執権北条時頼により招かれた渡来僧蘭渓道隆により建てられた。室町時代には京都五山の制にならった鎌倉五山のトップになっている。また「けんちん汁」という料理があるが、この料理は、元々ここ建長寺で作られていた精進料理が起源だとされている。

 私はここへ何度か足を踏み入れている。

 中には山門やお堂、方丈などがあるわけだが、どこも静かで、心が落ち着く。

 特に方丈にある庭はそうだ。ずっと眺めていると、俗世の憂いこととかを忘れられる。方丈の庭には池と石があるだけで、特にこれといった樹木が無いのに。

 いや、だからこそ、心を無にして庭を眺めて世俗の憂いことを忘れ、集中して見ることができるのかもしれない。庭に余計なものがあると、ついそちらの方へ目が行ってしまうから。

 

 方丈の庭がある建物の前に、お堂がある。お堂は和風ではあるけれど、どこか大陸風な感じの素朴な建物だ。

 唐風の混じった薄暗いお堂の中には、日光が窓などから差し込む空間が広がっている。和風建築特有の薄暗さが宇宙を構成する闇だとするならば、窓から差し込む太陽の光は、星々の集まった銀河の光というべきであろうか。

 そんな小さな宇宙の中に、大きな地蔵菩薩の像が鎮座している。これが、建長寺の本尊だ。

 建長寺の地蔵菩薩像は、とても神々しい。

 入り口から入ってくる太陽の光をうけ、薄暗い中でも神々しい光を放っている。そんな感じに私の目には見えた。

 仏像を一目見た私は、

「この仏像には魂がある」

 と直感した。そして手を合わせた。

 仏像にはまれにこうしたものがある。

 京都の東寺へ行ったときに見た立体曼荼羅とか、深川のお不動さんなどを見たとき、似たような感覚を感じた。

 腕の立つ仏師が精魂込めて作ったから、仏像自体に魂が宿ってしまったのだろうか? それとも、夏目漱石の『夢十夜』の「第六夜」の運慶が護国寺の仁王門を彫っている話のように、元々その素材の中に仏がいて、仏師がそれをノミとか彫刻刀で彫り出して形にしているのだろうか?

 いずれにせよ、私のような凡夫には、よくわからない。けれども、言えるのは、人間の言葉では言い表し難い、見えない大きな力があるということだろう。その力ゆえに、数百年の時を超えた令和の世でも、多くの人々を魅了している。これだけは確かだ。

(さてと、建長寺を通りすぎたということは、亀ヶ谷坂も近いですな)

 私は信号を渡り、対岸にある歩道へと渡った。


 亀ヶ谷坂へと着いた。目の前には青、水色、紫のあじさいが梅雨のどんよりを打ち消すように色鮮やかに咲き誇っている。この分だと、今年も坂の目のアジサイはきれいなんだろうな。

 楽しみを胸に、私は坂へと向かった。

 だが、坂のアジサイは、ものによって咲いているものもあれば、まだそうでないものもあるなど、まばらな感じだった。

(少し早かったかな──)

 カメラで動画を撮りながら、私は思った。

 一昨年の6月に来たことがあるけれど、そのときのアジサイはもっと色鮮やかに咲き誇っていた。だが、6月の初めはまだ咲き始めか中盤ということもあり、まだ少ししか咲いていない花もあった。

(せっかく寄り道したんだし、まあ素材だけでも撮っておくか)

 ひとまず私は動画を撮った。その後前にあったアジサイの写真を撮って北鎌倉駅へと向かった。


 少し時間に余裕があったので、円覚寺へと参拝した。

 帰るとき、目の前に素早い小さな生き物が横切った。

(なんだろう?)

 と思った私は、小さな生き物が横切っていった方向を見た。

 そこには、白と灰色が交互にある毛並み、白い頬袋、長くて途中で巻いてあるような尻尾をした生き物が、黄緑色の葉をした紅葉の枝の上にいるのを見かけた。リスだ。こんなところにいたんだ。

「リスだ、かわいい!」

 私は思わず声を上げてしまった。NHKとかのテレビ番組で何度か見たことはあるけれど、こうして生で見ると、本当にかわいい。

 ゆっくりリスを見ようかなと私は思った。だが、リスは若い紅葉の枝を器用に、そして素早く移動して消えていった。

(あちゃ、逃げられたか)

 ため息を一つついて、私は北鎌倉の駅へと向かった。


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