葬式について(参列者の方々へ感謝)
こんばんは、MAPです。
少し時間が空いてしまいましたが、今回は妻の葬式について振り返ってみようと思います。
葬儀社はどのように選んだか
私は約10年前に母親を亡くしていることから、身内の死による葬儀の手配については全くの未経験ではありませんでした。(喪主は初めてでしたが)
人が亡くなった後の大まかな流れは以下の通りです。(死因や場所によって異なります)
主治医による死亡宣告
心肺拍動停止
呼吸停止
脳機能の停止
などを確認することになります
身内への連絡
付き添えなかった身内へ連絡します
葬儀社の手配
余命を言い渡された時から気は進みませんでしたが、いくつか葬儀社のあたりをつけてある程度決めていました。(全く決めていない場合は病院から紹介もあるとのこと)
病気などで亡くなった場合は、葬儀社が亡くなった方を病院まで迎えに来て葬儀場まで運んでもらえます
妻の場合は事故の届出を警察にしていなかったことから、まず警察へ連絡して警察による死亡診断が必要になり、警察に一旦引き渡すことになりました
警察指定の医師による死体検案書を記載いただいてようやく葬儀場へ運ぶことを許されたのです
というように、あまり時間がない中で色々な決め事をしていかないといけないこと。そして、お寺や墓の準備、友人・知人への連絡などバタバタとしていました。
葬儀の準備
とにかく短時間で多くの意思決定をしていかなければならないため、大きな意思決定以外は、その場その場で即決で決めていきました。
例えに出すのは微妙ですが、ある意味で結婚式と同じくらい色々なことを考えて決めていく必要があります。それが結婚式のようにある程度時間があって意思決定できる訳ではなく、2〜3日の間にしていくイメージです。
特に迷ったのは、どの交友関係まで葬儀についての案内を出すべきかということです。自分の知人や友人はもちろん、妻との共通の知人や友人までは案内できますが、妻のみが知る知人や友人に連絡する手段が思い浮かびませんでした。(もしかしたら未だに妻が亡くなったことを知らない方がいるかもしれません)
ただ、今になって思うのは、葬儀の一連のイベントは亡くなった人に対して行うというよりは、残された人が自分の心を整理するために行う催しなのではないかとも考えられます。
余裕もなく、精神的に苦しい中で、なんとか体調を崩さないように意識しながらその日を迎える準備をしていくのでした。
葬儀の当日
当日の話ではありますが、前日のお通夜から最後のお別れのために葬儀場に身内だけで泊まりました。
葬儀の準備がしてある場所と泊まる部屋を行ったり来たりして、時には妻の棺の前で写真をじ〜っと眺めて思い出を浮かべたり、語りかけたりと線香を絶やさないように一晩中、交代交代で見守り続けました。
満足な睡眠を取ることもなく、葬儀当日を迎えやや朦朧としながらその時を迎えます。
子どもたちも体力のピークも迎えていたのか、それぞれ体調不良になり
葬儀の途中で退席するなどのハプニングはありましたが、さまざまな方の協力を経て大きな問題もなく葬儀を終えることができました。
葬儀については、お通夜、告別式で述べ人数として約500名の参列者がありました。これにはとても驚いていて、妻が人との付き合いが本当に幅広く、人格者であったことがわかる規模だと思いました。
当日かなり長い時間お待たせしてしまった方々には申し訳なかったなと感じるところです。
最後の喪主挨拶では、何を話してよいか頭が真っ白になってしまい、うまく話すことはできませんでしたが、なんとか感謝の想いだけは伝えられたのではないかと思います。
とにかくあっという間に時は過ぎて、約5ヶ月が過ぎた現在では既に記憶が薄れつつあります。
最後に、香典はもちろん、弔電や献花なども多くいただき、お礼が全てに行き届いていたか不安もありますが、この場を借りて改めて御礼申し上げます。
この時点での自分の気持ち
妻が亡くなってから葬儀までは本当に時間が経つのが早かったです。
当然冷静になることもできず、ただただやるべきことをこなしていくような
状況でした。
幸い友達に恵まれて、多くの方々が「手伝うよ」と手を挙げてくれて、葬儀は滞りなく行えたことは本当に感謝しています。ありがとうございました。
個人としては、葬儀を終えてようやく自分の気持ちの荷が少し降りた感覚をおぼえるのでした。
次回は、「死から1ヶ月経過」の話を書きたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
MAP
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