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入院8-9日目(一握りの希望を胸に)

こんばんは、MAPです。

今回は妻が入院して8日目について振り返ってみようと思います。


手術の翌日

緊急手術というとてもショッキングな出来事から頭が混乱していて、前日の夜はあまり眠れませんでした。

とはいえ、11時より主治医の先生との面談があった為、準備をして自分と父親、子ども3人を連れて病院に向かうことにしました。

妻の唯一の兄弟である兄夫婦もひどく心配して、子どもを連れて地方から上京して、妻の様子を様子を見にきました。

あまり大人数でICUには入れないので、3グループに分かれて妻と面会をすることにして、意識はありませんが、それぞれ励ましの言葉をかけ、泣き崩れたのでした。

その後、主治医との面談の時間となり、緊張しながらその場に臨みました。

主治医からの話では、

  • 血圧などが下がり若干戻してきている

  • 落ち着くようであれば明日CTを撮る予定

  • 瞳孔は開いたままで変化なし

  • 手足はたまに動くが、反射の可能性が高い

  • 術後に撮影した写真では期待はできない

  • 状況によっては肺炎の可能性もある

翌日の14時にまた面談をしましょうとのことでした。

その後、また交代で妻と会い、それぞれか思うままに話しかけたり、見守ったりしていました。

自分は何を話したか覚えていませんが、「意識が戻ってほしい」と強く念じながら妻の手を握り、昔のことや一緒に過ごした日々のことを涙ながら話したと思います。

看護師さんから音楽をかけても良いとのことだったので、妻の大好きな「藤井風」の曲を何度もかけました。

今までそんなに意識してはいなかったのですが、藤井風のいくつかの曲は心なしか、今の自分たちの状況を映しているような曲なのです。

その中でも、この曲(死ぬのがいいわ)は自分の心境に近かったです。
この時に限らず、以降自分の中ではこの曲が失った寂しさを感じる時に流れてきます。

夕方近くになり、この日は前日宿泊した妻の両親と子どもたちを家に帰し、自分一人で宿泊することにしました。

一握りの希望を胸に、夜中も何度も見守りに行き、仮眠をとり、また見守りに行くということを繰り返し、朝日が見えてきました。

朝を迎え、少し休憩とPCを開き仕事を処理しながら、家族が来るのを待つことにしました。

わずかな希望が失われた日

9日目、この日は奇しくも妻との結婚式記念日でした。
妻の父親に家から結婚指輪を持ってきてもらうように電話で依頼しました。(実は少し前に痩せて結婚指輪が抜けやすくなっていたので外していました)

手術のために結婚指輪を外していた妻に結婚指輪をはめて、自分も同じように結婚指輪をして2人だけでささやかなお祝いをしました。

そうこうしているうちに、面談時間となり、改めて主治医から状況の説明がありました。

  • やはり脳のダメージが広範囲にわたっている

  • 最大限の外減圧をしてみたが戻っていない

  • 脳幹が潰されてしまっている

  • 医学的には回復の見込みはない

  • 延髄の状況も厳しい

  • あとは、心臓の強さで生命が保たれるので全身管理だけとなる

  • 余命は数週間から1ヶ月程度だろう

  • 緊急時の心臓マッサージをするかの判断が欲しい

  • 頭蓋骨は半分くらい骨折していた

  • ヘルメットを被っていても脳挫傷はあり得る

  • 警察への届出有無について

  • 一般病棟に移っても個室は用意するので緊急病棟から移るか判断が欲しい

  • 緊急時はTELするので、病院宿泊はやめて休んだ方が良い

「医学的には回復の見込みはない」というワードが出てきた時点で、自分は涙が止まらず、自分の意識もこれが現実なのかわからないくらい希望が失われた瞬間でした。

覚悟はしていたつもりですが、辛い現実を前に、自分自身の何かが崩れていくのを感じました。その日はずっと意識がボ〜ッとして考える力もありませんでした。

面談以降、その日のことは一切記憶がありません。

意思決定の迷い

翌日、主治医から言われた一般病棟に移ることをずっと考えていました。

一般病棟に移る理由は、もう手の施しようがないので、ICUではなく一般病棟で静かに見守ることが良いとのこと。

一方で、ICUのままであれば、緊急時の対応が早く、もしかしたら奇跡が起きるのではないかという期待もわずかにあるかもしれない。

その時に思い浮かんだのは、息子の言っているオルタナティブスクールの理事長のことでした。

理事長は、この出来事があってからずっと気にかけてくれていました。心地よいタイミングで話を聞いてくれたり、サポートしてくれたりと支えてくれていました。

そして、人脈のある理事長が知り合いの脳神経外科の名医にセカンドオピニオンも依頼できるという話があったことを思い出し、思い切って理事長に連絡をしてみたら、すぐに知り合いの先生に聞いてくれて快諾してくれたという連絡をくれたでした。

一方で、医療従事者の方はどう思われるているかわかりませんが、セカンドオピニオンはある意味で主治医の診断に誤りがあるのではないか?ということを確認するものでもあるので、何も言わずにセカンドオピニオンをすることにもいかず、主治医には正直にセカンドオピニオンを考えていることを伝えると、主治医が改めて説明の時間を取ってくれました。

そこでは、CTレントゲンの画像を見せてもらいながら、今までの流れを全て細かく丁寧に説明をして下さり、改めて「これはもう助からない」と自分でも納得してしまいました。

理由は明確で、CTレントゲンの画像に「脳幹」が影も形もなくなっているからでした。

セカンドオピニオンは、どんなに早く手続きをしても1週間程度はかかるようですが、それを待つまでもなく、「もうダメだ」という現実を受け止めざるを得ない状態でした。

一度は、理事長経由でセカンドオピニオンをお願いしようと考えていたところ、考えを改め、セカンドオピニオンをせずに一般病棟へ移る意思決定をするのでした。

この時点での自分の気持ち

わずかな希望が絶たれ、絶望しかなかったです。
正直、自分は今まで生きた人生をどちらかというと順風満帆だったと思っていて、それがこれからも続くと勝手に信じていました。

妻は、病気だったわけではなく、どこも悪いところがない健康体でしたが、突然回復の見込みもない状態になろうとは、誰が想像できるでしょうか。

運命を恨みました。神を恨みました。自分自身を恨みました。
そして、自分がいかに無力な存在なんだと自分を責めるのでした。

それでも、まだ妻が生きていることには変わりなく、残りの時間を大切にしようと。そして、奇跡を信じようと願うしかありませんでした。

次回は、入院10日目以降の話を書きたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

MAP

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