発達障害になりました

はじめに

 こんにちは。つのじと名乗る者です。私に発達障害、ADHDの診断が下りたのは、大学3年生の頃でした。しかし、その頃から少し遡ってお話しましょう。

 中学生の頃、私は運動部に所属していました。運動しているシーンが輝いて見えた小学校6年生の私は、勢いで運動部に所属してしまいました。今思い返すと、これはADHDに見られる「衝動性」だったのではないでしょうか。運動音痴であった私は、そこで何人かの人間から虐げられてしまいました。「部活に行きたくない」という考えは、「学校に行きたくない」という思考へと変化し、私は週に1回程度学校を休み始めました。これがすべてのはじまりです。

 少しだけ地頭がよかった私は進学校へと進学しました。しかし、学校はつらい場所でしかありませんでした。学校を休むことによって分からなくなる授業。そして、それによって下がる自己肯定感。悪循環を繰り返し、学校を休む頻度は3日に1回になっていました。それでも、「なんとか卒業してもらいたい」という担任をはじめとした先生方の力によって、私は大学へと進学しました。

 その頃には、「学校はつらいもの」という感覚は染みついて、休む癖を治すことなどできなくなってしまっていました。なんとか出席以外の活動で頑張りながら、単位を取っていました。しかし、このままではいけないことも分かっていました。私は、「障害者雇用」で就職しようと考えました。きっとうつ病だと思っていたからです。中学生の頃から睡眠障害があった私は、病院の精神科に通っていたので診断を出すのは容易だと考えていました。

 そして、想定通り、うつ病の診断が出ました。それと同時に、想定外の、発達障害の診断も。私は混乱しました。しかし、診断書を出さなければ障害者雇用を利用することは叶いません。そうして、私は障害者になることを選びました。これが、発達障害になるまでの私です。


卒論

 「当事者研究」というものをご存知でしょうか。障害を抱えた人が、当事者として自らの障害や困難のことを研究するのが「当事者研究」です。先生から「当事者研究」という言葉を聞いたのは、4年のはじめの方だったと思います。しかし、個人が症状を事細かに述べるだけの当事者研究に魅力を感じていませんでした。医師などの専門家に任せればすべて解決するのではないかと思っていました。

 何を思って、当事者研究を卒論の主題にしようとしたのかは記憶にありません。あの頃は行き詰っていて、泣きながら8割以上先生が書いた文章を発表し、中間報告を放棄し、ギリギリを生きていました。それから数か月後、不意に躁状態に入った私は、卒業論文に向かい合うことにしました。そこで、以前言われたことのあった「当事者研究」を思い出したのです。

 ここからは、卒論の一部を取り上げて当事者研究とは何かを解説します。そして、当事者研究を試験的にですが行ってみたいと思います。


当事者研究とは、何か。

 「当事者研究」のはじまりは2001年、北海道にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点である「浦河べてるの家」ソーシャルワーカーが当事者たちと共にはじめた活動でした。先述の通り、当事者研究とは、障害や困難を抱える当事者自身が自らの問題に向き合い、仲間と共に、「研究」することを指しています。ただ語るのではなく、研究という形で論理立てて考えることで、普遍化・社会化されるのです。

 具体的な当事者研究の要素は5つあります。

1、〈問題〉と人との切り離し作業

2、自己病名をつけること

3、苦労のパターン・プロセス・構造の解明

4、自分の助け方や守り方の具体的な方法を考え、場面を作って練習すること

5、結果の検証


 主導権が治療者ではなく当事者自身にあること、必ずしも問題解決を目指さないことの2点において、当事者研究は既存の治療方法とは大きく異なっています。問題解決を目指さない、と言いますが、「問題そのものは何も解決していないのに、解消される」という効果が得られる点は注目する必要があります。例えば、問題がなくなったわけではないのだけれど、当事者研究によってとらえ方が変わり、問題が問題ではないように感じられるようになったケースが考えられるでしょう。

 また、「苦労を取り戻す」「自分自身で、共に」というべてるの家の活動理念は、当事者研究の重要な要素でもあります。精神障害の病因は気質な要因と心理、社会的要因が複雑に絡み合っているため、精神障害を持つ当事者に病気の責任があるわけではありません。しかし、病気の苦悩を自らのものとして引き受ける責任があるということを「苦労を取り戻す」は意味しています。病気の苦悩そのものは、自分から切り離すことは出来ず、それは自らのものとして引き受けるしかないのです。そして、「自分自身で、共に」とは、苦悩を自分自身で引き受けながら、その苦悩の引き受け方を仲間と共に研究し、その成果を社会へ伝えていくことを意味しています。

 当事者研究とは、人生の当事者であるからこそ感じられる障害や困難を自分自身の体験であると受け入れ、その障害や困難に意味を見出すことです。そして、その障害や困難とその意味があるからこそ生まれるコミュニケーションも当事者研究であると言えるでしょう。障害や困難があるゆえに失ってしまった社会とのつながりを、障害や困難があるからこそ社会とつながることができるという可能性を当事者研究は示しています。

 具体的な当事者研究については、以下の参考文献を挙げますので、参照してみてください。

綾屋紗月・熊谷晋一郎2010『つながりの作法―同じでもなく違うでもなく』NHK出版.

浦河べてるの家2002『べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章』医学書院.

同2005『べてるの家の「当事者研究」』医学書院.

熊谷晋一郎2009『リハビリの夜』医学書院.

同2012「なぜ「当事者」か、なぜ「研究」か」,『日本オーラル・ヒストリー研究』第8号.

べてるしあわせ研究所2009『レッツ!当事者研究1』向谷地生良編集協力,NPO法人地域精神保健福祉機構コンボ.

向谷地生良2009『統合失調症を持つ人への援助論―人とのつながりを取り戻すために』金剛出版.

向谷地生良・浦河べてるの家2006『安心して絶望できる人生』NHK出版.


当事者研究を、行う。

 先述の通り、当事者研究とは、5つの要素からなるものでした。

1、〈問題〉と人との切り離し作業

2、自己病名をつけること

3、苦労のパターン・プロセス・構造の解明

4、自分の助け方や守り方の具体的な方法を考え、場面を作って練習すること

5、結果の検証

ここでは、4の「自分の助け方や守り方の具体的な方法を考える」ところまでを行います。


1、〈問題〉と人との切り離し作業

 まず、困っていることが何なのか具体的に検討する必要があります。私は、いつも人生がつらいです。死ぬことができるのならば、死にたいと常日頃考えています。しかし、当事者研究では困っている問題が何なのかをもっと突き詰める必要があります。

 ここでは、ADHDの衝動性が止まらないことをあげたいと思います。何かしたいこと、例えば勉強だったり趣味だったりについて考えることをとめられず、睡眠導入剤を飲んでも眠れないことがありました。また、刺激がない状態に耐えきれず、ゲームの課金やゲームセンター、友達と連絡を取ることをやめることが困難です。このように120%の力で動き続けることで突然電源が切れたように体力が尽きてしまいます。尽きた体力では、以前のように動くことができず、立てていた予定をドタキャンしてしまうなどが頻発しています。

 この一連の流れを、今回の〈問題〉に設定しましょう。


2、自己病名をつけること

 ブレーキが壊れた状態を、私は「スターをとった」と表現しています。スターとは、スーパーマリオブラザーズに出てくるアイテムのことです。スターをとると、無敵状態になり、敵をなぎ倒しながら真っ直ぐ進み続けることができます。ただし、時間制限があり、元に戻ってしまいます。そして、スターの勢いのまま敵にぶつかりゲームオーバーになってしまうのです。この表現は、友達などに伝わりやすく、よく使います。これをそのまま病名にしましょう。「スター状態病」とでもしましょうか。


3、苦労のパターン・プロセス・構造の解明

 一連の流れは、3つに分けることができます。第一に、刺激を求めたり、新しいことを止められない「衝動性」。次に、その120%の力を出し続けてしまう「持続性」。最後に、それらが破綻してしまう「破壊性」です。それぞれに問題がありますが、それらをどう解決していくかを考えていきましょう。


4、自分の助け方や守り方の具体的な方法を考える。

 「衝動性」

 まず、刺激や新しいことを求めて動いてしまうことについてです。まず、行動してしまうのをやめて、一息ついてみるのはどうでしょう。やりたいことを書きだしてみるのもいいかもしれません。


 「持続性」

 衝動的に動いてしまうのを止められない持続性についてです。正直、ここについてはどうしたらいいか分からないです。ここでも、一息ついてみる必要がありそうです。


「破壊性」

 体調が追いつかず、予定が破綻してしまうことについてです。予定を作りすぎないことが一番でしょう。「衝動性」や「持続性」で一息ついたことによって、この点については自然と改善されると見込まれます。



 そして、これらを実践しフィードバックを行うことが当事者研究です。

ここで行った当事者研究の前半部分は疑似的なものでしかありません。

今後、どうなっていくのかをお楽しみに。


おわりに

 私が発達障害になったことには、意味があるのかは分かりません。ですが、そこに意味を見出していくのが当事者研究です。この文章に触れた方の中には、発達障害をはじめとした障害を持っている人もいれば、そうでない人もいます。しかし、障害の有無は些細なことでしかありません。誰しもが、 〈問題〉を抱えて生きているのですから。当事者研究が、誰かの支えになることを祈って、この場は閉めさせていただきます。それではまた。


 


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