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悪阻入院/子宮頸がん/ウイルス/全前置胎盤/ゆったり妊娠ライフなんて存在しなかった


 この記事は出産前に書いた。
出産後の今読み返すと、妊娠・出産時の出来事なんて、簡単に忘れてしまっていた。
思い返すと、大した事ではなかったと思う。
赤ちゃんとの慌ただしい日々の戦いが始まったから。
そうやって妊娠・出産時の出来事を、私の中で軽視していることに気がついた。
 1人目の娘を出産した時、産声をあげなかった。数ヶ月間、そのことは私にとって大きなものとして心に残っていた。
しかし娘があまりに元気に健やかに成長するものだから、その思いも徐々に薄れていった。
そう思うことは自然なことで、別に深くそれについて考えなかった。
 でも、こうやって自分の出来事を軽視することは、数年数十年後、他人を軽視することに繋がってしまわないだろうか。
例えば、娘が子を生むことになった時とか。
もし、その時娘を思いやることができず、軽視する人間になっていたとする。
それは老害と呼ぶものではないだろうか。
私の大嫌いな老害に。
 だから忘れていく妊娠期・出産期の出来事や思いを、書き残すことにした。
この記事は、「誰が読むんだ。こんな記事」「何が面白いんだ?」と思い、消してしまおうと思った。
でも子がいつか読んでくれる機会が、もしかしたら巡ってくるかもしれない。読まれないかもしれない。
なにより、自分が未来で読み、思い返すべきだと思った。
消すことも非投稿にすることはいつでもできるのだから、投稿してみることにした。
 そもそも、ものの面白さは私が決めるものでもないのだから。
嘘や綺麗事と思わない限り、書いたものは投稿しよう。




 2人目妊娠。
早期流産をした時の記憶が蘇る。
だから、医師が流れるように「心臓これね」と言った時、心底ほっとした。
も、束の間。
つわり開始。
1人目の時も、つわりはひどかった。
夫が、きのこご飯を炊き込んだ時は本気で呪った。2時間、口をきかなかった。
1人目はサッポロポテトしか食べられなかった。
2人目は、気持ち悪いと思っていても、食べれば吐き気は落ち着いた。
「なんだ、多少気持ち悪くても無理して食べれば大丈夫だ」ぐらいに思っていた。
あまい、あまい。
 前回の妊娠と大きな違いがある。
それは2歳の娘がいる。
娘のおむつ替えの匂いで、もうダメだ。
う◯ちでおむつを変える度に吐く。
脱水になる。
立ちくらみで、トイレの往復が私の生活圏内に。
 娘を保育園に預けることができれば、幾分楽だっただろう。
しかし夫は基本12時間勤務のため、保育園の送り迎えができない。
自宅で娘と2人で過ごす日々だった。
水を飲んでも吐くようになった。
いよいよ入院するか。
もう少し自宅でも大丈夫かな。とも思ったが、入院でもしないと夫の会社は夫を休ませてはくれないだろう。と思い、かかりつけの産婦人科へ向かった。
夫は「妻のつわりが理由で仕事を休んだ人は、俺の職場では聞いたことないな…」と言っていた。
夫も言い辛い。上司の理解なんてない。
 自分に余裕がない時、周りを恨む気持ちが増幅していく。
夫にも、夫の会社にも、毒父にも、早々に死んでしまった母親にも。
どうしようもないことに対してあれこれ考えてしまう。
この思考をどうにか止めなければとも思い、一人になりたかった。
 病院に頼った。
だが、頼って良かった。
入院しても吐き気が治るわけではない。
だが点滴のおかげで脱水症状はなくなる。
娘のオムツを替えなくていい。
 それともう1つ。入院して良かったことがある。
それは、娘がパパっ子になった!
夫は家に籠もれないタイプだから、娘と毎日公園を巡っていた。
活発娘からしたら最高の1週間だったのだろう。
面会に来てもケロッとしてるし、「バイバーイ」と言ってあっさり帰って行った。
帰って行く背中には「さ、パパ。今日はどこの公園だ?」と書かれているようだった。
 それまでは、何かある度に母の私が抱っこ。かーちゃんがいい。かーちゃんと寝る。かーちゃんと何々…。私はこれが結構辛かった。
プレッシャーがあるし、全部私がやらないといけないのが身体的にも精神的にもしんどかった。
子どもに対して何を言っているんだ。なのだが、距離をおいてほしいと私は思ってしまうのだ。
だから退院後に仲良くなっててビックリ。
娘が「パパ〜♡」ってなるから、夫もデレデレ。
 娘が0歳の赤ちゃんの時、「俺、赤ちゃんを可愛いと思えないんだよね」と言った夫の発言は一生忘れないし呪うが、今これだけ仲良しなら良しとしよう。
あの時のあの発言はいったいなんだったんだ。まったく。


子宮頸がん
 妊婦健診で行う子宮頸がん検診がある。
"高度異形成"という結果が出た。
つまり、癌になる前の状態。
2回実施したが同じ結果。
ただ妊娠の影響で、結果の信憑性が落ちる。
実際は問題ない可能性もあるが、癌になってる可能性もある。
これは出産後に再検査予定。
同じ結果または癌となっていたら、出産後2ヶ月ほど経ってから手術で子宮摘出だ。
まあ、そのつもりでいなさい。とのことだった。
 私も30歳。
子宮頸がん好発年齢に入ったことだし、まあ仕方がない。
それに普段仕事で、化学療法をしている患者さんを見ているのに、自分だけそうならないなんて思ってはいない。
子宮部分摘出か、全摘出か、化学療法が手術前後で必要になるのか。
産婦人科経験0のため詳しいことは分からないが、出産後に何か待っているのだろう。
再検査の結果が良い方向だったらそりゃ有り難いけど、こういう時は悪い方向を想定しておこう。


産前旅行
 つわりが落ち着いてきた。
夫の勤続10年に得られる福利厚生の期限が迫ってた。
ホテル等で使える10万円分のポイントと、5日程の特別休暇がもらえた。
産前旅行を計画した。
我が家は旅行大好き。
夫は計画立てるの大好き。
YouTubeやInstagramで、観光地や飲食店を調べまくっていた。
ホテルもレンタカーも予約した。
 旅行の1週間前、夫が社員旅行に行った。金沢に1泊。
金沢から帰ってきた夫は咳コンコン。
 家族産前旅行の3日前に夫インフルエンザ発症。
その翌日、私もインフルエンザ発症。
私は妊婦のためカロナールしか内服できず。
副鼻腔炎にもなり、2ヶ月で鼻セレブ3箱空けた。
医師からは抗生剤は使用せず、安静にして治しましょう。自然治癒力で治しましょう。と。2歳の娘と同居しててどうやって安静にするのだ?
夫を恨む。
もちろん、旅行は中止。
直前のキャンセルの為、キャンセル料が発生。16万円。
夫を恨む。
家が荒れ狂った。
だが娘はなぜかインフルエンザにならず。
それだけは良かった。
良かったが…
 数ヶ月後、娘がノロウイルスに感染。
夜に何度も嘔吐。
昼も部屋のそこかしこで嘔吐。
子どもってこんなに吐くの?!
看護師のくせに何言ってるんだ。なのだが、産婦人科・小児科で働いたことのない看護師は一般人と同じだと私は思ってる。
ベテランママさんの方が、よっぽど小児科について詳しいと思う。
 普段が活発女子な娘な分、グッタリしてるのを見ると親はソワソワ…。
こんなちっこいのに大丈夫かよ…。
かわってあげたい。って感覚はあまり湧いたことがないのだが、まあ普通にうつりますよね。
私もノロウイルスに。
娘は元気になった。
私は嘔吐と下痢の為、リビングで寝る。
娘もリビングで寝たいと言い出す。
夫が試行錯誤して娘を寝室に誘おうとするが拒否。
なんでこんな時に限って?!パパっ子になったのではなかったのか?!
でも、私が隣でゲロゲロしてても気にせず爆睡している娘だった。ならまぁいっか。ってなった。


前置胎盤
 妊娠中期〜後期。
そろそろ、陣痛を意識する。
1人目の時を思い出し、怖くなる。
もし逆子になれば帝王切開になるかな〜。
帝王切開も痛いと思うけど、陣痛とどっちがしんどいのかな〜。
とか考えていた。
そんなことを考えていたからだろうか。
出血。
生理の時のような出血。
この量はなんかあるな〜。と思い、病院へ。
 前置胎盤と診断。
胎盤の位置が悪く、子宮の出口を覆ってしまっている。
そのため自然に産む事はできない。
出産方法は帝王切開が決定した。
 子宮の口に胎盤が接している為、胎盤がめくれてくる可能性がある。
もし、めくれたら大出血だ。
産院から大学病院へ紹介状が書かれた。
車で往復2時間の病院へ。
貧血もあり、点滴。
持病のポルフィリン症により、内服の貧血剤は体に合わなかった。
 前置胎盤の手術は、出血するのが普通だ。
輸血する可能性が高い手術を予定している場合、献血のように前もって自分の血を採取しておく。
700mlの自己血を帝王切開予定の数週間前にとった。
 陣痛が始まってしまうと出血多量になるため、早めに出産予定の日取りを決める。
その為、胎児が小さいうちにお腹から出すことになってしまう。
だがお腹の中の赤ちゃんは妊娠35週にして2500gはありそうだったから、心配は杞憂に終わりそうだ。
 医師から手術中の出血リスクや他にも合併症の説明が長々とされる。
しかも前置胎盤の中でも、子宮口全部を覆ってしまっているやっかいな状態。
全前置胎盤。その為出血リスクがまた上がる。
 加えてポルフィリン症の影響で、輸血をした後に肝臓の機能が悪くなる可能性もある。
そもそもポルフィリン症の人が少なく、医師達も経験がない。
 病院で夫は疲れた顔をしていた。
病院の付き添いに疲れたのかな?と思って声をかけたが、どうやら手術のリスクを聞いて心配になってしまったようだ。
ゲッソリ。
「なんで360度ある子宮の中で、そこ選ぶんだよー…」と私のお腹に向かって言っていた。
少し笑えた。
 私は医師から患者さんへ手術の説明している場面に立ち会う事が多いから、聞き慣れた言葉達だ。
だが、夫からしたら勘弁してくれ状態だったみたいだ。
きっとこうやって、お互いの通院に付き合ったり、心配したりして歳とっていくのだろうな。
こらからきっと、何度も。


 帝王切開の日取りが決まった。
その1週間前に遠方から夫の母が来てくれた。
娘の保育園の送り迎えや他諸々をお願いできた。
夫母が来た翌日に私は入院することにした。
 帝王切開の場合、基本的には手術の前日に入院する。
しかし私の場合、自宅から病院まで1時間はかかる。
自宅で大出血したとして、そこから救急車を呼び病院に行くまで1時間。
1時間も大出血し続けたら余裕で死ねるだろう。
ってことで、念のため、手術予定日の6日前に入院する事にした。


出産予定日(帝王切開)の6日前に入院
 本とパソコンを持参。
病院や入院は、普通に好きではない。
だが、家事をしなくていい。娘のお世話をしなくていい。大量の一人時間。私は少しウキウキしていた。
さっそくパソコンを開き、note記事を作成していく。
大きめの病院はWi-Fiがある。ストレスもない。
記事を書き、疲れたら本を読む。そうこうしてたら食事が届く。
3回に1回はカチカチな米だが、それでも思った。
最高な時間だー!
私はかなり調子にのっていた。数時間ぶっ続けでパソコンを打っていたようで、助産師さんから30分パソコンをやったら横になるように指示をうけた。

「お腹、どう?」
「大丈夫です」
「いや、今、お腹張ってますからね」
お腹が張っているかが分かる機械がある。
私は鈍感なようで、数値が高くなっていても、お腹の張りがよく分かっていなかった。
言う事を聞かなない患者は看護師から嫌われるので、言う通りに30分アラームが鳴ったらベッドに寝転び、本を読むことにした。

 言う事を聞いていたが、入院3日目の朝6時。
出産予定日の4日前。
トイレを済ませ、立ち上がると「ビシャッ」と音がした。
“出血きたかー…”
すぐに座りナースコールを押した。
今日の担当看護師は2年目っぽい人とベテランっぽい人だったな。
「田淵さん、どうしましたー?」2年目っぽい方の人が来た。
「あの、出血しちゃいましたー」
2年目看護師さんはフリーズしていた。
その様子を見て、産婦人科の経験がない私でも“あ、これやばい時のヤツだな”と分かった。
「ひとまず、ベッドに横になった方がいいですか?それともこのまま座ってた方がいいですか?」と聞いた。
トイレからベッドまで少し距離がある。
この距離でも自身で歩いてほしくない病態の時があるから聞いてみた。
「あ、あの、ちょっとそのまま待ってて下さい!」と言って廊下に走っていった。
ベテランっぽい人を連れてすぐに戻ってきた。
ベテラン看護師は2年目看護師にテキパキ指示をしていった。
 当直の医師がすぐに来た。
内診室へ連れて行かれた。
「あれ〜。出血、しちゃってるね〜。もうすぐ担当の先生来るから相談するけど、多分緊急手術かな〜。家族に電話できる〜?」
なんともフランクな当直医だった。が、ベテランなのだろう。というのが周りの看護師の様子から分かった。
 病室に戻る時、フランク先生が「居たから、声かけてみた〜」と、横にいる若い医師の肩に手をおいて言っていた。
昨日私の担当をした医師だった。
多分研修医2年目か、研修医上がりぐらいの年齢の医師。
若手だからか、早く出勤してきたのだろう。
昨日この医師から「大丈夫ですね。特に問題ないですよー」と言われたところだった。
 特に会話は交わさなかったが、罪悪感を感じている目でこちらを見ていた。
昨日は出血してなかったんだから、昨日は大丈夫だったのだろう。そんな責め立てる気は私にはないですよ。
でも失敗しないのが当たり前となった最近の医療で、医師達のプレッシャーは凄まじいものなのだろう。

 なんだか、私はそれなりに冷静だ。
看護師で血が見慣れているから?
患者である今の私にはやれることはないのだから。と諦めているのか。
いや、もし自宅で出血していたら…と考えると、本当に入院していてラッキーだったと思う。だから冷静なのだろう。
もし今家だったとしたら、救急車を呼ぶべき?2歳の娘はどうしよう…。夫は会社に行っているし…。などなどで、かなりテンパっていただろう。
 なによりベテラン看護師の様子を見ていたら、任せて大丈夫だろう。と安心できた。
「仕事のできない看護師は罪だ」新人時代に言われた言葉を思い出した。


 主治医が来た。
緊急手術して出産するか、お腹の張りを止める薬で様子を見るか考えていた。
まだ妊娠36週のため、産まれてくる赤ちゃんが小さい可能性がある。
何より緊急手術は様々なリスクが跳ね上がる。
人や物品の采配も必要だし、普段は絶対に起きないようなミスが起こるリスクが上がる。
私が決めれるものではないので、黙って医師の判断を待つ。


 ただ、ただだ…。
今日は中村敦彦さんと澤円さんの対談が聞ける日だ。
緊急手術、するなら早めにやってくれ。
今から手術をすれば、余裕で19時には手術が終わっているハズ。
緊急手術するかしないか。
なんでもいいから…
今日の19時はフリーにさせてくれ!



 結局、この日に緊急で帝王切開をして息子爆誕。
手術中は大の字になって寝転んでいるだけだった。
私の周りで10人ぐらいの人達が動き回っているのが、大変申し訳ない気持ちになった。
なったが、やはり私にやれることはないのでボーっとする。
何考えよう。
この時間にスタエフやVoicy聞いていたかったなあ。
 暇を持て余していた時、息子の産声が上がった。
「おめでとうございまーす」と周りの人たちが言ってくれた。
だが医師は今からが戦いなのだろう。胎盤を取り外すのに出血を伴う。おめでとうと言いながらも、その声には緊張が含まれていた。
やはり、インタビュー時は直接ではなく、音声のみで何度か試してみてもいいのだろう。と思った。

 妊娠36週で出産は、普通より少し早い出産。
だが息子はすでに3000キロを超えており、十分に胎内で成長してくれていた。
 しかし、急に外界に出されたため、呼吸が上手くできず呼吸器を装着する。
1人目の娘の時も、呼吸器をつけた。
私の腹から生まれる子は呼吸器をつける"さだめ"なのか?笑
 娘を出産した時は産声もあげず、真っ青になっていたが、息子は温かかった。
呼吸器をつけることになっても、数日後には外れるだろう。娘の時のように大丈夫になるだろう。と思った。
こういう時は、そう思いこまないといけないのだ。
大丈夫。大丈夫だ。

 手術で血が1500ml流れた。
だが特に問題なく終了した。
 ベッドで病室に戻ると、夫がいた。
別に何も頑張っていないのだが、夫の顔を見たら安心したのか泣けてきた。泣かないけど。
1人目の時もそうだったが、出産後に感動で泣くとかはなかった。
 そもそも病院という空間が、馴染み深くて嫌だ。
医師とか看護師とか薬剤師とか…。
仕事に来ているようで。
少し、私の仕事スイッチが入ってしまうのだろう。
助産院とかの和室で出産だったら感動できたのかなあ。
いや、そんなことないか。
泣かないといけない訳ではないし。
でも、泣いている人はきっと愛情深い人間なのだろうな。
私はそこには立てない人間ってだけだ。

ああ、さっそく出産後のおかしなメンタルになりかけているぞ?笑

 ひとまず今日は中村淳彦さんと澤円さんの対談を聞こう。
始まる前、Voicyやスタエフを聞いていた。
担当看護師さんに「ラジオですか?」と質問された。
「Voicyってアプリです」と答えたが、やはり知らないようだった。

 私は少しずつ看護師から離れていっている感覚がある。
私の周りには、看護師をしながら文章を書いている人はいないし、Voicyやスタエフを聞く人もいないし、ディスコードを使って別のコミュニティに入っているような人もいないし、医療関係以外の本を読む人も少ない。
 10年間変わらなかった、“看護師の私”が変わってきている。
それは、妊娠とそのトラブルにより仕事を休む期間が長かったから。
この期間のおかげで、私は文章を書いたり深く考える時間ができた。
妊娠・出産により、文章を書くのが難しくなると思っていたが、看護師を離れれた時間のおかげで、私は少し落ち着けた。
 看護師に全てを捧げ、看護師として骨を埋めるという過ちを侵さずに済んだのだ。
人を救うという正義感を持ち続けれるような人間だったのならよかったが、私には無理だった。
こんな毒親怨念だらけの、老害よ消えろ!的な記事を書くような人間が、正義感を持ち続けられるわけがない。
 看護師に全身全霊をかければ、十分な収入を得られる。夫と2馬力ならば、小金持ちぐらいの位上げはできただろう。
だがきっと、この今の私の方が居心地がよく、息がしやすく、豊かなのだ。
 娘・息子達よ、申し訳ないが、私の豊かさのために、小金持ちという表札は捨てさせてくれ。
 「“家庭円満”は君にかかっている。君が笑顔でいることにかかっているんだ」と夫に言われたことがある。
都合のいい言葉ばかり、聞き入れている私だ。


 Instagramに映し出されているような、キラキラゆったり妊娠ライフとは程遠かった。
だが、たいして皮肉にならずにいられた。
妊娠後期の数ヶ月間、私は看護師ではなくライターの私になれたからだろう。
 最後まで私ファーストで、家族には申し訳ない笑
でも君たちも自分ファーストで生きてくれればいい。
母親の私のことなど気にせずに。だ。


息子の名前には“絃”という漢字をいれた。
楽器に張る糸。
別に音楽に詳しいとかではない。
ただ、音楽へのイメージ。
楽しさ、豊かさ、穏やかさ、そして自由。
音を出すには不可欠なもの。
君は親からしたら不可欠な存在であることを、当たり前のように感じながら生きていってほしい。


 全く穏やかな妊娠・出産ではなかった。
もし今が江戸時代だったら、間違いなく私も息子も死んでいただろう。
未来が与えられた。
当たり前だ。
現代の医療、こんなことで死んでられない。
大したことではない。
ただ、それでも君も私も命をかけたはずだ。
当たり前に感謝。それがどれだけ難しいことか。
もし、死にたくなったらここへ戻ってこればいい。











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