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親から虐待を受けた子どもは人生終わるのか⑥


虐待を経験し、親の役割に何を求めるのか

 虐待を受けたことがある人は、親とは?について考えを巡らすものだと私は思う。
親の存在、役割、立ち位置はなんなのかと。

 因みに私が小学生の時の出来事だが、再婚した義母に「(母親の)私はなんのためにいると思ってるの?!」と聞かれ弟は「ご飯や洗濯をしてもらうため」と即答し、怒鳴り散らされていた。当時の私も弟と全く同じ言葉が頭の中に浮かんでいた。次は自分に同じ質問がくるかもしれないと思い、一生懸命理由を探していた。
ふいに、「この私の目の前にいる“母親という名前の女性”はなんのために存在しているのだろう」と変に冷静になった。そしたら義母の怒鳴る声が遠くなっていき、自分の思考の世界に入り込んでいったのを覚えている。
 今思えば、親の存在理由について考え始めた瞬間はこの時だろう。
あの時義母が弟に求めていた模範解答がわかるまで数年はかかったと思う。当時の私は母親の存在意義が本当に分からなかったのだ。
周りの人達の親を見て考えたり、今思えば参考にすべきではなかったがアニメで比較することも多かった。
考えを巡らしていくうちに、自分はどんな親の元に生まれたかっただろうかと幼少期はよく妄想した。
 彼はどんな考えをもっているのだろうか。

「どんな親であってほしかったですか?」
「お金持ち。ご飯がない日とかあったから」
シングルマザーに食べざかりの男の子が3人。
今日は何もないからと言われ、1日食事がない日もあった。
 どうだろうか?ここまで彼の半生を聞き、愛情深い親、暴力を振るわない親、普通の親といった返事が来ることを想像したのではないだろうか。
だが、裕福と答える人だっているのだ。
 日本人の一般層の風潮に、お金をもっていること・稼ぐこと=悪という考えがまだ残っている。
お金持ちの人を見て「きっとこいつは悪いことしてる」と父親が言葉を漏らしたことが印象に残っている。
日本は貧乏な国になりつつあると言う人もいる。それでも一般的には衣食住は満たされ、保険を使い病院で治療はできるし清潔な水やトイレがある。インフラは整っているのが普通だ。
発展途上国の人に比べたら〜、戦後に比べたら〜、と言う人もきっといるだろう。
だが、みんなで貧困なのと、自分だけが貧困なのは違う。
みんなで食べられないのと、自分だけが食べられないは違う。
当たり前のことが自分だけ与えられない感情は、その境遇を経た人にしか知り得ないだろう。

 私が小学生の頃、食事をよく抜かれた。特に土日は確実といっていいほど食事を抜かれるから、金曜日の給食で余ったパンをカバンの奥にしまい持ち帰った。
自分の部屋に戻って隠し、お腹が減ったら少しずつこっそり食べた。パンの袋が親に見つからないようにするために、カバンの奥に隠して週明け学校で捨てた。
 お腹が減っても食べられないことは、心の余裕をなくし物凄い不幸な気持ちにさせられる。
惨めという感情は思考を鈍らせる。私は万引き行為が頭をよぎってしまったことがある。


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