『子鬼のつぶやき』 第二話

(→第一話)

部活


 目が覚めると、圭司はすぐさま昨晩のノートを見直した。

 数学の宿題のノート。その隅っこに書かれた一言。
――ぼくはころされた

 僕は殺された、とつぶやいてみる。それからようやく、圭司はホッと胸を撫で下ろした。いつの間にか書かれていたそれは、また消えてしまうのではないかと、正直ヒヤヒヤしていたのだ。
 けれど、確かにそれは見間違いではなかった。

 季節は夏の盛り。昨日の雨は嘘のように、暑い朝日が部屋の中を照らす。土の地面には水溜まりと車のタイヤの跡があるだけ。蝉の鳴き声がうるさいくらい。

 外は変わらぬ夏休みの朝。だが、圭司の部屋は違った。まるでテレビでよく見る殺人現場のように、机の上のノートを中心にして、まずはその周囲をそっとくまなく探してみた。何か他に手掛かりは無いのか、と。

 机から椅子へ。椅子から床へ。床から枕元へ。しかし、何も見つけることはできない。

 寝汗とは違う汗が首もとを伝う。散らかった部屋を一通り探し終え、彼は再びノートを見た。ちぇっ、他には何も無いのかよ。

「誰に殺されたの?」

 お化けが答えてくれる代わりに、ドアがノックされた。

「圭司起きてる? そろそろ行くから支度しなさい」

 母の順子だ。時計を見るとすでに八時を回っていた。圭司は、自分の独り言を聞かれていたのではないか、と内心ヒヤリとした。

「はーい! 今いく」

 彼はもう一度だけノートの文字を見てから、急いで着替え始めた。


 順子の運転する車の後部座席で、圭司は窓外の夏色の田舎道を目で追う。

 圭司はサッカー部員だった。ポジションはフォワード。受験に専念するために春の大会が最後なのだけれど、お盆の後にある大会まで三年生は在籍を許されるのだ。もちろん、引退した三年生もいた。しかし、圭司を含めて、半分以上の部員たちが夏まで残ると決断したのは、春の大会が不甲斐ない結果に終わってしまったからなのかもしれない。

 大会も近い。正真正銘、中学生最後の公式戦だ。だからこそ圭司も、夏休みの間は母の順子に送ってもらって、毎日の部活動に熱を入れる。

 ラジオ体操をしている公園を通りすぎ、車は緩やかなカーブを曲がる。拍子に座席に乗せていたマイボールが、圭司の足元に転がってきた。学校に近づくにつれ、サッカー部員に関わらず、自転車に乗った生徒たちが増えてくる。皆、学校指定の体操着を着て、頭にはヘルメットを被っていた。

 本来なら、圭司も自転車に乗って学校に通うはずだったのだけれど、半年ほど前の春休みの時に、半田一家は引っ越しをしたのだ。

 理由は簡単。順子と姑(圭司の祖母)の仲が悪かったからだ。

 母も気の強い性格だから、いちいち祖母に反発した。しかし、若干の痴呆も現れたとなると、さすがの母もみるみる内に窶れていった。結果的に平日はホームヘルパーを雇い、週末は父の智則が実家に行くという話に着地したのだ。

 そして、逃げるようにしてアパートに越してきたのだ。圭司には優しい祖母も、母にだけは厳しかった。最後の見送りの時、祖母が順子に向けてはなった言葉も、圭司はよく覚えている。「あなたの家はもうありませんから」

「今日は何時までだったっけ?」

 学校に到着し、車から降りようとする圭司を母が呼び止めた。

「お昼までだよ」
「そう。怪我しないようにね」

 そう言って、順子は車を走らせていった。
 爽やかな田舎の風が吹く。蝉の鳴き声の中で、遠くから自転車のベルの音が聞こえてきた。



『子鬼のつぶやき』という短編小説を連載しています。ぜひお読みになられてくださいね。