自称

わたしの大切な人はたくさんいます、幼稚園、小学生とか中学生の記憶は脳が拒否しているのであんまり思い出せませんが思い出す限り思い出して自分と向き合う時間にしようと思います。

まず中学生の時出会った、おさとうちゃん(仮名)はすごく優しくて多分この子以上にやさしい人間にこれから先出会うことはない気がしています。いまだに会っていません。世間一般から見たとき中学生なのに明るい茶髪でお化粧をしていて赤いリップでスカート短くてタバコ吸っててお酒飲んでて、、、って大人が言う所謂不良というものにしっかりあてはまっていたと思うし、学校にもあんまり来なかったから悪い子という括りで見られる子だったと思うけど本当はこの世界で一番優しくて強くて儚い子だった気がする。(”気がする”っていうのはすっごく記憶が曖昧だから。私の人生の中で一番絶望を感じて今の私のダメダメなところをしっかり構築してきやがった場所だから思い出したくないし思い出せない。)おさとうちゃんはおさとうちゃん自身弱いままでいていいと思っていたし、弱いものも全部私だって生きていたからかっこよかった、逃げていいんだってその時思わせてもらったし悪い意味で私の逃げ癖が付いた。でもなにより、おさとうちゃんは私のヒーローだった。悪いことはいっぱいしたし(可愛いこと・いたずら的な)嫌なものから逃げる術もたくさん教えてもらったし、おさとうちゃん経由で世間一般的に煙たがれる存在だろうと認識できる風貌、存在、雰囲気、素行の人間にたくさん会って遊んだ。でも、おさとうちゃんは私にタバコとお酒はダメだって周りから守ってくれてて私は染まらないように、今を楽しんでそのあとは全うに生きられるように知らない間にレールを敷いてくれてた。高校三年生の受験シーズンには、おさとうちゃんは学校に全くと言っていいほど来なくなった。それが私にとって良いことであったか悪いことであったかは分からないけど悪いといわれるモノは私のまわりから消えて自分の生活は自分の中で180度変わった。いつの間にかメールもしなくなって連絡もしなくなって今どこで何をして生きているのかわからない。会いたいか、と問われるとちょっと考えられないけど近況は聞きたい。どんなことがあってどんな生活でどんな生き方をしているのか、おさとうちゃんは生きてんのかな。もしかしたら空像になってるのかな

おさとうちゃんが学校に来なくなってからメルヘンちゃん(仮名)と遊ぶことが多くなった。メルヘンちゃんは私に表現の自由を教えてくれた。可愛い顔と可愛い虹色の犬のマフラー、黒いツルっとした布地に血が流れてるみたいに赤色が入っているスニーカー、そういやずっと黒いタイツはいいのに白のタイツはダメなの?って言ってたな。私服はパステルカラーで統一されていてジーンズなんてはいているところ見たことないし可愛いひらひらしたスカートで、たまにレザージャケットを甘いお洋服の上に羽織ってくるところがとてつもなく可愛かった。メルヘンちゃんは、なにより性格はめちゃくちゃサバサバしていて萌え萌えキュンって感じじゃないのも可愛いポイントだったな。メルヘンちゃんはなにより私を新しい世界にいっぱい連れて行ってくれて新しいものをたくさん見せてくれた、そのかわいすぎる外見からたまに勘違いされていたりもしたけどメルヘンちゃんはメルヘンちゃんのまま生きていたし何かと戦っていた。お互いそんなにたくさんは干渉しなかったしメルヘンちゃんはメルヘンちゃん、にひらはにひらって尊重し合っていたと思うしお互いの好きなものを否定するようなことは一切なかった。それが安心につながっていたし、今の私がちゃんとこれが好きだって言えるようになったきっかけで原点だ。

高校受験が迫って私は塾へ通った。毎日自習室でプチシリーズのチョコチップクッキー(抹茶)を食べながら参考書みたいなのを解いてて、その時出会ったゆかいな友達との思い出は最高だ。初めて勉強というものに真剣に取り組んだし、分からないという気持ちと向き合った。おさとうちゃんから”逃げ”を教えてもらって、その代償として失った努力・忍耐、それに伴う成功・挫折・絶望を勉強というもので学んだ。ある程度努力と結果が点と点でつながっていい気になってめっちゃ偉そうになったけど(それはそれで私が努力+経験で培ったものであったはずなので今、そこは置いておく)私が大嫌いな勉強、塾、点数、順位というものに真っ向勝負できたのは、ゆかいな友達のおかげだ。いちばん妹でいさせてくれたから今まであまり出さなかったわがままな私を出してそれを受け止めてもらえて、甘えることを学んだ。しょうもないことがどれだけ面白いか、ということを男の子と遊ぶようになって肌で感じた。たのしかった。

高校に入学した瞬間のことを私はあまり覚えていないけど、”にひらみく”として生きてきた私を”にひら”という別のなにかが侵食していった。”にひら”という虚像が独り歩きして私はこうでいなければいけないという狭いスペースに押し込まれた。私は個性的だと言われたけど、自分ではそうは思っていないし好きなものを好きだと思って生きているだけだったけど、周りから”にひらは”これ好きだよね、という会話がいろんなところで生まれて、幸か不幸か”にひらの”が増えた。”にひらみく”としての存在は消えて新しく”にひら”が生まれた。漢字でもアルファベットでもカタカナでもなかったそれが怖かったしそれをうまく利用した。

私は気付いたら中学と違って高校では女として認識され、男から恋愛対象・性対象として見られることがとてつもなく怖くなった、男と話すことが嫌になったし友達というコミュニティーでしょうもないことに全力で取り組むことはなくなった。触られることから全力で逃げた。私はそこから男友達というものがいないし作る気もない。なんかが変わっているのをちゃんと感じた。

そういう”にひらみく”が消えて2年経って高校3年生になった時、変な奴らと同じクラスになった。バイトしてんのかしてないのかわかんない平日なら(休日もある程度暇)みんな集まれる人たちだった。わたしは取り繕うことも忘れるくらい楽しかったし、なにより私に深いとこまで関わってこなかった。朝から寝てお昼ご飯の時間になっても起こしてくれないことなんて日常だったし移動教室も教えてくれない。本当に友達か?といわれるだろうけど私は心地よかったし私になれた。よく二人で遊んでいたドリームちゃん(仮名)は馬鹿すぎて面白かったし、わがままに自己主張激しく生きてる女の子で一緒にいるとプラシーボ効果にかかったような気持ちになってた。今連絡が取れない、というか取れるけど取っていない状況なのであまり多くは言えないけど、今は私が変わらなさすぎた+ドリームちゃんが大人になったということで一緒にいられない。だけど間違いなく私は感謝しているし大好きだったし好きだ。

それから長野の山で一人働きに行った。ずっと泊まりに行っていたホテルで大好きな場所。なんにもなくてあったかくて冷たくて、雲に隠れて消える場所。だけどそういう場所だったからこそ人と真摯に向き合えた。邪念とか下心とかなく心から人にかかわることが出来た。出来ないことも笑えないことも不安感も焦燥感も全部が凝縮して私というものがリセットされた場所。でも正直今はもうあの場所に行くことはできないし、去年と同じような気持ちで働くことはできない。必死というものを学んだし、それが向いていないことも学んだし人と住むということの自分なりの恐怖を味わった。一人が向いていると知った。でもわたしはあの特殊な場所で奇異な体験・経験、そして多くの学びを手に入れて失ったことに関して1年もたつけど全部を受け入れて消化できたわけではない。見て見ないふりしていることだって多くある。でもそれくらい大きくて多くて膨大な何かがまだ私の身体・脳に記憶として埋め込まれているということは何もかもが無駄ではなかったし何もかもが経験で私にとって人生のターニングポイントだった。多分またあの山頂にある場所に帰ることになったらいろんな封印している気持ちや忘れようとして意図的に忘れ去られている記憶が溢れてしまうんだろうな。怖いな。

それから大阪に帰ってきてからもたくさんの人に出会ったし、私はいきなり消えた。何回も消えて行方不明の人間になっていると思うしいろんな人の中で何度も死んでる、殺されてる。それは申し訳ないと本気で思っているし、いつももう二度としないって思ってるのに守れない。メンヘラでいうリストカット・ODのようなものなんだろうな。多分高校生の時感じた”にひらみく”として生きられないと思った瞬間に逃げたくなるんだと思う。そういう書き方をすると高校生の時より今の方が弱いみたいに見えるけど、それもあながち間違いではないのかもしれない。人から逃げたくなる時はいつも夜中でSNS全部シャットアウトするだけで消えられる世界に絶望してる。もう逃げないし逃げたくないな本当にそう思ってるよいっつも!



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