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「元号」狂騒曲

 新しい元号を巡って、TVや新聞、メディアが騒がしい。今までと違って天皇崩御に伴う改元ではないだけに彼らも神妙にする必要もなく、心置きなくバカ騒ぎ出来るからだろう。


     私自身は使いにくい元号など廃止して、西暦に一本化した方がよほど合理的だとは考えるが、現行では元号は天皇の諡(おくりな)にもなる訳で決めない訳にもいかないのは確か。ならばいっそのこと今のように天皇が即位する時ではなく、退位する時に相応しい諡を選んで、それが結果的にその天皇の在位中の元号となる方がいいのではないか、とも考えたりもしている。これならば元号は後から決まるので、今上天皇在位中は元号なし。必然的に西暦一本になるから一石二鳥だと思うのだが…(笑)。

閑話休題。

    昨日、私はこういうツイートをしたのだが、メディアが新しい元号ではしゃぐのはともかく、こういう認識は絶対に間違っている。

   元号は、西暦もそうだが、単なる“機械的、数字的な区切り”に過ぎないし、それで実際に「時代」が変わる訳ではない。「時代」は、戦争だったり、311の大震災や原発事故だったり、リーマンショックだったり、それこそ再政権交代による安倍政権の誕生だったり、もっと前の小泉・竹中の構造改革だったり…私たちの生活や社会、経済活動や政治などを現実に変える出来事や力によって変わるのだ。

   もし元号が変わることで本当に「時代」が変わるのならば、私たちは何が「時代」を変えてしまったのか、その原因を考えることもなくなってしまうし、「時代」を変えてしまった責任を誰もとらなくていいことにもなってしまう。

   私たちがいま生きている「時代」はどこで変わってしまったのか?何によって、誰によって変えられたのか?…それを考えつづけることこそが歴史に学ぶことだし、必要だと私は考えるのだが。

   間違っても、4月1日に発表される「新しい元号」などで時代が変わったなどとは思わないことだ。それでは、それこそ“エイプリルフール”に騙されるバカと同じなのだから。




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