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昭和のランドセル

そろそろ入学準備、幼稚園の頃にランドセルを予約したり購入したりする親子が増えたそうです。

この時にはおばあちゃんも張り切って一緒に選びに行くかと言うとそうでもなくて子供の意見が一番!今や女の子でも黒やグレー。男の子でも赤やパステルを選ぶ子もいて時代も変わってきました。

子どもたちは二人ともランドセルは使わず息子は斜め掛けのカバンを後ろに回して走って登校していました。

娘は布製の大きなツーウェイのカバン。そのころから自由な公立小学校だったようです。

私の時代。もう遥か昔ですが、祖母がお気に入りの大丸に連れて行ってくれました。
当時、色は女の子なら赤、男の子なら黒と決まっているようなものでした。

赤でもニ、三種類。少しピンクが勝ったものや、深紅。そして鮮やかな。

私はその三種類でもなかなか決められなくてきっと母は、気が気でなかったかもしれません。いくら気が長い祖母だと言っても限度があります。

「これはどう?」とか「こんな赤、誰も持ってないよ!」と横から口を出すのですが一向に「ウン。」とは言わない私でした。

その色の名前を知らなかったのです。朱色。「それと赤がどう違うの?」と言われても…。説明できない分、黙っているので余計におとなたちには理解できないようでした。

大丸はまだ豊富とは言えないですがほかのお店より数種類の赤がありました。その日は決められなくて帰ることになったのですが、
「思っている赤と同じのを見つけたら言ってごらん。」と言うことで帰りはドンクに行ってチョコレートパフェを食べ、お土産にバッケットを抱えて帰りました。

ぐったり疲れたような祖母と母でしたが、私はその色を探すのにいろんな本を出してめくったり、家中の赤を探したり…。

それはひょんなところから見つかりました。駄菓子屋さんのキャンデーの包み紙。「これこれ!」と興奮気味に指さす私でしたが、もう一つ分かってもらえなかったのは事実です。

父にその包み紙を見せると笑っていました。
「同じようなのを見つけるのは大変だから今度行った時はこれによく似たので我慢しなさい。」と母に言われて今度は大阪難波の大丸へ阪急電車に乗って行きました。

神戸とは違って、人がたくさんいました。難波の大丸は美術館みたいな柱の彫刻、天井は高くて凝った細工の素晴らしい建物でした。

小さな時からそんな場所が好きでしたから、ランドセルのことは半ば忘れていてその階に着いたときは赤に拘ることさえ忘れていました。

が、さすが大阪。神戸よりたくさんのランドセルが並んでいました。
なんとそこに頭に描いた朱色のランドセルがありました。

隣のトマト色と比べると落ち着いていて見つけた喜びで小躍りしました。
もちろん学校が始まるまで背負っては家族に見せるのが日常となりました。

集団生活の始まり。緊張したり、馴染めなかったり最初は今までのようにはなかなかいかないものですが、家族から離れていく第一歩。

ふとそんな昔ばなし。母たちをてこずらせたランドセルのことを思いだしました。

今日もいい日にしましょう!


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