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インターネット登場以前「キャプテン」で味わった体験と教訓

平成がもうすぐ終わります。昭和から平成、そして令和へ。約30年間で著しく進歩・変化したのが通信・メディアの世界ではないでしょうか。昭和後期の1980年代に登場した幻のニューメディア「CAPTAIN(キャプテン)システム」を知っている人はどれだけいらっしゃるでしょう。
先日、部屋の片づけをしていたら、サービスを利用するための端末「キャプメイト」が出てきました。せっかくなのでテレビに接続し電源を入れてみました。使わなくなってから20年以上たちますが、無事に立ち上がりました。懐かしい初期画面を眺めながら当時のことを書いてみます。

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■1984年開始、電話回線使い受信

キャプテンは文字や画像で情報を提供するサービスで日本電信電話公社(現在のNTT)が1984年に東京や大阪など大都市圏を中心に開始しました。パソコン通信やインターネット、携帯電話が登場するよりはるかに前にあったサービスです。電話線をつないだ専用の端末にテレビをつないで使い、ニュースや天気予報、ネット通販もありました。フランスでも「ミニテル」という同様のサービスがありました。

サービス開始当時のCM

私は1988年(昭和63年)、大学4年の時(大学に5年おりました…)にキャプテンを使い始めました。新しいもの好きだったのでパソコンやCDプレーヤー、音声多重放送に対応した高画質のHiFi(ハイファイ)ビデオデッキといった最新のAV機器をいち早く取り入れていました。ちなみに1985年に最初のCDプレーヤーを購入した際に、買ったCDは菊池桃子さんの2ndアルバム「南回帰線~トロピック・オブ・カプリコーン」です。

■きょうの天気からオトナの情報まで

コンテンツ提供の仕組みは今のネットとほとんど変わりません。ニュースや天気予報のほか、JRA(日本中央競馬会)の競馬のオッズもリアルタイムで見られたので重宝しました。各地に情報提供会社が設立され、郷土情報や生活情報を発信していました。カープ好きの私にとって中国新聞のカープコーナーは情報が充実して面白かったです。利用者が少なかったためでしょう、懸賞に当選しやすかった記憶があります。有料のコンテンツやアダルト番組もしっかりありました。役所や大きな駅に設置される公衆端末もありました。

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新聞やNHK、銀行が特に情報提供に力を入れていました。大手の銀行はほとんど自社のページを開設していたような気がします。残高照会のほか、なんと振り込みもできました。私は三和銀行(現在の三菱UFJ銀行の前身のひとつ)金沢支店にキャプテンを使ったサービス開始の手続きに行った際、支店長が出てきました。「ちょっとお話をしたい」と別室で対応してくれたので驚きました。なんでもこの支店でキャプテンの口座開設は初めてで、「どんな人なのだろう」と思ったそうです。もちろん、ただの学生だったので、こちらは恐縮することしきりでした。そのくらい個人の利用者が少なかったようです。

■JRの指定席も取れました

学生時代は「こんな最新メディアを持っている」という自己満足の面が大きく、実用的なメリットはあまり感じていませんでした。就職してからはかなり役立ちました。最も威力を発揮したのがJRの指定席予約です。当時は空前のスキーブーム。会社の同僚と大人数でスキーに行く際の切符予約に活躍しました。ほとんどの人が駅のみどりの窓口で乗車券と指定席券を購入していた時代。リアルタイムで空席情報がわかるので、こまめにチェックしていくとキャンセルが出た時にとれました。

液晶テレビに映る初期画面には現在のウエブブラウザでいうブックマークにあたる「自動接続」にNTT、JRA、JALなどが入っていました。

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もちろん、接続はできませんでした。

■2002年にサービス終了

便利で先進的なサービスではありましたが、残念ながらほとんど普及しませんでした。少なくとも私の周りで家で使っている人はついに現れませんでした。利用者が増えない→魅力的なコンテンツも集まらない→さらに利用者減を招く→コンテンツ減少へという悪循環に陥りました。1990年代半ばからインターネットが普及しはじめ、利用者は一斉にそちらに流れます。
1995年3月30日の日本経済新聞朝刊に「NTT、開始から10年余り、キャプテン事業上撤退 料金割高で顧客低迷」との大見出しの記事が出ました。
当時の記事です。

八四年十一月からサービスを開始したが、専用端末や回線使用料の高さなどが壁となり低迷が続いた。商用パソコン通信網との接続により最近は新規契約が増加基調にあるものの、契約回線数は約十六万回線にとどまっている。(原文ママ)

2002年にサービスが終了しました。

最初に紹介したフランスのミニテルは数百万台の端末を国内に無料配布し、広く普及しました。ミニテルが普及していたため、フランスのインターネットの普及が遅れたといわれるほどです。 それでも2012年にサービスを終了しました。

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ネットワーク上にサーバーが置いてあり、双方向で情報を提示する。自分がほしい情報を好きな時に呼び出せる仕組みの先駆けになったのがキャプテンでした。回線の遅さ、グラフィックの粗さなど技術的には今のネット環境とは大きく見劣りしますが、今のネットでできることはほとんどできました。初期の取り組みとしては面白いガジェットだったのではないでしょうか。端末は再び大切に保管します。

■「令和のキャプテン」はなにか

令和時代がもうすぐ幕を開けます。ネットが普及し今の情報端末の主役はスマホです。さらにAIスピーカーにAR、VR、ペッパー君、オンライン翻訳、AI会話ボット、ドローン、スマートウオッチ……平成が始まったころと比較にならないくらい数えきれない商品・サービスが登場し、普及を競っています。
30年後に残っているもの、消えているものはなんでしょうか。1994年6月22日の日本経済新聞朝刊に「通信自由化10年目の岐路」という囲み記事のなかにヒントがありました。NTT民営化により通信自由化が始まって10年目となるこの年。通信・放送に関する市場、制度、政策といった各方面で崩れ始めた枠組みを検証した記事です。
以下は抜粋です。

 十年前のニューメディアブームは、「技術」が消費者の「ニーズ」を実現できるレベルに達していないままサービスが始まり失敗した。NTTのキャプテンがその典型例だ。(原文ママ)

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