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私の10年を肯定してくれた一皿のこと

つい先日。私はとうとう、人生初・ミシュランデビューを果たした。個人的な節目として、意を決して予約したのだ。

お店は新潟県村上市の「割烹 新多久」さん。予約してからの3か月間、それはもうそわそわしっぱなし。

「30歳までに恵比寿の某ミシュラン店にデートで行けたらイイ女」という定説(?)とはかけ離れているけれど、私には理想のミシュラン・デビュー様式があった。

自分の稼いだお金で、ひとりで、カウンターで堪能するというもの。

だからお店に着いて、カウンターの一番奥それも大将の目の前の席に通していただいたとき、内心ガッツポーズをしたものだ。

胃のコンディションも完璧だった。なにせ万全の状態で臨むため、3日前からコーヒー・揚げ物を絶っていた。小食気味にはならないよう、1日3食、炭水化物は欠かさずに。あまりに楽しみで、前日は目が冴えて眠れず睡眠不足だったけれど。

そんなこんなで迎えた当日。私は新潟県村上市や佐渡の食材を存分に堪能できる、「おまかせコース」をいただいた。

結論としては……想像を遥かに超えてあまりある、最高の2時間だった。食の奥深さと素晴らしさを実感することはもちろん、大袈裟ではなく、学業も仕事もほぼ食分野に費やしてきた私のこの10年を肯定された気分になったのだ。

そんな見事な料理の数々から、特に印象深いものについて紹介したい。

忘れられないスゴイ一皿

佐渡で揚がったばかりのネジマグロを、炭火で焼いたもの。辛味大根のおろしでいただく。

このお料理は、すごかった。

食に関わる森羅万象に思いを馳せてしまう料理だった。そんな大袈裟な、と思われるだろうから、感じたことを全て書く。

このお料理を口にしてからしばらく、私は不思議な高揚感が収まらなかった。

このマグロは大将自ら漁師さんから今朝買い付けたものだ、と教えてもらった。焼き場の目の前という最高のロケーションで、捌くところから焼くまでの工程をまじまじと眺める。皮は炭火で直接、身は時間をかけてじわじわと炙る。身からしたたり落ちる脂に、うっとりしてしまった。

目の前に運ばれてきた一皿を前に、このマグロが今朝水揚げされ、この店に卸され、丁寧に調理され、私の口に運ばれるまで……その途方もない工程と手間、かかわる人の多さをおのずと想像していた。

マグロだけではなく、添えてある辛味大根や醤油もすべて同じ。いや、コンビニで買うおにぎりも、スーパーで買うお惣菜にも、自分で育てて収穫した作物で限り、ふだん口にする食べもの全てに当てはまることだ。

また、マグロを捌く、串に刺す、じっくりと炭火で炙るという一連の調理法も、長い歴史の中で培われ磨かれてきた技術なのだとしみじみする。

お味は言うまでもなく美味しかった。

実は私は、焼いたマグロがあまり好きではなかった。けれどこの料理に「マグロ=刺身」の固定概念を粉々に砕れた。

美味しいマグロはしばしば「お肉みたい」と表現されるけれど、そんなのマグロへの冒涜だ。これはマグロだからこそのおいしさだ。肉でも他の魚でも代替できない。10キロくらいの赤ちゃんマグロだからこその柔らかい食感、くどくない脂身。でも炭の香りに負けない味わい。

大将に「焼いたマグロもいいもんでしょ」と言われ、ひたすら頷くしかなかった。

さらに、マグロが生きるためには美しい海が必要で、美しい海のためには豊かな森が不可欠で……というところまで思考が飛んで行ってしまった。これは自分でも驚いた。

たった一皿でその背後にある途方もないスケールを想像させられる料理なんて、そうそう出会えるものではない。

とにかく、このただ一皿によって、私は食にまつわるあらゆることに思いを馳せたのちに、食の素晴らしさを改めて心底感じさせれられたのだ。

そうして、そのような食というものに捧げた自分の10年もまた、素晴らしいものだったと思えた。誇らしささえ覚えた。泣きそうだった。

(一つの料理だけで約1000文字近く語るって、狂気じみていると思う。この感動が伝わるといいな。)

踊りたくなるほどおいしかった地元産のヒラメ

これはもう……たまらなかった。正直、味だけでいえば一番「おいしい!!」と感じたお料理だ。すだちと塩だけでいただく。思わず一人で満面の笑みになってしまうおいしさ。手足をじたばたさせたくなる。

こりこりして、ねっとりして、「つい昨日の今頃は海で泳いでいたんだなあ」と実感する力強い弾力。食べるとはつまり命をいただくことなのだ。

後々知ったことだけれど、実は最近まで新潟産の魚の質はそれほど高くなかったそう。魚は鮮度も大事だが、「締め方を含めた魚の扱い」がおいしさを決めるらしい。ヒラメなどの白身魚は特に。

「新多久」のご主人と村上市の老舗料亭「能登新※」のご主人、そして地元の若手漁師さんの対談をきっかけに、ヒラメを活きの良い状態で市場まで持ってくる漁師さんが増えたり、漁師さん向けに魚の締め方講座が開催されたり、それらの積み重ねで新潟・村上の魚の質が格段に上がったそうだ。

(大将はそんな偉業をひとことも語らなかった。上記は本で知った情報だ。)

※「新多久」はもともと「能登新」の「新宅」としてオープンしたお店。能登新さんでは2日目に鮭のコースをいただいた。

それからこれは地元産のボタンエビ。ソースは何ですか?と訊けば、ボタンエビの味噌だと教えてくれた。肝の部分はぬか漬けに使うらしい。それも「食材を余すことなく使いたい」という気持ちから。美学だ。

最後の土鍋ごはんは岩船産のコシヒカリを地元のおいしい水で炊いたもの。コメの一粒一粒が粒だっていて、お米をちゃんと炊くと、こういう風になるのか……と感嘆する。

ちなみに、いただいた緑茶や烏龍茶も地元の水で淹れたもの。水のおいしい土地は、お米もお酒はもちろん、お茶もおいしいのだ。

途中で出てきた「あん肝をペースト状にしたものを香ばしく焼いた麩でサンドしたもの」も衝撃的だった。

大将は「あん肝はぽん酢で食べることが多いですけど、全部ぽん酢味になるから面白くないなーと思って」とおっしゃった。

どうしたらこのような組み合わせを思いつくのだろう。ため息が漏れる。

香ばしくてパリッとした麩、濃厚なあん肝、さらに七味がちょっとだけ入っているから後味が爽やかな、最高のおつまみ。

先程の魚の質の話にも通じるけれど、最上を目指し日々挑戦を続ける料理人と、それに応えようとする生産者がいて、この国の料理はここまで進化してきたのだ。また泣きそうになる。

驚きと感動を繰り返しながらデザートまで食べ終え、店を出るやいなや、私は街灯もほとんどない暗く寒い小道の脇で、ひたすらiPhoneのメモ帳に感想と料理の説明を打ち込んだ。

この感動を忘れたくなかった。気づけば箇条書きで約2000字になっていた。

全部のお料理を紹介するのは野暮だから、ここまでにしておく。

つくづく、つくづく素晴らしい体験だった。

頻繁にお邪魔できるわけではないけれど季節を何度でも変えて訪れたい。そのたびに、食に捧げる人生の道程をしみじみと誇り、目指す場所に向かうための活力にしたい。

そして私は、この日いただいたお料理に関わるすべてのものに、心からお礼を伝えたいのだ。

※店内の撮影許可をいただいております

※お店のHPはこちら

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