9割と1割。
友人がシェアしていたこの記事が、とても印象に残った。
誕生学がどんなものなのかは、よく知らない。
けれど、ここに書かれた態度は、身におぼえがあった。
考えてみれば、学校の教壇に立ち、あるいは講演会の講師として登壇する大人の多くは「9割側」の子どもだった人たちです。そういった人たちのメッセージは、「生きづらさ」を抱える子どもを無視した「幸せな大人の自己満足」になってしまう危険性があるのかもしれません。
そこそこ幸せな「9割側」の人たちには、自傷行為に及ぶ「1割側」が見えない。僕自身はそういう経験をしてきた。
30歳まで、僕は「9割側」にいた。
学校でも会社でも苦労がなかったわけではないけれど、大多数の人と同じようにそれなりに(どころか他人から見たら相当に)うまくいっていた。
けれど、そこから離れて、だんだん足が福祉の世界に近づいていった。
「9割側」の外には、そんな人生があるのかと驚くようなつらい思いをしている人たちがいた。思えば、最初は「暗い話」や「重い話」も聞きつづけられなかった。
僕自身の経験でいうと「幸せな大人の自己満足」をする人に悪気はない。不勉強なわけでもない。
ただ、本当に見えていない。
というか、見ないようにしている。
なぜなら、彼や彼女の知っている「世界」には「1割側」の人がいないから。もっと言うと「1割側」の人がいることは、自分の ”幸せな” 世界が崩れてしまうことで、不都合だから。
「死ね」という子どもに対して「そ~んなことを言わないでよ~。もったいないよ~。だって死ぬって生まれることの反対だよ」と言って抱きしめる大人は、美辞麗句で子どもの口を封じて、窒息させていることに気づいていない。
「いいこと」だと思ってしていることが、その光(圧)の強さが「この人は話を聞いてくれない」「大人には頼れない」という子どもの影を濃くしてしまう。
大切なのは、「死ね」や「死ぬ」といった言葉に耳を傾けてくれる大人との関わりの積み重ねです。そうすれば、たとえ「いのち」の意味はわからなくても、自分や他人を大切にすることを自然に学んでいくはずです。
すべての子どもが美辞麗句で飾り立てられたおとぎ話の中に自分の姿を見いだせるわけではありません。
いや、もっとはっきりいいます。生きづらさを抱えた子どもに必要なのは、「いのちが大切」と説くおとぎ話ではなく、「あなたが大切」と感じさせてくれる人とのつながりです。
弱っている人、困っている人に対して、相手に関わる気もないまま、うまくいった自分の世界を陶酔がちに押し付けることは、何の助けにもならないどころか、害がある。
これを知るには「1割側」の人たちを好きになって、関わって、その痛みに触れ、なんにもできないと絶望するしかないんじゃないか。
「いのちが大切」とか「ありのままの自分でいい」みたいなことを言われたときに発露する、
「じゃあ、なんでおれの暮らしはこうなんだ?」
という問いを共にする気がない人は、そんなことは言わない方がいい。
と、いまや「1割側」になった僕は思う。
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