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2020年6月福島取材⑭/「負の遺産」

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個展やもやい展の準備などで遅れに遅れていた昨年6月の取材記、今更という気もしますがお付き合いください。あまり詳細なレポートは書けないと思いますが…

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双葉南小学校は、雑草こそ伸びてはいたが、双葉高校と比較して割と片付いているように見えた。

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体育館には14:46で止まったままの時計が。

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教室の中には当時の小学生の荷物がまだあったが、机の上にそれぞれまとめて置かれていた。後日、この双葉南小学校では、当時の生徒たちの私物が返されたと言う。数年前、浪江では、苅野小学校に放置されていた生徒たちの私物が放射性廃棄物としてまとめて廃棄された。原則的に、かつての強制避難区域に放置されたものは放射性廃棄物であり、圏外に持ち出すことは禁止のはずだが、ここでも基準が曖昧になっている。震災後は、あらゆる基準が政治の都合によって改変され、こんなグレーゾーンだらけだ。

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体育館の中には日本国旗があり、卒業式の準備がされていたことが伺われる。

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校舎内は定期的に掃除されてる様子だが、10年前のままの様々な備品が、「原発事故」を彷彿とさせる。洗濯して、干されたままの上履きや靴…

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思ったよりも小綺麗な双葉南小を後にし、六国沿いの東電双葉社宅に向かおうとしたところ、「私有地につき関係者以外進入禁止」の看板が立てられ、車で向かうことはできなくなっていた。

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双葉町内の様々な私有地、家々は晒しもののようになっているのに、何故東電の社宅だけ「私有地につき関係者以外進入禁止」なのか。Oさんは憤っていたし、僕も同じ思いだ。

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…後日写真を見直したところ、車道脇の階段が封鎖されていないことに気付いた僕は、今年2月にこの高台を上がって東電社宅を確認してきた。双葉町内の東電の社宅、寮のほとんどが今も手付かずなのに対して、ここは解体が始まっていた。何か隠したいものでもあるのだろうか?

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その後は双葉町役場へ。今も空き地にブルーシートに包まれて放置されたままの「原子力明るい未来のエネルギー」の看板の台座。町の街宣車も放置。

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倉庫には巨大なだるま。

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どれもこれも2017年11月に訪れた時とほとんど変わらない。ここでは時間が止まっている。こんなことを書くと、「少しずつでも復興しているのに」などと周辺での解体工事や復興公営住宅建設に携わるURの職員などから後ろ指を刺されたりするが、彼らが見ているのは、町のほんの一部でしかない。所詮目的地まで車で走り抜け、行った先の「点」を見ているだけの言葉に過ぎない。町を歩きながら、隅々まで線で現場を見ている僕を侮らないでもらいたい。

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倉庫の中には、最近「原子力災害伝承館」にただ置かれただけ、いや、展示されたばかりの「原子力明るい未来のエネルギー」の看板の残骸も残っている。バールなどでねじ曲げられたそれを見る限り、看板解体の際は「負の遺産として保存」なんて言葉は頭の片隅にもなかったことがよくわかる。

この看板が、辿った数奇な運命。2019年秋に岡山県津山市で個展を開催した際、この看板の話を聞いた山陽新聞の若い記者は僕の目の前で涙を流した。原発事故被災地には、こんな話がいくらでも溢れている。様々な不条理、理不尽な事柄を、僕ら表現者は現場を歩いて取材し、それをしっかりとアウトプットしていく義務がある。

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<続く>

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