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【誰にも期待しない】諦めれば全てを手に入れられる

みんな人に期待し過ぎだ。

期待というのは脳内オナニーである。

「これくらいはやってくれるだろう」という線引きを決めて、相手に押し付けているにすぎない。

そんなこと今すぐやめてセックスで快楽を得る方法を知った方がいい。

今日はそんな話をつらつらと。


してもらって当たり前というぬるま湯に浸かるな


親だから、友達だから、会社だから、夫や妻だから。

だから、してくれて当然。

してもらって、当然。

そんな人は全身がふやけてしまって、なんの魅力もない皺々の死に損ないでしかない。

期待というのは、脳内オナニーだ。

「このくらいはしてくれるだろう」と勝手にオナニーを始めて、思い通りにならないと「イけないのはお前のせいだ!」とキレる。

勘違いも甚だしいどころか、ただのキチガイである。

他人やなにかは、あなたのために存在しているのではない。

あなたのために生きているわけではないし、彼らには彼らの毎日や人生がある。

そこになにを期待しているのだろうか。

親に文句を言っている人ほど親に依存しているし、会社に文句を言っている人ほど会社に依存している。

友人や夫や妻もそうだ。

ああでもないこうでもないと御託を並べてる人に限って、それらから離れようとはしないのだ。

彼らはただ単に寸止めに快楽を感じるドMの変態なのかもしれないが、大半は物事を見誤っているだけだろう。

なぜオナニーには虚無感のある賢者タイムがあり、セックスには精神的幸福が伴うのか考えてみてほしい。

もちろんセックスに虚無感が伴うこともあるが、それは独りよがりのオナニーセックスをしたときだけだ。

独りよがりというのはとても虚しい。

精神的にも肉体的にも満足感など得られないし、出すもの出してスッキリしたはずなのに罪悪感に襲われるなど矛盾もいいところである。

ドMをただのマグロと勘違いしてる女は多いが、受動的であることと快楽を得るために自ら腰を振るのは天と地ほどの差がある。

あえて熱湯に突っ込むことで、冷水のありがたさが分かることもあるのだ。

まずはそのクソみたいな勘違いを改めることから始めてほしい。


諦めることは先へ進むこと


諦めるということを多くの人はネガティブに捉えている。

まるで逃げ出すような考え方をしているように感じるが、生きていればどうしようもないことや仕方のないことはいくらでもある。

努力は絶対に報われるものじゃないし、他人や環境を変えようなんて思い通りにならないものだ。

そこで人は諦めて先へ進むのだが、物事に見切りを付けるタイミングはとても重要だ。

可能性のないことに縋っているのは時間の無駄だし、多くのチャンスを逃すことにも繋がる。

更に追い討ちをかけることを言うと、往生際の悪い人は人から見てとても滑稽に見えるのだ。

私は私なりのルールを設けている。

「30%の確信が持てるなら、100%の確信だと自分を誤魔化してチャレンジせよ。可能性が20%まで下がったら、0%だと言い聞かせて諦めろ。」

だからかもしれないが、私は諦めが早いとも言われるし無謀だとも言われる。

だが、いつも思う。

人生はそんなに長くない。

時間は巻き戻せない。

やり残したことに悶々としながら死ぬくらいなら、なんでもとりあえずやってみたい。

その先のことはまたその先で考えればいい。

自分が今浸かっているお湯の温度がぬるく感じたら、それはその場を離れる(諦める)サインだ。

そこで自分を甘やかしてはいけない。

ただ消費するだけの人間になるな。


誰にも期待しないことで生産性を上げる


仕事における「他人に期待しない」というのは、一概に言えない部分がある。

チームプレーで成り立つ仕事もあるし、人を育てる意味ではある程度の期待が相手のためになる場合もあるからだ。

しかし、実生活において他人に期待しないことは生産性を上げられる。

よく聞くのは夫だから、妻だから、やって当たり前という感覚だ。

ずいぶん偉そうだなと思うが、彼らは相手が自分の期待通りにならないと「夫なのに!妻なのに!」と発狂する。

夫婦も所詮、他人だ。

紙に署名捺印するだけで誰でも夫婦になれるし、家族といえど血は繋がっていない。

積み重ねてきた時間など一瞬で崩れ去るもので、愛は不変でない。

だが、結婚というぬるま湯に浸かるとそんなことも忘れてしまうようだ。

確かに私も最長5年同棲したが、このくらいはやってくれるよねという感覚を持ったことがある。

大抵、その通りにはならない。

腹が立つことも多かったが、最終的には自分でやった方が楽でストレスも溜まらないと分かった。

そういう人を好きな自分にも責任があり、文句があるなら自分でやればいいだけの話だ。

それでも許容できないなら、誰にでも別れるという選択肢がある。

お金だの子どもだの世間体だのと理由を付けて別れないなら、相手のせいにするのはお門違いじゃないだろうか。

そして残念なことに、仕事であっても動かない人はいる。

納期を守らないどころかバックレるライターなんていくらでもいるし、バイトや会社員でも同じことだ。

「だから最初から全部ひとりでやります!」

となると、人を育てることは難しくなる。

冒頭述べたようにチームプレーで成り立つ仕事もあるし、一概にはいえない。

ただ、人には向き不向きがあることを知ってほしい。

自分の性格と能力を踏まえた上で、人に期待しない方が生産性を上げられる人も多いと思うから。


ラッキーを増やすと毎日楽しく過ごせる


私は男性にも引かれるくらい、記念日というものに興味がない。

なんなら誕生日すら面倒に感じてしまうタイプだ。

だから相手の誕生日も覚えていないことの方が多いし、自分の誕生日を祝われるのも面倒に感じたりする。

同じように「こうしてもらえて当たり前」と思うイベントや予想を持っている人は多いだろう。

特に対人関係において「私はこれだけしたんだから、お返しがあって当然だよね」と。

顔面ブスだろうと予想できるような思考回路だが、オナニーの押し付けや見せつけも大概にした方がいい。

サプライズやプレゼントというのは、相手に「祝ってあげたい」という善意があって成り立つものだ。

義務でもなければ絶対に約束されたものでもない。

日頃カリカリしてヒステリックばかり起こしているくせに「どうして私に優しくしてくれないの!」とはドン引きである。

それらが当たり前にあると思っていると、有り難みも少なく感じるものだ。

だが、逆に当たり前じゃないと思っていたらどうだろうか。

予想外の出来事は0か100であることが多いが、サプライズやプレゼント、相手からの善意は予想外であればあるほど100を上回ってくるものだろう。

些細なことでいい。

私の最近のラッキーは、隣に住む造園家のおじいちゃんが私の家の庭のお手入れを申し出てくれたことだ。

「この家には草原のイメージが合うから芝を植えるお手伝いをするよ」と言ってくれた。

子どもの父親である彼にも、私は一切の期待をしていない。

ヘルパーにもシッターにも「ほとんどシングルマザーと同じなので」と伝えてあるが、彼は保育士にでもなったのかと思うほど動いてくれる。

それでも、彼が動いてくれるという前提で行動計画を立てることはない。

もちろん隣のおじいちゃんがなにかしてくれるという前提で暮らすこともないし、親や友人、仕事関係に至っても同じだ。

今日は宅急便のドライバーさんと楽しい世間話をした

今日は彼とお腹がよじれるほど笑って話した

今日はセール品の可愛い洋服をたくさん買えた

なんだっていい。

その日起こったラッキーを感じられれば、毎日を楽しく過ごせる。

その全てを、当たり前だと思ってはいけない。


こだわることより諦めることを覚えよう


多くの人はこだわりを大切にするだろう。

成功したお金持ちの自伝や自己啓発本の多くにも、こだわりについてよく書かれている。

だが、私は諦めることをオススメする。

こだわりのために諦めることを覚えておくと、こだわりを貫けたりもする。

手放す、諦める、見切りを付ける、というのは簡単ではないが、それがスタートラインに立った瞬間でもあるのだ。

全部諦めて、全部手に入れよう。

できないことじゃないから。

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