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スマートな悪

昨夜はスマートな悪という本の読書会に参加しました。

社会のスマート化について、否定をしているわけではない。

最適化していくことは何も悪いことは起こらないというわけではないよというメッセージを受け取った。

スマートとは何か?

スマートというと言葉から連想するのは、賢さだ。

スマートフォンもいろんな機能があって賢い電話ぐらいと思っていた。だけど、戸谷さんの本を読みながら、そんな側面もあるのかーー!と驚く。

 「smart」の語源を調べてみると意外だったのですが、「痛み」や「苦痛」なんです。そして「鋭い」という意味も加わって、それから今日の私たちが思うような「賢い」という意味が出てきました。今でも英語では「smart」という言葉で「痛み」を表す用法もあるようです。
 なぜ「痛み」から変わってきたのかを考えました。たとえば、タンスの角に足をぶつけると、足が痛いという感覚以外はなくなりますよね。頭がかゆいと思っていたとしても、感じなくなってしまう。つまり、痛みは感覚ですが、同時に人を無感覚にもさせるわけです。そのように、余計なことを考えさせなくするところから、「鋭い」という意味合いが現れてきて、今日の私たちの思う「賢い」という意味合いが出てくる。

社会のスマート化が進むと、人間はどうなる? 「スマートな悪」戸谷洋志さんインタビュー

スマートフォンも最近だとPayPayも考えなくさせてしまっているなと思った。イライラはなくなる。

迷子にもならないし、スマホがあれば不安がなくなった気がした。

余計なことを感じさせないようにする性質を、本の中では「最適化」という言葉で名付けています。物事をスマート化するというのは、要するに最適化することであると解釈しました。

社会のスマート化が進むと、人間はどうなる? 「スマートな悪」戸谷洋志さんインタビュー


だけど、それによって、満員電車などの窮屈な空間は、仕方ないものだと受け入れてしまっている自分がいたことに気づく。

相手にぶつかっても、足を踏んだり踏まれても、ごめんなさいでそんなに問題にもならない。

そんな風にして、最適化された移動手段に対して争わなくなっていることは、きっとその他にもある。

自分が嫌だなと感じるようなルールに変わった(値上げなど)としても、最適さから逃れるという選択ができるかというとできない。

最適な言葉。

最適な組み合わせ。

どこかの著者が使っていたから、UNIQLOやニトリでコーディネートすればいいという信仰に近いものが悪いわけではない。そこで揃うから効率的だ。

ショッピングモールよりも、商店街を回るのは、面倒だけどそこにしかないものがあったはず。

そんな失われている何かを思い返すような時間だった。

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