スマートな悪
昨夜はスマートな悪という本の読書会に参加しました。
社会のスマート化について、否定をしているわけではない。
最適化していくことは何も悪いことは起こらないというわけではないよというメッセージを受け取った。
スマートとは何か?
スマートというと言葉から連想するのは、賢さだ。
スマートフォンもいろんな機能があって賢い電話ぐらいと思っていた。だけど、戸谷さんの本を読みながら、そんな側面もあるのかーー!と驚く。
スマートフォンも最近だとPayPayも考えなくさせてしまっているなと思った。イライラはなくなる。
迷子にもならないし、スマホがあれば不安がなくなった気がした。
だけど、それによって、満員電車などの窮屈な空間は、仕方ないものだと受け入れてしまっている自分がいたことに気づく。
相手にぶつかっても、足を踏んだり踏まれても、ごめんなさいでそんなに問題にもならない。
そんな風にして、最適化された移動手段に対して争わなくなっていることは、きっとその他にもある。
自分が嫌だなと感じるようなルールに変わった(値上げなど)としても、最適さから逃れるという選択ができるかというとできない。
最適な言葉。
最適な組み合わせ。
どこかの著者が使っていたから、UNIQLOやニトリでコーディネートすればいいという信仰に近いものが悪いわけではない。そこで揃うから効率的だ。
ショッピングモールよりも、商店街を回るのは、面倒だけどそこにしかないものがあったはず。
そんな失われている何かを思い返すような時間だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?