意味を答えられる必要はあるか
コテンラジオの配信でヤンヤンさんが、歴史の勉強会をしていたときに、開催する理由を問われたときの話を聴いた。
理由を問われても明確に答えられなかったことに、モヤモヤしたが今は理由なんて必要ないんじゃないかと言われていた。
やる理由があったほうが、共感得られたり物事を進めやすくなることも多い。
ただ、理由がなくてはならないというのは、息苦しくなってしまうときもあるなと感じる。
生きる理由に問うこと
荒井さん著『まとまらない言葉を生きる』のなかでこのような言葉を紹介されていた。
ちょっと長めに引用したい。
きっと論証できないことのほうが多い。
わかったつもりになっていたり、話せていたとしても、どこかで聞いた言葉をそうだと思い込んでいたりする。
だから、話せるべきであるは手放したほうが、そして求めないほうが生きやすくなると今は思う。
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