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あなたのこだわりはなんですか

検査結果

先日、次男の発達検査に行きました。数値の計算の結果、前回の検査から半年分の成長が見られたそうです。前回の検査から半年が経っていたので、ちょうど月齢分成長です。この成長のペースが続けば、大きくなるにつれて、実年齢と成長年齢の割合の差がうまっていくので、発達の遅れは関係がなくなっていくはずです。とにもかくにも、次男なりに成長していて一安心です。

ただ心理士の先生が驚かれたのが夜のドライブです。次男は毎日ドライブをしながら寝ます。車の中が眠り始めの場所で、眠ったら私が布団に移しています。

「お父さん、毎日ですか?お仕事もなさってますよね?お酒も飲めませんよね?」

私としては、布団で寝かそうとすると、長男にちょっかいをかけて邪魔をするので、ドライブの方がもはや楽と感じてすらいます。

お酒は好きですが、節約と健康のためと思えば飲まなくてもよくなりました。

体の技能的な発達や言語活動の成長は、以前より成長しているのがわかります。しかし、感情のコントロールができなかったり、自分のこだわりをなくせないという面ではあまり成長を感じられないのが本音です。

「こうするとよいですよ」というアドバイスをいただくこともありますが、現実問題なかなかできなかったり、できても効果がすぐ現れるわけではないので、結局挫折してしまいます。なんなら「またできなかった」と自己否定をしてしまいます。

それでも次男への愛情は家族みんなが欠かさずにこれたのは、我が家の自慢です。そこは心理士の先生にも褒めていただきました。

次男の話とは別で、ここ一ヶ月ほど禅の勉強をしています。別にお寺に行って修行しているわけではなく、本で読んだり日常生活を丁寧に過ごしてみたりと、ゆるゆるのぬくぬくのぼろぼろのしょぼしょぼですが。

禅に限らずですが、こういった宗教的な話は、「執着を手放す」ということが語られることが多い気がします(にわかすぎるので、多い気がするという程度にしておきます笑)。執着を手放す。つまりこだわりをなくすです。

今ここに生きる

この言葉の実践には、悩み、憂い、不安、悲しみなどの感情を手放すことが求められます。修行した方のことを悟ったと表現すると思いますが、悟ることにより、現実をあるがままに受け取り、今ここに生きるのみに自分の思考を集中することができます。

つまり、禅僧はこだわりがないのです。

発達障害の次男には強いこだわりがあり、修行を重ねた禅僧はこだわりがない。

「こだわり」が人間の生きる上で、何か秘密をもっている気がしました。

こだわり

こだわりというと一般的には良い言葉として扱われることの方が多いような気がします。「スープにこだわりぬいたラーメン」とか「授業の導入でいかに子どもをひきつけることができるかにこだわっています」とか強みを説明するときに使われます。

ビジネス的にはむしろこだわりの部分がないと、同業者との差別化ができずダメといわれそうです。実際私も言われたことあります。元教師の家庭教師なんてごまんといると。確かにおっしゃるとおりです。(あ、今別に家庭教師業はしていません。メル友なら募集しています笑)

持ち物でもあります。ここのブランドの服だけを着るとか、ここの寝具メーカーは最高で旅行先にも持って行くとか。自分の分身のように大切に扱う人もいらっしゃいますね。

行動でもあります。朝起きたら、水を一杯飲んで、ストレッチとか、半身浴を30分とか。調子を整える意味で行う人が多いでしょう。

日常的に行うこだわりの行動を、ルーティーン(習慣)とも言います。

意志力をなるべく使わなくて言いように習慣化せよ!とか、最初は大変でも3週間続けてルーティーンにしてしまえばつらくないとか、習慣化も良きこととしてよく言われます。

ビジネス、持ち物、行動など、私たちの生活の至る所にこだわりはあり、そのこだわりの結果、日常をよりよく過ごせていると思います。

では、禅僧はなぜそんなこだわりを捨てよと言うのでしょう。

当然そこには、こだわりの負の面があるからです。

こだわりにより日常をより良く過ごせているということは、こだわりではないものでは良く過ごせないということでもあります。

着る服のこだわりがある人は、それ以外の服を着ると嫌になる。まだ服はいいです。寝具。例えば、ビーズが入っているまくらにこだわりがある人は、ビーズの枕以外では寝られなくなる。旅行先のホテルだと寝られない。こだわりが日常生活に支障をきたすことになるのです。

朝起きて、水を一杯飲んでストレッチできなかったら「なんか気持ち悪いなぁ」とか「調子が出ないなぁ」となります。ちょうど、歯磨きをせず寝たときの気分(伝わりませんかね笑)。

いつもこだわりの中で過ごせることができればいいけど、そうはいかないときもある。子育てをしている方ならよくわかると思いますが、自分の都合だけではなかなか動けないことあります。一人暮らしが長いと、自分の生活のこだわりが多くなり、なかなか他人と一緒に暮らせないから結婚が遅れると聞いたことがあります。ほら、中居くんとか多そうじゃないですか笑。

だからこそ、日々穏やかに生きるために、嫌なことにあわないために、誰かと一緒に過ごすために、こだわりは捨てなさい。と禅僧は言っているのだと思います(禅僧ではないので真意は分かりません笑)。

学校のトラブルあるある

さて、こだわりの良い面と悪い面の両面を見てきました。こだわり自体に良い悪いはないと思います。両面ありますから。

ただ「人生を生きやすいのはどちらか」という視点ではどうでしょう。もっと具体的に言うと、「日常生活を送りやすいのはどちらか」。もっともっと細かーいところで言うと、「不登校になりにくいのはどちらか」

当然、こだわりがない方ですね。

ここで架空の小学生、こだ わり君に登場していただきましょう。さあさあお立ち会い!

学校のトラブルあるある早く言いたい」RGさんも登場です。

班決めの時、「あの子とグループじゃないと嫌!」(特定の子へのこだわり)

あの子がドッヂボールで当たったはずなのに座らない!(自分の見方へのこだわり))

先生!男子が全然予定通りに動いてくれない!(予定通りに動くことへのこだわり)

先生!女子がしゃべってて歩くのが遅すぎる!(目的地に早く着くことへのこだわり)

こだわる部分が多いと、自分のこだわりの行動ができないことが当然増えます。多くの人が生活する場なので、個人のこだわりばかりを優先するわけにはいきません。家の中はある程度こだわりが似ていたり、融通が利いたりするので、結果として「学校は嫌なところ」という印象を持ちがちです。

学校は嫌なところという印象をもった、こだ わり君。印象を持つと確証バイアスというものがかかり、その印象をさらに強くする情報ばかり信じるようになります。ますます学校が嫌になり、あるときプツンと糸が切れ、学校に通うことができなくなります

こだ わり君は家に引きこもってしまいました。

こだ なし君

ここで、もう一人の人物にも登場してもらいましょう。こだわりがない、こだ なし君です。

班決めの時、「別にだれでもいいよ」

ドッヂボールの時、当たったのに座らない人に対しても「まぁいっか」

予定通りに動かなくても、「まぁいっか」

早く着かなくても、「まぁいっか」

誰でもグループが組めて、まぁいっかで流すためトラブルにもなりません。先生としてはとてもありがたい存在です。本人も別にこだわりがないので、嫌なことが起こりにくいです。周りの友達も攻撃しないし、受け入れてくれるため、悪く思われることはありません。では、こだなし君は完璧なのでしょうか。

もしあなたがこだなし君の親御さんなら我が子のことをどう思うでしょう。

きっと向上心のなさに心配になるかと思います。

対人関係においては最強だった「まぁいっか」

しかし、テストで何点取ろうと「まぁいっか」となるのはもやもやしませんか?

かといってこだわりがないので、親や教師の声掛けにも、「え?別にテストできなくてもよくない?」となりそうです。

別に勉強がすべてではないですが、全くしないのも考えものです。

ヒュージョン

こだわり君とこだなし君。お互いにいいところがあります。理想はヒュージョン(知らない人はドラゴンボール好きな人に聞いてください)していいとこどりをすることです。しかし、なかなか現実上手くいきません。

こだわらなくてもいいところでこだわったり、こだわったほうがいいところでこだわらない。それが現実です。理想論だけ掲げて現実を批判するだけは、私はしたくありません

では、どうするか。現実の行動が変えられないのなら、見方を変える努力をするのです。

雨が降って「あぁ、嫌だな。洗濯ものが乾かない。」と思うか、「今日は傘が使えて、映画のワンシーンみたいだな」と思うか。雨が降るという事実は変わりませんが、どう捉えるかは私たちにゆだねられています。

こだわりが活きるときがあります。また、こだわりのなさで上手くいくときがあります。どちらも活きる時があります。そう思うことで、相手を受け入れてあげられるときが増えるはずです。

ないものを批判し合うのではなく、あるものを認め合う。

そう生きたいものです。

優しい世界を目指して

最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。

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