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理不尽な世界 ― エピソード④ ― アイス枕

フリーランスの庭師です。
これから書く内容はフィクションです。


〖理不尽な世界 ― アイス枕〗


気づくと私は宙に浮いていた。

下には私と妻がベッドで眠っている。

私は死んだのか?
いや、足から白い綿のような紐が延びていて、眠っている私と繋がっている。

そうだ、これは魂の尾だ。辛うじて生きている。とは言え時間の問題なのだろう。少しづつ魂の尾が細くなっていくようだ。

いったい何が起こったのだろうか?
記憶を遡ってみる。


私は建築土木の仕事をしている職人だ。日曜日以外は毎日外で作業をしている。

今年の夏は特別に暑さが厳しい。36度を越える猛暑日が連日続いていた。毎日熱中症患者が救急車で運ばれる。そんな夏だ。

50歳を越えた私もかなり参っていた。食事は妻のお陰もあって栄養は十分に取れていたが、寝不足になっていた。寝室には冷房を入れ、早い時間に床に入っていた。だが眠れないのだ。

日中に蓄積した熱が下がらず身体が火照っていたからだ。毎日炎天下で厳しい作業をしているせいで、帰宅するとビールを飲まずにはいられなかった。そのアルコールのせいもあったのかもしれない。

寝不足が続くと疲労が取れない。心身ともに疲れきっていた。

だから昨日の朝、妻に頼み事をした。睡眠時に使うアイス枕を買ってきて欲しいと。

疲れきっている私を心配していた妻も、「分かったわ。なるべく長い時間冷える物を買ってくるわ。」と言ってくれた。

そしてその日の仕事を終えて帰宅すると、妻が「アイス枕を買ってきたわよ。値段は少し高かったけど、効果は大きいみたいよ。今冷凍庫で冷やしているから寝るときに使ってね。」と言ってくれた。

シャワーを浴び、ビールを飲みながら夕食を済ませ、しばらくリビングで過ごしたあとに就寝することにした。

冷凍庫からアイス枕を取り出し、タオルで巻いて普段使っている枕の上に置いた。そして横になった。

強烈な冷涼感。むしろ冷え過ぎなくらいだ。

これなら頭が火照って眠れないことはなさそうだ。首筋を冷やすから身体全体の火照りも緩和されるだろう。

そしてすぐに眠りに落ちたのだ…。


今死にかけている原因は何なのだ?どう考えてもアイス枕が原因としか思えない。

そうだ、アイス枕が入っていた袋に注意書きが書いてあったはずだ。それをみてみよう。

注意書きは確か袋の裏面に書いてあるはず。表面が上になっていたら読むことができない。今の私は物に触れることができないからだ。

キッチンへ飛んで行って袋を見つけた。運良く袋は裏面を上にして置いてあった。

注意書きを読んでみる。

『このアイス枕は熱中症患者専用の強力な物です。しかも使用する場合は30分を上限として下さい。』

そんな強力な物なのかこれは!?

更にこう書いてあった。

『熱中症患者でない一般の方は使用厳禁です。もし使用された場合、脳梗塞あるいは凍死する危険性があります。』

???

そうか、私は凍死しかかっているのか…。

首筋で極端に冷やされた血液が身体中を巡っているのだ。低体温症だ。

何と言うことだ。身体の火照りを取るはずが取りすぎて凍死とは…。

今の状況でなす術が無い。眠っている妻を起こそうにも触れられないし声も出せない。

こんな形で人生が終わるとは思ってもみなかった。

ああ働くだけの人生など送らずに、もっと楽しいことをたくさんすれば良かった。もっと妻を幸せにしたかった。

でもこれも運命、仕方の無いことなのか…。
いやまだ死にたくない!

そう思った瞬間、私は物凄い勢いでベッドで眠っている私に吸い込まれていった。そして意識が飛んだ。

どれくらい時間が経ったのだろうか。
数秒?数時間?
意識が戻った。ベッドに横たわっている。

蘇生したのだ。凍死せずに済んだのだ。
だが私の身体は冷えきって強ばっていた。

徐々に身体が機能し始め、動けるようになった。

あの状況から一体どうやって生還できたのだ?

原因となったアイス枕を触ってみる。するとアイス枕は既に生暖かくなっていた。

私の生に対する強い思いが熱エネルギーを発し、アイス枕に勝ったのだ。まさに九死に一生、奇跡だと思った。

体調が完全に戻ると、死にかけたことによる恐怖で冷や汗がどっと出た。もう二度とアイス枕は使わないだろう。

それにしても、こんな危険な物が市販で買えるとは驚きだ。考えようによっては凶器にもなりうる。


世の中は理不尽だ…。


興味があれば過去の作品もご覧下さい。


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