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【歴史の話】【#読書感想文】破軍の星(北方謙三著)


概要

 北方謙三先生が歴史小説のジャンルに進出してハードボイルド小説の手法を持ち込んだ、その初期のころの作品です。

余談

 筆者は12月中旬に、福島県を訪問する機会がありました。
 それに先がけて、何か福島にちなんだ本がないかと本棚を探したところ、この作品「破軍の星」を見つけたという経緯です。

 南北朝時代初期の人物北畠顕家きたばたけ あきいえが国司として陸奥国に下向した際に、陸奥国府を多賀城(現宮城県)から、防衛しやすい霊山りょうぜん(現福島県)に移しました。

 ただし、実際に今回筆者が訪れた場所は、その霊山からはかなり離れています。
 参考までに、訪問地に関連するnoteアカウントをいくつか紹介します。

本書の感想

 筆者は、本作以外の北方作品も『三国志』と『楊家将』を読みました。それらには共通点があります。

 例えば、

  1.  才能ある指揮官が主人公で、彼とは違う性質の才能(カリスマとか野心とか)を持つ巨大な敵と長く戦うという、舞台設定

  2.  騎馬隊が疾走してぶつかり合う、スピード感あふれる合戦シーン

  3.  臨機応変な戦術を的確に実行する、指揮官と部隊長たちの信頼関係

  4.  史実で主人公側が負ける戦いであっても(無理やり勝ったことにはせず)、負けに意味を持たせるストーリー

  5.  国家統一を目指す対立軸を本流としつつも、敵には敵の理念があるし、支流として(国家と距離を置いて)自立して暮らす小集団の存在がある、イデオロギーの多様性

などなど。

主な共通点

 『破軍の星』であれば、主人公はもちろん北畠顕家。彼を支える部隊長は遠藤忠村に安家あつか一族。この安家一族が小集団ということでもあります。

 『三国志』では、主人公は(一応)劉備であり、部隊長が関羽・張飛・趙雲たち。小集団の中の代表格は五斗米道ごとべいどうの教団でしょうか。

 『楊家将』では、楊一族が自立した小集団であり、その当主楊業ようぎょうが主人公であり、彼の一族がそれぞれ部隊長でもある。

作品ごとの個性

 「負けに意味を持たせるストーリー」という点では、作品ごとに個別の方向性を持って、それぞれで史実とのすり合わせが行われているようです。

 『破軍の星』では、北畠顕家は当初連戦連勝します。しかし次々と大軍を向けてくる足利尊氏の前に、最後には力尽きることになります。
 その意味は、「北畠顕家が何回勝ったとしても、後醍醐帝の親政に不満を抱く武士たちが多い以上、足利尊氏は常に大軍で向かってくる。先に戦死した楠木正成と同じく、顕家はその時代背景の犠牲になった」ということで、これは正攻法の解釈だと思います。

 一方、『三国志』の劉備は、史実同様に曹操に負け続けます。ただしそれは『三国志演義』のような正義やら大義やらではなくて、意図的に不利な戦いに参加して自軍を精鋭に鍛えていくように描いています。
 これには北方先生独自の解釈があります。

 『楊家』では、「勝ち続けて最後に負ける」でも「負け続けて最後に勝つ」でもなくて、ときおり敵である遼の将軍たちと立場を入れ替えて切磋琢磨するようなストーリーになっていると感じました。
 遼にも魅力的な将軍がいるのですよ。特に耶律休哥やりつきゅうか

逆賊は誰か

 筆者は本作を4~5回読破していますが、そのたびに違うテーマを見つけているように思います。
 今回は「逆賊は誰か」ではないかと思いました。

 南北朝時代というと、黄門様の『大日本史』以来、「足利尊氏=逆賊、楠木正成=忠臣」と相場は決まっている。『神皇正統記』を書いた北畠親房の子である顕家も、もちろんゴリゴリの忠臣。
 しかし、本作を読むとそのようなステレオタイプの歴史観は壊されます。

 それは、前から分かっていました。敵方の重要人物も魅力的に描くのが北方作品なので。
 それに加えて、今回新たに気付いたメッセージがあります。

 足利尊氏が逆賊なら、北畠顕家も同じく逆賊と言えるのではないだろうか ---

 後醍醐帝の目指す政治が、「武士が荘園の用心棒でしかなかった、平安朝の貴族政治に戻す」という時代錯誤なものである限りは。
 足利尊氏北畠顕家も、「武士が食えるように武士の棟梁が面倒を見るから、農民が食っていけるように朝廷が考えるべき。それができないなら、武士に任せるほうがよい」と考えていたから。
 唯一の違いは、顕家のほうは文官が武士の上に立つシビリアン・コントローを目指したこと。
大塔宮の志を受け継ぐいう流れが、それを示唆しています)

 しかし現実の建武の新政とは、足利尊氏と新田義貞を闘わせて武家の共倒れを図るたぐいのものだった。無能で無責任な公家連中が安逸をむさぼるために。
 そして、(根付いているかは別にして)「国民が行政府の役人や立法府の代議士を税金で雇っている」という議会制民主主義の存在を我々は知っている。その現代人の視点で見ると、「税金で食っていながら、その税金を負担する民を痩せ細らせておいて、その穴埋めには増税しか考えられないほど腐った公家、特にトップである後醍醐帝その人こそが最大の逆賊だ」と思えてくる。(合戦のたびに田畑が荒らされることを、広い意味での増税と考えて)

#天皇を逆賊と呼ぶのが妥当でなければ、背任ということにしましょうか

その後の日本

 ここから先は、北方先生のメッセージを筆者が拡大解釈したものです。

 このような流れで、公家から(少なくとも16世紀までは実力主義で競い合った)武家に政権交代をしたのが中世でした。
 しかし、その武家も世襲により劣化していき、「税金で食っていながら、その税金を負担する民を痩せ細らせておいて、その穴埋めには増税しか考えられない」ほど腐敗してしまったから、明治維新が起きた。(開国によるインフレを放置したことなどを、広い意味の増税と考えて)

 現在の政権は明治政府の延長です。行政の担い手は、「ペーパーテストで選抜された官僚」と「彼らに神輿として担がれる(江戸時代のバカ殿のような)世襲の政治家」です。

 もし彼らが「税金で食っていながら、その税金を負担する民を痩せ細らせておいて、その穴埋めは増税しか考えられない」ほど腐っているのだとしたら、歴史が繰り返されることになるはずですが。

 後世の歴史家は、21世紀をどう評価することになるでしょうか。

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