お前、引きこもりか?と父親に言われた女が思う「引きこもり」

「引きこもり」

最近、毎日のように目にするワード。胸に刺さります。何故なら、自分にも向けられた言葉でもあるかもしれないから。自分にも当てはまるかもしれないなら。ピッタリと当てはまるとは言い切れないけれど、そう言われた経験があるから。

でも、一体引きこもりの定義とは何なのだろう?

これも悲惨な事件が起こった今、見直されていますね。私も調べてみました。

ひきこもり 「自宅にひきこもって、社会的参加をしない状態が6カ月以上持続しており、精神障害がその第一の原因と考えにくいもの」と定義される。 パソコン通信や電話で外の人との接触がある人、家事などをして家族と良好な関係を持っている人は該当しない。

「ひきこもりの定義」で検索すると、すぐに出る結果です。

なるほど…。期間、接触の属性、関係性で分かれるんですね。

あと、個人的にこの記事がとても、現実の引きこもりと言われている方々の現実を捉えているのではないかと思いました。

「恥」と「葛藤」。自分は人間のクズであり、一生幸せになる資格はない。親の期待を裏切って、親に申し訳がない。これがキーワード。的を得ていると思います。

決して望んでひきこもりになったわけではない。万人がそうではないとは思いますが、何か「きっかけ」があってこの境遇にあっているのではないでしょうか。そしてその「きっかけ」が「トラウマ」となり、心を閉ざしてしまう。自分でも、これではダメだとわかっていて、明日こそはと意気込むけれど今日またダメで、こんな自分には価値がない、何をやってもどうせダメ、と振り出しに戻る毎日。

これは私の憶測で、美化した引きこもりなのかもしれません。というか、これは私です。先に言った、引きこもりと言われたことのある時の私です。

私の場合は、姿を見られたくなかったという方が大きかったです。「きっかけ」が摂食障害で、太った醜い自分の姿、精神科に入院していた自分の姿を見られたくなかったという偏った思考がありました。こんな姿じゃ、誰にも受け入れられないと勝手に思い込んでいました。

摂食障害で入院し、退院してから大学へ復学するまでの三ヶ月間、友人との連絡は一切遮断しており、母親とちょこちょこ外出するのと通院以外は自宅にいました。するとある日、父親に「お前は、毎日毎日家にいるばかりで、引きこもりなのか」と怪訝そうな顔つきでこぼされました。

薄々はそう捉えられているのだろう、と感じ取ってはいたもののショックでした。ということは、私も引きこもりにに対して、負のレッテルを貼っているということです。

「引きこもり」。自分なりに思い悩み、この現状を打破しなくてはならないと思っている者にとってはこの言葉を投げつけられると、胸が痛みます。

言葉というのは難しく、今さら、「こういう定義なのだ」と言われても定着は難しいだろうし、「だから何だ。」といったところでしょう。

周りのサポートが必要と今、声高に叫ばれています。もちろん、サポートほどありがたいものはありません。しかし、このしがらみから抜け出すには、当事者本人がキッカケを掴むしかありません。

サポートという支えという形よりも、キッカケという与えが必要なのではないでしょうか。外へ出たいのに出られない、その扉を開けるための種を蒔いてあげて欲しいのです。

偉そうなことを言って、私に彼らの何が分かるのかというところですが、軽いですが同じような経験をした私は、歩幅を合わせて歩いてくれら優しさよりも、グイッと腕を引っ張って思い切って一度、外へ出してくれた方が心に変化が起こった気がしました。

前者の優しさは、はじめのうちは本当にありがたかったです。でも、どんどん自分がそれに甘え、ボロボロになっていっているのが分かりました。それが自己嫌悪に拍車をかけている気がしました。

「自助」という言葉も今よく使われていますが、引きこもりを脱するのも結局は、突き放した言い方をすると自助なのかもしれません。自分で糸口を探してなんとかするしかない。

でもこれが、こうしてメディアでも取り上げられて話題になり社会問題にもなっている今、周りも巻き込んで解決していこうとする図々しさも大切なのかも知れませんね。


そして彼らの中には、決して楽に引きこもりをしている人ばかりではなく、「恥」と「葛藤」を持ちながら、生きづらさを抱えて死ぬように生きている人もいます。


だからといって、絶対に正当化されてはいけません。だから、社会問題となっているということを明らかにしなければならないと思います。


稚拙な長文失礼しました…

読んで頂きありがとうございました! まだまだ初心者ですが、色んなことを書いていきたいと 思います! ぜひあなたのnoteも勉強にさせて頂きたいです〜🌹