克服するために大切な当たり前なことって何だっけ。

久しぶりに、自分と向き合う記事を書きます。

多くの人は、ご飯を美味しく食べて満腹になったら、あぁ美味しかったって幸せを感じるのでしょう。私は空腹時の方が幸せだ。私の場合は、満腹に近づくにつれて罪悪感が襲ってきて、でも食べたいという気持ちも抑えきれず、「もう、いいや」という気持ちになり、なぜかスイッチが入ったように満腹以上になっても食べ続け、歯止めが効かなくなり、ふと止まった時、またとてつもない罪悪感に苛まれ、泣いて泣いて泣きじゃくって死にたくなるのです。


何故だか、食べることが悪としてしか認識できず、食べること=太る作業としてしか受け入れられず、こんなことの繰り返しでは駄目だと分かっているのに止められません。


食べすぎちゃった〜。それで終われば良いのですが、それができないのです。少しでも食べれば、罪悪感。タチが悪いのが私は代償行為に走ることもあります。下剤とか。


体重の2キロや3キロ、お腹が多少出ても、ちょっと太ったくらいで、周りがどうこう思うわけじゃないって頭では分かってるけど、見た目が変わるのを恐れ、太るのを恐れ、それによって拒絶されるんじゃないか、これ以上醜くなったら何もなくなるんじゃないかと、身動きが取れなくなってしまう。


自分の思考の大部分を、自分の1日の大部分を、自分の人生の大部分を、食と体型と太る痩せるに支配されて生きてきています。これが私の選んでしまった道であり、決して正しい道ではなく、軌道修正は容易にみえて今までの自分の精神を簡単に変えることは出来ません。


今までの自分の精神を変えることって、滅茶滅茶難しいです。自分の常識を全否定することって、いっぺんにできることではないです。私も未だに出来ていません。自分1人でもできません。やっぱり、周りに1人でもその病気の理解者がいてくれないと、難しいです。綺麗事じゃなく、その人のために頑張りたいというモチベーションにもなるし、弱音も吐かせてもらえるし、本当に申し訳ないんだけど、当たり役にもなってもらえるし、叱ってももらえる、そんな存在が必要です。でも、そういう存在も、当たり前じゃないです。家族にだって、この特殊な思考回路は理解され難いものです。

だからこそ、この理解者には本当に本当に、敬意を払うべき存在です。


あとは、いろんな人の摂食障害克服談を読ませてもらってきたけど、皆さんやはり、何かしらの覚悟と夢を持って克服に向かっていってる。すごい当たり前のことだけど、長い間積んできたこの脅迫的な精神ってキラキラした将来の夢とかさえも潰すほどの威力がある。それほど怖いもの。だからそれに勝つくらいの、覚悟と夢を持たなくちゃいけない。それに勝つくらいの強いなりたいものを描かないといけない。


私にとってそれって何だろう。

それを手に入れた先に見えるものが楽しみ。





読んで頂きありがとうございました! まだまだ初心者ですが、色んなことを書いていきたいと 思います! ぜひあなたのnoteも勉強にさせて頂きたいです〜🌹