#15 復職

僕は親を赦したし、彼を赦した。

全ては〈連鎖〉でしかなかったのだと、受け入れた。

入院した迷惑を謝ると、彼らは快く迎え入れてくれた。

今まで二言目には批判を口にしていた彼らが、ただ相槌を打ってくれた。

認知の歪みがあったこと、

それを治したいと思っていること、

努力したいと思っていることを告げたら、

黙って頷いてくれた。

残念ながら、

「だからこうして欲しい」

というお願いは通らなかった。

「こういう風に対応して欲しかった」

という想いも通じなかった。

「それはできない」という言い訳が返ってきた。

粗暴な物言い、支配が、反省されることはなかった。

僕はそれを手放せたし、

この人達は結局、僕がどう思うかよりも、自分がどうしたいかを優先させるんだなと分かったら、逆に楽になった。

後は、それでも僕が付き合っていきたいかどうかだけだ。

生きるため。

自立する力がない僕に、

選択肢がないのは仕方のないことだ。

僕は彼らと心を通わせることをすっかり手放して、

僕にどう思われようが、自分のしたいことを優先する彼らに対して、

僕も同じように自分のしたいことを優先させることにした。

生活するためのお金を要求したら、ちゃんと払ってくれたし、

働かなくても、何もしなくても、何も言われなくなった。

それでも選択肢は増やしたかったし、

自ら〈遠慮〉してしまう状況は苦痛だった。

単発と軽作業なら、少しずつ復帰できていた。

複雑なパソコン作業はできなくなっていて、

在宅で仕事をするのは、特に時間管理に負われるのが負担でやれなかった。

ずっとやってきたデザインとは言え、納期優先のこの仕事は、体力的に復帰するのが難しいだろう。

「うちで働いてみない?」

悩んでいた僕に天の声を授けたのは、保険のおばちゃんだった。

彼女は遠い親戚で、年に一度はこうやって様子を見に来てくれていた。

営業職はダメで元々。
契約は取れなくても、保険の知識は身につくと。

そして頭が良いんだから、人を管理する側になれば良いと。

「私も歳だから、そろそろ引退するための後継者が欲しいし」

営業なんて、とてもじゃないができる気がしなかったが、長年やってきた彼女の優良顧客を譲ってもらえるなら、可能かもしれないと僕は考えた。

正社員だから有給もあるし、福利厚生もある。

何より体調が悪い時は、自分の判断で休めるところが良い。

僕は就職説明会に、参加してみることにした。

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