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マンデリン

2023年2月26日。学生時代、毎日以上(年間400回以上、かも)通っていた喫茶店が閉店したことを知る。
正直、ちょっと泣きそうになった。

2023年2月23日。「コーヒー 豆 開業」でググったら、元同業で現在自家焙煎珈琲豆の小売と喫茶店を営んでいる人を発見。他人とは思えない経歴。

2015年くらい?アウベルクラフトの遠赤コーヒー焙煎キットを手に入れた(妻からのプレゼント)。ワイルドコーヒーやワールドビーンズショップから生豆を仕入れて、自宅で飲む分は自分で焙煎するようになる。

2005年。結婚式の引き出物は、いつものサテンのマスターに手伝ってもらって(夜中までテイスティングを繰り返して)作ったオリジナルブレンドのコーヒー。

2003年。転職して札幌に移住したため、いつものサテンを開拓する必要にかられる。ふと目についたサテンは、パーカーを着て髪の毛ボサボサの若そうな男性がカウンターにいる店。アルバイトかな?と思いつつ、ビターブレンドをオーダーすると、鬼気迫る表情でドリップし始めるアルバイト風男性。ドリップする姿から、マスターであることを理解する。以来、二十年来の「いつものサテン」となる。

https://www.instagram.com/drop_in_cafe_2002/

1993年。大学に進学し、当然のように毎日通えるジャズ喫茶を探す。勇気を出して一人で入店したジャズバーで一緒になったギタリストから大学付近にあるジャズ喫茶の情報を得て、翌日訪問。以来、毎日以上通い詰める喫茶店となる。これが、冒頭の喫茶店カフェアラカルトラパン。

1990年。高校(室蘭)で音楽を媒介としてつながった友人と通い詰めることになるジャズ喫茶(看板にはModren Jazzと書いてあったが、これはModern Jazzのタイポ)を発見。メニューには牛丼などもあった。現在、当時のそのジャズ喫茶のマスターは、その喫茶店のあった場所とほぼ同じ場所で蕎麦屋を営んでいる。

貧乏で文化的資本に恵まれていなかったぼくの生家(十四畳一間くらいの間取りで風呂なし、付近に住む親戚と共同の風呂は豚小屋を改築した内部にある外部的なワイルドな風呂)だが、父母は毎日コーヒーを豆を挽いて淹れていた。そんな小学生時代の記憶が、その後のぼくが珈琲を淹れたり挽いたり焙いたりする人生に多大なる影響を及ぼしていると感じる。

マンデリンは、高校卒業後すぐ(つまり大学進学後すぐ)に帰省して地元で友人(Modren Jazzの喫茶店に一緒に通い詰めていた友人)とコーヒーを飲みに行ったとき、彼の真似してオーダーしたのが最初で、その時初めて聞いた単語。

話は最初に戻るけど、ラパンが閉店したことを知ったとき、もし一人だったら泣いてたかも。閉めるなら「閉めるよ」と連絡くれればよかったのに。連絡くれれば、「あら、じゃぁ、店引き継ぐから。」と言えたのになぁ。半分くらい本気。

まぁ、現実的にはサテンのマスターに明日明後日、来月、来年すぐになれるもんじゃないけど、珈琲が好き、っていうのもあるけど、珈琲を飲む場と時間が好きだから、いつかは。
いつかは。
いつかは…

トップの写真は、現在の「いつものサテン」で撮影したもの。

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