今日も頑張る

この所、例のスーパーへ向かう道中にある例の用水路には、例年通り小魚が生息している。今年はこれまで小魚を見ていなかったのですっかりどこかへ去ってしまったのだろうかと不安なっていたが、どうもそうでは無さそうで安心している。どこまでも確かな安心というものは人生に於いてした事が無いが、それでも、こういう小さい安心があると、少しだけ嬉しくなる。そうして、少しだけ安心したくて、今日も散歩に行ったのである。今日も真夏と言える天気であるが、昨日炎天下で25km程歩けた事が自信になっており、暑さがあまり気にならなくなった。今日も散歩に行けた、という安心や嬉しさといったものを大切にしつつの散歩であった。

こうやって楽しい時間過ごすと、私は寧ろ不安になったりする。いつかこういう楽しさが許されなくなるのではないかと思えて、怖い。だからこそ、刹那的な安心に敢えて関心を向けたりする。とりあえず今日は楽しめたという事を喜ぼうとするのである。不安だからと言って、その不安を解消してゆくような活動はできない。只でさえ必死に生きているのに、これ以上必死に生きるという事は困難である。救いを求めている。しかし、絶対的な安心、つまり救いというものが何なのかが相変わらずわからない。仮に私の欲求が全て満たされる世界に行けたとて、それは王様になれるというだけであり、欲しい欲しいというその渇望感は消えないような気がして、何の穏やかさも無いし、そもそも、そんな世界が存在するという確信は無い。救いの提示を尽く拒否している、絶対に救われる要素の無い自分が居る。

散歩が楽しくて、されどその楽しさ故にまた辛くなって、その辛さをなんとかしようと今度は大相撲を観て、また少し楽しくなっている。今日は千秋楽であった。結果は、豊昇龍が涙の優勝、及び同力士の大関昇進というものであった。とは言え、豊昇龍もあっぱれであるが、今場所に於いてファンを騒がせたのは19歳の新入幕、伯桜鵬だと思う。今日の豊昇龍との取組を観て改めて思ったが、この力士は強くなる。日本人力士でここまで気が強く、かつ相撲が好きそうな力士は久しぶりにみた。元横綱白鵬の師匠宮城野親方にしっかりと相撲を叩き込まれてほしい。遠く無い未来に優勝する力士だろう。そういう力士らの姿を観て、今現在私もなんとか頑張れているのである。


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