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内田百閒「冥途」

「僕の遺憾の至る所である。」
これは芥川龍之介が内田百閒の文庫に寄贈したコメントの一部です。

皆さんは、内田百閒という小説家をご存じでしょうか?
私は父から聞くまでは知らなかった名前でした。ちょくちょく漱石は読んでいたのですが、その周りの人物に明るくなくて「内田百閒って知ってるか。」と聞かれたのがきっかけでした。日本人の作者はあんまり好きでない父が珍しく、変わった人で面白いから好きだと言っていました。実際、変わった人でした。ちなみに最初に借りたのは「うつつにぞ見る」でした。百閒について詳しいことは後ほど纏めて記載します。
芥川の内田百閒の評価は青空文庫に掲載されています。「内田百閒氏」という題です。しかし、作品はまだ登録は無いようでした。というのも、百閒は1971年に亡くなったとされ、今年で没後52年になります。著作権が切れるのが60年なので、あと10年弱は出てこないでしょう。

なぜ芥川が「内田百閒氏」にこのようなコメントを寄せたかというと、百閒がほとんど知られていないのが不服だったからのようです。芥川龍之介のまわりでは室生犀星、萩原朔太郎、佐佐木茂索、岸田国士の4人くらいしか百閒の作品が知られていなかったらしいです。あくまで「芥川のまわりでは」。感動したのと、「冥途」の作品に関しては書こうと思っても書けるものではない、それを書けるのは凄いのに知られてないなんてという旨を嘆いて、いや、煽っていたに等しいかもしれません。先輩大好きな芥川龍之介の面が見られて貴重な感じがしました。

内田百閒とは

1889年ー1971年まで生きた小説家。夏目漱石の弟子の一人で芥川龍之介にとっての先輩でした。本名は榮造󠄁で、別号に百鬼園という名前もありました。酒造の一人息子で、祖母に溺愛されて育った為、なかなかに我が道を行くという性格なのだそうです。しかも、かなり裕福でした。列車がなによりも好きで、東京駅名誉駅長を務める時があったそうです。小鳥や猫も好きだったでそれを本として記録したものもあるみたいです。
代表作は「安房列車」(ただ汽車に乗るためだけの旅を実行、実際に乗ったのを鉄道紀行シリーズにまとめたもの)「冥途」(デビュー作)「百鬼園随筆」です。夏目漱石の門下生だったのもあってか、タイトルや中身がどこか近しいものがあるように感じる物もあります。「贋作 吾輩は猫である。」という題には贋作とありますが、後半題はそのままですね。割と最近に発売されていた「追懐の筆 百鬼園追悼文集」は自分で今も持っています。漱石や芥川、ほかにも自身が見送った人たちの追懐が綴られています。また、亡くなった動物に関しての話もあります。
生い立ちとしてもエピソードとしても個性的というか衝撃的というかいろいろ事欠かないのでどこから書こうか迷ってしまいます。「安房列車」の切っ掛けもそうですが、さらに調べて凄いなこの人ってなった一番印象に残ったのがありました。藝術院会員に推薦されるのですが、固辞します。その内容は「藝術院に入るのはいやで、なぜいやかというと気が進まないからで、なぜ気が進まないかとというといやだから。」とイヤダカラ、イヤと一刀両断したそうです。他にも断った人はいたのですが、理由は「いやだから」はこの人以外は見つけられませんでした。本人からしたら、不快なもの断っただけでしょうが、思い切りが良すぎていっそ清々しいです。

「冥途」について

形式としては一冊の本に、繋がりのない話がたくさん詰められているものになります。主人公は一貫して「私」なのですが、出てくる舞台はタイトルごとに異なります。夏目漱石の夢十夜のように夢にまつわるお話のように感じます。ただ、曖昧で、奇怪で、なんとなくという靄のような後味をうっすら残す小説でした。あと、師匠のように十夜では終わりません。次から次に夢が変わって彷徨って続いていくものになります。「冥途」は本の一番最初に収録されている小説になります。さほど長さのある話ではないのですが、なんとも曖昧だからかもう一度戻って手繰ってみたくなる話です。それが不思議でした。「私」以外はなんともぼんやりしているのに、なにかしらの一部ははっきりしているような、感じでした。一回読んだだけでは、よくわからいというのが個人的な感想でした。何度か読み返して、話も分かっているのにぼんやりが残る感じがします。「私」が出逢った靄の正体、それを見て何を追想したのか、そういった事は書かれてません。このあたりが読者の想像に委ねられている、百閒本人がそこまで予想はしていなかったという事もありえます。なんとなく書いたらこうなったってなるかもしれません。

「冥途」は公開されてからかなり好みがはっきり分かれるそうで、芥川が同時代評を書いたときに、自分は好きだが大衆からの評価は良くなかったそうでした。この、好き嫌いが分かれるというのは確かにと思う部分が大きいです。読んでみて読めない事はないが、好ましいかどうかとなると「多分」「なんとなくそう」と自分でもはっきりしない返答になってしまう。面白いかどうかと訊かれれば、確かに面白い、不気味な余韻はあるけど。何がと言われるとかなり弱いです。偏屈なすっきりしない回答になって申し訳ないのですが、こう思ったのです。

おそらくですが、芥川龍之介の憧れになったのはこの感性に真っすぐな所だったのかもしれません。

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