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それぞれの表出、場の力

私は去年、とても心に残る建築物に出会った。

「奈良少年刑務所」

今はもう刑務所としては使われていない。

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奈良駅からそんなに離れていない住宅街を歩き坂を登ると突如、現れた煉瓦の高い壁で囲まれた西欧的な建築物。私の今までの奈良のイメージ「古都奈良」とはかけ離れた、でも見惚れてしまうほど美しいものだった。

私はこの建物が刑務所だとはじめ知らなかった。ここが刑務所だと知り、なんだか複雑な気持ちになった。そして自分が摂食障害で精神科病棟の保護室に入院していた時のことを思い出した。

私はこの建築物にとても感動したけれどその凄さや感動を表現できるボキャブラリーが乏しすぎて率直に感じた事

「空しか見えないね」

と言葉にした。

ここを教えてくれて一緒に眺めていた彼は私の言葉を聞いて、この刑務所で生活した少年達がつづった詩集「空が青いから白をえらんだのです」のことを教えてくれた。

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その詩集のタイトルと奈良少年刑務所の景観が忘れられなくて奈良から戻った私は近所の古本屋を探し回った。クリックひとつで買える時代だけど私は本屋さんや図書館、古本屋さんで探して探して本に出会えた時の瞬間が大好きだ。今回もその本に出会うまで2週間位かかったけれど宝物を見つけたような気分になった。

詩集なので文字数は少なくて読みやすい。でも私は時間をかけてゆっくり読んだ。綴った人のことを想像してみたり自分の過去を思い出したり、共感してみたり。そして、少年たちの心が豊かになって更生していく道のりと私が拒食症でもそこそこ生きやすくなってきた道のりが似ていると思った。

当たり前の感情を出せない。抑圧、爆発。


詩集の冒頭に

「笑う、喜ぶ、怒る、苦しい、悲しい、いやだ、助けてとか日常の中にあるごく当たり前の感情を当たり前に出せず、感情は鬱屈しため込まれ抑えきれないほどの圧力になり時に不幸な犯罪を起こしてしまう事がある事、そしてその原因はその子自身の性質だけでなく家庭や学校環境、社会の環境とか色んな事が複雑に絡み合っている」というような事が書かれていた。

私が発症した拒食症に似ている。

ふとそう思った。

私は幼稚園の頃から両親が共働きで母も父も働くことが楽しそうで仕事の話をしている両親はイキイキしていたし、かっこ良かった。おばあちゃんにも留守番していれば「いい子ね」と誉めてもらえたし、可愛がってもらっていた。周りの友達は親に叱られたり小言を言われていたけれど、親が働いている代わりに家事も手伝ったりしていたのでそんなに怒られることもなく自由に家を使えたし良い事もあった。けど多分、本当は寂しかったのだと思う。住んでいたアパートでは他の子のお母さんたちが私のことも自分の子のように「お帰り!」と迎えてくれるけれどやっぱりみんなは自分のお母さんがお帰りと迎えてくれているのにと寂しさがあったり、家で弟と夜まで留守番していれば物音する度に幼心に泥棒に入られたんじゃないかとか怖かった。でも私は負けず嫌いでもあったりして親にも強がっていた。そして仕事を辞めてほしい訳でもなかったので寂しさを伝えたって困らせるだけだと思ったから、寂しいと親には言ったことはなかった。中学でも生徒いじめをする先生が担任で、テストでいくら良い点数をとってもその先生に嫌われている限りは絶対に5は取れないという暗黙の了解があるような学校で育った。この学校社会で生き抜くために私はいかに先生に気に入られるかということをよく考えこの頃から人の目を気にすることがより強くなったし、人間不信も強くなった。

そんな風に人間不信だった私は友達関係でもいつか友達に裏切られる怖さとかがあった。反面、本気で世界平和が私の夢でみんなと仲よくしたいと思っていた。それだからか、各仲良しグループの核の子と仲良くなっていろんなグループに行ったりきたりしてクラスのみんなと適度な距離感で遊んでいた。けどそれって結局は人の顔色をうかがいながら浅く広くな関係だったなと今は思う。高校時代もせっかくクラスの子と仲良くなったから嫌われたくないとか人の顔色うかがっていたら自分の感情を押し殺すようになった。

中学まではその抑圧した感情の発散が1人がむしゃらに家を出て散歩したり、図書館で本を読んだり、部活だったりしたのだと思う。今思うと中学の頃の私は憑りつかれた様にオフの日も部活。夏休みも3日しかとらず受験試験前も部活ばかりしていた。相当、中学でも何か抑圧された感情が溜まっていたのだと思う。それが高校では拒食症という発散の仕方に変わり自分の体を痛め付けた。

よく拒食症は家庭環境が原因とか言われてしまう。確かに家族との関係も影響はあるかもしれないが、それ以外にも私は自分の性格とか学校時代のトラウマやいろんな事が絡み合って発症したと思っている。

私の弟は小学生6年生から高校3年生まで学校に行かないという選択をとった。いじめは受けていなかったがいわゆる不登校だった。

よくよく学校に行かなかった理由を聞くとクラスでいじめにあっている子とも自分は仲良くしたいし授業もちゃんと聞きたい。なのに聞いてると「お前は真面目だな」と言われるしめんどくさいと。

私は弟が両親に言葉で逆らっているのを見たことがない。いわゆる反抗期もなかった弟だった。姉の私は逆らうことも多々ありよくベランダの外に出されていたのに笑

その代わり弟は、「部屋に引きこもる」という表現で自分の感情に気づいて欲しかったのかもしれない。弟は小学生の頃、習っていた空手に行きたくなくて家に1つしかないトイレにこもるという作戦にでた。そして部屋に引きこもり学校にもいかなくなった。今思えば「こもる」ことは弟なりの表出方法なのだと思う。

これは今、働いている介護施設の認知症の方たちにも重なるものがある。何か不安や負の感情があると人によって表出方法はそれぞれでも何かしら表出する。いわゆる徘徊と言われてしまうものだったり、暴力や暴言、過食とか。でもそれって不安だったり何かのサインでその原因を取り除くと穏やかに生活できたりする。

犯罪はいけないことだと思う。けどそれを起こさせているのは環境のせいでもあると思う。犯罪も不登校も拒食症も認知症の周辺症状と言われるものも何かの表現方法だと私は思う。

安心できる場


刑務所の教官たちは心の底から受刑者の更正を願い、彼らが少しでも生きやすくなるようになんとか力になりたいと、日常から彼らをよく見つめて人生背景も大事にして愛情を注いでいた。刑務所の様子が描かれた文面からも教官の「愛情」を私は感じた。

ここは安全な場所、何を言っても正面から受け止めてもらえる場、心を開ける場、開いても誰も傷つけない場であることを彼らが感じて初めて信頼され一緒に更正への道へ進める。

奈良少年刑務所では教官だけでなく様々な職員がそれぞれ役割を果たし受刑者が安心してその人らしさを取り戻せるように刑務所全体が大きな「場」として受刑者を包み込んでいたそうだ。

私は摂食障害になってから、母の愛情を沢山感じた。今まで毎日夜しか一緒にいたことがないかったから、最初は一緒に寄り添って時間を過ごしてくれることが怖かった。拒食症の私は理不尽に母にも暴言を吐いた。それなのになぜ見捨てないのか、人間不信な私は母のことも信頼していなかった。

母は高校生の私に今まで一緒にいなかった分を取り戻すかのように本当にずっと付き合ってくれた。周りからは過保護と言われるかもしれないが、私たち親子には必要だった。小学生入ってからハグなんてしたことなかったので拒食症真っ盛りのとき母にバグされた時はなんだかとても違和感だった。でもそのハグがどんな言葉よりも安心感を与えた。

そんな中で私は母に色んな感情をぶつけ、それでも受け止めてくれ私の不安は何なのか探ってなるべく不安を取り除くことをしてくれた。この人は本気で私を守ってくれる。この人なら何を言っても受け止めてめくれるかもと少しずつ思えるようになり母のことを少しずつ信用しはじめた。そんな「安心の場」を手に入れてから少しずつ拒食症に憑りつかれた状況から何とかしたいと主体的に思えるようになって入院中、部屋に引きこもっていたのがレクリエーションに参加してそこで無心になって物を作ったり入院しているじーちゃんばーちゃんに可愛がってもらって自分を受け止めてもらったり人とかかわる事で久しぶりに楽しいとか嬉しいとか、物を作り上げたときの達成感とか色々な「感情」が生まれた。

主治医も体重にこだわるのではなく、高校生活に戻る上での不安を丁寧に聞いてくれた。そして人の目が気になる、話すことが苦手、書くことが好きな私に対して、主治医はクラスメイトに手紙を書くことを提案しくれた。

高校の担任も何度も入院中に足を運んでくれて私が安心して高校生活に戻るにはどうサポートしたらいいか本気で向き合って考えてくれた。そして私がクラスにむけて書いた手紙を読む時間を退院してから初めて学校に行く時に作ってくれた。おかけで正直にクラスの子に病気の事をカミングアウトできた。クラスメイトに伝えて中にはきっと理解できない子もいたと思うけど私はそれでもよかった。でもみんな静かに聴いてくれて中にはそれでも一緒に遊びたいと食から離れた遊びに誘ってくれる子や症状が作っている細かなこだわりにあわせてくれる子がいたり、逆に友達も生きづらさをカミングアウトしてくれたり色んなことが起きた。

こんな風に拒食症から私らしさを取り戻せる道に立つ為に安心感のある空気を私の周りの人が作ってくれた。

社会性涵養プログラム


奈良少年刑務所ではこの詩集の本が作られるきっかけでもある「社会性涵養プログラム」というものが行われていた。

このプログラムは

SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)

絵画

童話と詩

という3つのプログラムからなり立っている。

「SST」は心理や精神科医療の専門家と刑務所の教官が講師となり、挨拶の仕方、嫌な事を頼まれた時の失礼のない断り方など基本的なコミュニケーションスキルを仲間たちとロールプレイなどを通して学ぶ。自分たちで発見した最適の方法は受け身的に教え込まれたものと違い、自分のものとして身につくと考えられていて、どんな挨拶が心地よいか、みんなの力で発見していく授業だ。

「絵画」のプログラムでは絵画の基本を学んでから、「無心」に色を塗ったり、対象をきちんと見つめて写生する事で受刑者が言葉からも日常からも解放された無心な時間を過ごすことが出来るようになっている。

「童話と詩」では教官も一緒になって絵本を題材に皆の前で芝居のように演じたり、絵本や詩を声に出して読み1人1人の感想を聞いていく。そして最後の授業の時に詩を書いてきてもらう。

有名な詩人の書いた詩を読むだけでなくすぐそばにいる友の詩の心の声に耳を澄ます時間を持つ。語り合う時間を持つ。

SSTで気持ちを伝える方法を学んで喧嘩をうまく回避する。そんなことの積み重ねで日常が「生きやすく」なったり、絵画で「無心」になって絵を描く時間があったり、詩を書いて自分と向き合いそれを発表し合う場がある。

異なる3つの要素から成り立つプログラムと一緒に行う友とのグループワークという「場の力」。そして職員が包み込んでくれる安心感の中で様々な意見が交わされ互いに意見に耳を傾け合う時間がある。自分が発表している時は残り全員が自分に耳を傾けてくれる。みんなが拍手してくれる。達成感や誇らしさ。

私が回復していった過程と同じようにそんな沢山のことが絡み合って徐々に心のこわばりを溶かし人間らしさを取り戻していくと思った。

詩集の最後に受刑者の更正を成熟させるには2つの条件があることが書かれていた。

1つは彼ら自信が変わること

そして元受刑者を温かく受け入れてくれる社会があること

まさしくそうだと感じた。

私自身、更正とはちょっと違うけれど

自分自身が今の状況から何とかしたいと思ってから劇的に変わった。

自分がどうにかしたいと「主体的」にならないといくら周りがよいしょと持ち上げてくれても自分のものにはならない。

そして私自身、母や主治医、クラスメイト、担任の先生、他にも色んな人が病気をカミングアウトした時にそれでも人として受けとめてくれた事がなによりも次のステップに進む糧になった。

病気と犯罪、違うものだけれど誰にでも起こり得る紙一重のものだと思う。

誰もが困ったを言える場、人がある世の中であったらいいなと思う。

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