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幸せの副作用

泣いている。

今日は幸せすぎた。

幸せすぎて、泣いている。

失ってもないのに、この幸せを失うのが怖すぎて今から泣いている。

幸せを素直に受け取れない自分がつらい。

多幸感の中で自分がふわふわ浮いて、自分がどこにいるのかわからなくなる。

本当にここに在るのかどうかわからない。

次この幸せがやってくるのはいつなのだろう。

一瞬で消え去ってしまうこの幸せは私にとっては辛すぎる。

電車で肩にもたれかかってくれた時うれしかった。あんなことも後何年先になるかな。

鬱の時の方が暗い穴のなかにしっかり落ちた自分がいて、そっちの方がむしろ安定している。

だから毎回戻ってきてしまう。

掘った穴にすっぽりはまっている。

でも、幸せを味わった瞬間に壮大な空に解き放たれて、なんとなくふわふわと浮いてしまう。

私はシャボン玉に包まれて暖かい色の空の旅をする。周りの世界が全てぼんやりする。焦点が合わなくなる。

何かの代償でこれを得ているのではないかと心配になる。そもそも幸せは何かと引き換えにもらわなくても無条件に味わってもいいはずなのに。

自分で自分を責めている時の方が、自分と自分が戦っている方が生きているような気がする。

たとえ責める声であっても。それが辛い。

カットをしたくなるときは、実は鬱の時じゃなくて、多幸感のふわふわの中の方が多い。

シャボン玉を一度割ってみる必要があるから。

暖かい空の中に自分がちゃんと在る自信がないから。一度割ってみて、溶け合っているのか確認しないといけない。

幸せの中にいるんだなと身体を通してじゃないとわからない。

私はもっと幸せに包まれるべくして生まれてきたのに。

「幸せに副作用はないかい?」

そう思ってしまう。

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