【エッセイ】ののはカウンセラーになりたい

……と、中学生、高校生の頃は思っていた。
ところが、カウンセラーになれなかったらどうしようかなとか、心理学だけではなくもっと広範的に何かを学んだほうがよいのではないか、と考え、わたしは社会福祉学を専攻する大学生になった。
チキン特有のネガティブな逃げ腰思考というやつだ。

わたしの入学した学部でできた友人の多くは社会福祉士を目指していた。カリキュラムも資格取得を前提に組まれた講義が多く、試験の受験前提科目を中心に、学生時代は実にいろんなことを勉強した気がする。
シャーマンは夢の中で悪魔と戦うんだ!と力説していた教授は元気だろうか。

テストはほとんど無かった。けれど文系学生にとっては最難関科目とも言える統計の授業は、我々が理解できる範疇を超えており正直訳がわからなかった。よく単位取れたと思う。
※けど、社会に出て統計の知識は役立った

あとはテスト範囲が広過ぎて全部選択式穴埋め問題教科書暗記すればオッケー、とかそういうの。
ほとんどの科目の採点基準はレポート中心だった。しかも「講義で扱った●●についてあなたの考えを述べなさい」ばっかり。あまりに変なことを書いていない限りはたぶん単位はもらえただろうけれど、わたしはわりと真面目にいろいろちゃんと書いていたと思う。
思えば「自分が考えたこと」についてレポートにして書くということをやっていたから、今もわたしは書くことが好きなのかもしれない。

不思議な学生時代。考えることが好きなわたしにとっては本当にありがたい時間だったと思う。
今思い返せば、もっといろんなことに興味を持っていろんな講義に出ておけばよかった。
「これを学んで何になるんだろう……」と思っていたことが今では笑い話となったり、「どうしてもっと深く突っ込まなかったのだろう……」と後悔をしたりしてるものもある。
お金があって時間もあって、出身学部に入り直せるだけの学力があれば(これがマジ一番問題)、また勉強しに行きたいなあ、とは思っているけれど。

わたしはなんだかんだで社会福祉士試験に合格している。少しだけ自慢だけど試験問題がわけわかんなくて合格点数も合格者率もめちゃめちゃバグった年に合格してる。wikipediaに載ってる。
けれど実務に使ったことはないし、現場に行ったことも勿論ない。
名称独占ではあるけれど、配置加算とかもあるしまあいつかテンカツとかで有利やろ!ガハハ!とか思っていたことはあったけど、役に立つことは一度もなかった。テンカツの終盤ではアピールポイントですらなかったから、履歴書の記載から消した。書いてしまうと「資格があるんだから現場行けばいいじゃない(笑)」って言われることも多かったし。
経験のある方が現場転活する時だけ書けばいいと思う。知らんけど。

わたしが現場に就職したいなあと思っていた頃はソーシャルワーカーになりたかったらまずは施設で介助の経験を3年くらい積んできてね、みたいな状況だった。
それは、福祉職不足の今現在でも全然変わってないと思う。ちょっと前、県の社福のサイトの求人情報を見てて、半年前から福祉士を募集してる施設があったので、試しに履歴書送ったら「未経験の方はちょっと……」とか言われる世界。だったら未経験可とか求人票に書かない方がいいと思うの。床上手の処女が欲しいって言ってるようなもんやぞ。すげー閉鎖的だなって思った。
「人材育成の余裕ないです」って言ってるようなモン。
この施設まだあるのかな。知らんけど。

ホームヘルパー2級も持っているけど、現場実習の時に「やばい……全く向いてない……」と即座にそう思った。なんていうか心意気がどうとか適性だとか好き嫌いとか云々ではなく、単純に向いていない。
だからわたしは現場の仕事、無理なんだろうなと思ったのだ。

人の話を聞いたり寄り添ったりすることが好きで、とにかくやわらか〜な雰囲気のわたしは、おそらくカウンセラーに向いた人間だったと思う。ずっと目指してきたし、福祉学という対人援助技術に限らないいろんなことを学んでいる。適性はあったのではないか。
けれど、その道は選ばなかった。学生時代にかなりの無理をして抑うつ状態になって寝たきりになってしまった、ということもあるけれど(この話はそのうち書きます)、ある側面から見ると、わたしは完全に「カウンセラーに向いていなかった」のだ。

相手の立場に立ち過ぎてしまう。
HSP故に心の敷居が良くも悪くも低く、相手に肩入れし過ぎて、自分が飲み込まれてしまう。
多感な学生時代にぶっ倒れて時間を浪費したわたしは、「誰かを助ける・支える前に自分がダメになってしまう」と考えてしまったのでする。
その選択は正しかったのか正しくなかったのか、今でもよくわからない。ただ、カウンセラーとか援助職を選んでいたら、もっと早くセルフコントロールとかに目を向けただろうなとは思う。
アラフォーになって自分のことを改めて振り返った時に、昔カウンセラーになりたいと思っていた自分のことを思い出したし、ついでにそれを諦めたことも思い出した。

あんまり笑い話にはできないけれど、勉強したことがもしどこかのタイミングで活かすことができればいいなあという気持ちは、心のどこかにはある。
わかんないけどね。ただ、アラフォーになって飛び込む世界ではないんだろうな、ということはわかる。

いつか別の時に書きたいけれど、福祉の勉強をしていたことが、縁もゆかりもない職に就いた時に結構役に立った。
勉強というのは人生のうちのどこかで、なんか、巡り合わせとかがあるのかもしれない。

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