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観音経の読経

観音経の読経をはじめて、
もうすぐ4ヶ月になります。

いろいろと思うことが
ありました。

観音経はとても長い。
でも、毎日2回以上、(今は3回にしました。)読むと、
まず気がついたのは、
決して難しくはないということ。

むしろやさしい。
(文章が優しい、読みやすいの易しい、
両方感じます。)

観音経って、文章は
何か温かみを感じます。

読み終えた時は、
とても気持ちが楽になり、

またつい面倒になりがちな家事、
たとえば、ぬか床を混ぜる(冬場は氷のように冷たい。)、
猫の掃除など

ささっと取り組めるように
なりました。

そして、最近になって
気がついたことは、
怪我をしなくなったこと。
精神的なダメージも含んでのことです。

私は野菜の収穫など、
農作業をするのですが、

以前は多少の軽いケガを
よくしていました。

トゲが刺さったり、
つまずいてしまったり、

軽傷で済む些細なことです。

そういったことが全くない。

たとえば、マコモダケの収穫の時は、
マコモダケが生い茂る中に入る。
(畑みたいに綺麗に
並んで育ってくるような
ところではありません。

草のやぶかジャングルに
もぐるようなイメージです。)

葉は鋭く、
足元は泥で取られる。
ヤブツルアズキに足がからむことも。

マコモの葉は細長く、とても鋭い。
多少の切り傷は
つきものでした。

稲刈りのときも、些細なケガはよくしていました。


マコモダケの収穫も、
ケガはつきものでした。
観音経始めてからは、
ケガ全くなし。

怪我をしない。

観音様のご加護か、
何かわかりませんが、

文字の力、ってあるんじゃないかな、と思えてきました。

観音経を読んでいるから、
音読で脳が刺激される。

注意が働きやすいのかも
しれません。

それと、日常は変わらなくても、
何か幸福度、幸福感のようなものは
高まってきていると思います。


梅の花。
こういう些細なことでも、
とっても嬉しく、楽しめる。

何か特別良いことが
あるわけではないのですが、見え方が変わってきたのか、

仕事等で何かトラブルがあっても、
あまり腹立たしく思わない。

要は、さほど大きな精神的ダメージを
受けない。

トラブルも良い流れで
解決することが
多いのも実感しています。

以前は、道に落ちている空き缶を
見る程度でのことで、

「なんでこんなところに捨てるんだ」
なんて腹立たしく思う
ようなこともありました。

自然農法、なんてやってると、
今でも時々、お菓子の袋等を
投げ捨てる人もいます。

そんなことも、
そんな人間もいる、ただそれだけ、
って思うようになる。

普段、よく歩くので、
ゴミが視界に入ってくるわけです。


空き缶でイライラしていました。
飲酒運転じゃないのか、って妙に腹立たしく思ってました。

まだゴミを拾い集めるほどの心境と
行動はとれていませんが、

少なくとも、ゴミに感情を
揺すぶられることは
なくなった。

こういう些細なことで
腹をたてると、
実は自分自信がダメージを
くらいます。

ゴミをみて、怒ろうが無心でいようが、
別にどうでもいいことかもしれません。

ただ、イライラする頻度は
ほぼなくなった。

車間距離を縮めてくるような
車がきても、別に焦ることも
なくなった。

要は、気持ちにどこか、
余裕に近いものが
できてきたと思います。

観音経を読み始めて、なかなか読めず、
ぎこちなさは当初ありました。

手本を見ながらでも、
間違えることも多く、
10分以上かかっていました。

やめよう、やめたいとは
思わなかったのは、不思議です。

今は、手本見ながらですが、
概ね8分程度でスムーズに読める
ようになりました。



ふりがな、句読点もあって読みやすい。
息継ぎもしやすい。

京都 三十三間堂の観音経の
冊子です。サイズ、紙の質もよく、
般若心経などものっています。


速さがどうこうではなく、
気持ちよく、スムーズに
読むと、だいたい8分くらいだったということです。

読経では暗唱やスピードは
大切ではない。

個人個人の状況によって違う
と思います。

以前に法事で観音経(短い観音経でした。後半のパートを読むもので、
一般的のようです。)を読み上げる

機会がありましたが、
とにかくゆっくりでした。

後半だけ読む観音経、
って初めてしりました。

というのも、私は、京都三十三間堂で以前に手に入れた冊子しか知らない。

観光客が多いですが、
人がほとんどいない時間も
あります。 長い間、三十三間堂には
いけてないですが、荘厳です。

三十三間堂で手にした冊子は
観音経全文、というのか、
長いバージョンです。

この時に思ったのは、長いものの方がずっといい、って思いました。

まぁ、法事などの行事であれば、
短い文章の方が
好まれるのかも
しれません。

個人が日常で読むなら、
長い方がいいかな、って思います。

というのも、長い文章を
読みあげていると、
だんだん慣れてきます。

読むための呼吸する力を使う筋肉、
読む目、
その他、普段使わない体の部分を
使うから、長いと体がほぐれて、
体も熱が出てきます。

般若心経10回以上やってからの方が
観音経はスムーズに
読みやすいですね。

そして、観音経の読経は、
自分がしているのだけど、

誰か別の人が読んでいるような、
不思議な感覚になりました。

要は、一人だけで
読み上げている気がしない。

文章が長いから、途中で雑念も入っているのかもしれませんが、

文字に集中していても、
どうも温かい気持ちになる。

一般的な短い観音経の場合、
後半箇所だけを読むのですが、
一文一文はとても短い。

簡単に言うと、四字熟語を少し長くしたのような短文を
読み続けるような
感じです。

どちらでもいいかとは思うのですが、
できれば、全文の方がいいかと
思いました。

長い文章も、慣れてくれば、
まるで川の水が流れているかのような、
読み心地になりました。

この感覚は、短めの真言等を
読む時には感じない。


観音経は発音も、文章も
読み上げやすいように
できている、って思います。

でも、読経の前って、
他にもすることがあるし、

時間がないから、などふと思うことが多々あります。

そう言う時って、落ち着いていなく、モヤモヤしている
ことが多い。

そんなモヤモヤしたのを一気に
晴らしてくれるのが、
観音経の読経だとわかりました。

確かに観音経の文章は長い。
でも、読み始めてすぐに、
とても心地よい感覚に
なってくることに
気がつきました。

音楽のような、音符や音階が
あるわけでもないので、
実は読経は誰でもできる。

特に日本人・日本語には
あっている文だと思います。

そして、読む音、韻を踏むような、
きれいな文章と
って素人ながらに感じました。

初めは、毎日最低二回として
進めていましたが、
今は最低3回としました。

これは、観音経の練習を
増やすことも一つですが、

呼吸のトレーニング、
そして、何よりも、なんとも言えない快適か優しさのような
感じがしてきたからです。

素人が何か始めるなら、
圧倒的な量しかない。

おそらく他のことでも同じ、
って思います。

戦前の小説等では、
観音経が聞こえてくるシーンが
ときどき出てきます。

常々思うのは、戦前の日本人の良さは、戦後に結構なくなった、
と以前から強く思っています。

古書などを読んで、
戦前の頃のことを読むのが
好きなのですが、観音経が
よく出てきます。

きっと多くの一般市民が
観音経を朝晩唱えていたんだろう、って思いました。

当時、岡本かのこさん(岡本太郎の母)の
本で観音経の解説も
あるくらいです。

駐車場で強引な動きをしたり、
あおるような様子をみていると、
明らかにイライラしている。

ああいう状態には決してならない、
って読経をしていて思います。

観音経を理解できなくても、
ただ読み上げる。

考えなくても、意味がわからなくても、ただ読み上げる。

それだけでも、結局は心の平安、
落ち着き、身近なできごとのとらえかた、見方まで
かわってくる。

優しい気持ちになれる、
観音経の読経がお祈りになっているのか
わかりませんが、

気持ちをこめて、
ゆっくり読むこともできる。

読経って結構いいもものだと
最近になって
強く思います。

それと、呼吸の力が
一気についてきたのは
実感しています。

ガンなら、般若心経の読経を1日30回以上読むことを進める、という
話を以前聞いて、始めました。

私はガンではないのですが、
ガンて呼吸がつらい時がある。

でもそんなときに読経は、
きっと難しい。

30回読むのは結構大変、だと思った。

だから、健康な状態で読経を始め、
呼吸する力を鍛えておく。

概ね、40回前後の日が多いですが、30回以上の般若心経は、

飽きっぽい私でも概ね2年間
続けてこれました。
これからも継続です。

今は観音経も並行しているので、
朝昼晩、あるいは、
朝晩の読経等の時間は増えますが、
それでも各30分-1時間程度。

普段、ぼーっとする時間があるわけで、
それをやめて読経にあてれば、
十分できることがわかりました。

以前から気がついたのですが、
呼吸の力をつけておくと、
とてもいい、ってことです。体力も
睡眠の深さも変わる。


また読経は、瞑想やお祈りも
同時にできると思うので、

日本語が話せる日本人には
とてもいいものだと思います。

音で治療か音楽で治療する内容の本にもあったのですが、

讃美歌を歌うのをやめた牧師たちが、
原因不明のノイローゼになったそうです。 

再度、讃美歌を歌う習慣をつくると、
一気にノイローゼが消えていった、
という話がありました。

このことは、読経に置き換えれば、
結構事実だと
実感していて、

おそらく自己中な人、やたらと不安、不満が多い人って結構今は
多いと思います。

呼吸の力をつける、まさに読経のようなことでもしていけば、
改善していくと思っています。

呼吸の力があれば、酸素を多く吸える。
酸素で、細胞が元気になる。
気分が変わる。

血の流れもよくなる。
体の各機能が働く。

心の面も、呼吸で集中できる、
体力もつく。
など色々とありそうです。

昭和初期のころ、また戦後でも読経する習慣はあるところもあった。

今住んでいる地域の戦中生まれ、
あるいは戦後でも
読経習慣のあった人は結構います。
(般若心経を暗唱できる人が多い。)

そのような人は、ほぼ多少の癖はあっても、決して傲慢さはない。

どこか人柄の良さを
感じる面がある。
そして、とても元気に見える。

呼吸で酸素を取り入れる力、
健康、
病気予防、
がん予防、
瞑想、お祈り、
謙虚さ、落ち着き、冷静、
平常心、

もしかしたら、何かのご加護でも
あるのかもしれません。(期待せずが
大事かと。自然農法みたいです。)

観音経に限らず、
なんでもいいのかもしれません。

ただ、最も日本では一般的で
親しみやすい
のは観音経じゃないかな、
って思います。

長いけど優しい、難しくない。
恩恵は期待できないけど、
計り知れない。

お坊さんだけが読む
特別なものじゃない、

読んだら色々と恩恵はある、
少なくとも健康には
役立つと思います。

イライラする時って、
おそらく酸欠状態。

焦りも同様。
仮にこれらの対処だけでも
読経の恩恵はすごいと思います。

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