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読んでない本の書評88「闇の奥」

 132グラム。映画『地獄の黙示録』の原案である。コッポラ監督があんまりどうかしてるので、これでいいのだろうかと確認のために読んでみたらコンラッドも完全にどうかしていた。さすがの魚心水心。

 アフリカの奥地に象牙交易で絶大な権力を持っているクルツという男がいる。マーロウという若者がフランスの貿易会社の命で、その象牙のカリスマを連れ戻すという任務に出むいていくのだ。

 象牙じいさんクルツがとにかくよくわからない。
 まず、「いい声」なのだ。そのうえカリスマで天才で、彼の話を聞くとみんながひれ伏して、現地人の神ともなり、密林の奥で壮大な計画を持っているのだという。
  なるほど白人酋長モノなのか、と思いきや、どこまで読んでもクルツが分からない。カフカの『城』みたいなはなしで、クルツは目の前にいるんだけど正体は見えない。

 マーロウが悪いのだ。密林の奥でクルツを見つけたのに、「いい声」にやられて「ははーん、これは偉大な人だ」と勝手にうっとりしてしまう。
 ところが、その「いい声」で何を言ったのかが全然書いてないから、読んでる方には何も伝わらない。談志風に言うと「夢の中で屁を踏むような話」が延々と続く。ちゃんと説明しろ、マーロウ。

 たまに書いてあるクルツの発言は「帰国したら諸国の王たちに駅まで出迎えてもらいたい」みたいなことである。密林に隠れて象牙の略奪してる人の発言としては、むしろドン引きするところではないか。なぜみんなうっとりしているのか。さらに謎は深まる。

 姜尚中さんという、ものすごくいい声の学者さんがいる。テレビで見かけるたびに「いい声だなあ、マダムにモテるんだろうなあ」ということばかり考えてしまい、言ってることの内容が頭に入ってきたためしがないのだが、思うに、クルツはたぶんああいう感じなのだ。
 そしてこの密林の姜さんは、身長が2メートル10センチ、魔境によしよしと撫でられたかのようなつるつる頭なのだからインパクトがすごい。

 いったん収容された船から老衰した身体で逃げ出したりする。夜の密林に原住民が潜んでいる気配におびえながらマーロウが探しにいくと、闇の中で「まるで地面が吐き出す湯気のように」いきなり目の前に立ち上がる。2メートル10センチのつるつる頭の老人が。
 たぶん、遊園地で子どもが中に入って遊ぶエア遊具みたいな感じで目の前にむくむくっと出現したのだろう。そしていい声で「向こうへいけ」とか言う。
 とにかく声出してわらっちゃうほど面白い状況なのだけど、肝心のことはほんとうに何もわからない。だいたいクルツおじいちゃんはどうせ帰国するのにどうしていったん船から逃げたのか。

 最終的にクルツじいちゃんは「ホラー!ホラー!」と、いい声で叫びながら船の中で亡くなるのだ。それを看取ったマーロウは強い感銘を受け、ブッタめいた雰囲気の老人になって、若い船員たちに要領を得ないクルツの思い出話を繰り返す人になる。本当になぜなんだ。

 何か分かろうとして読むとうっかり難解で退屈な書物に見えてしまいかねないのだけど、夢の中で屁を踏むような話、というつもりで読むと抜群に面白い。圧倒的な闇の怖さも、言葉にできない説得力があるらしい謎の老人も、生き生きとした描写で楽しい。そしてとにかく笑える。 

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