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100「灯台へ」ヴァージニア・ウルフ

148グラム。オブラートみたいな謎のピロピロした紙がついている古い本を見つけると少しうれしい。この気休めのようなカバーはいったい何なのか。

 六歳の少年ジェームズは灯台に行けるのを大変に楽しみにしている。しかし、高圧的な性格の父ラムジイ氏がやってきて「明日は雨だから灯台は無理だな」と冷たく言う。そばで聞いていたラムジイ夫人は少年がどんなに傷つくかを感じ取ってひどく心を痛める。

 冒頭のシーンを読んで「ははーん」とおもう。タイトルが『灯台へ』で、はなしがいつまでもあっちに行ったりこっちに行ったりし続けるということは、「さてはカフカですね」と。『城』風に、きっといつまでたってもたどり着かないという話にちがいない、と決めてかかって読み進む。

 びっくりしたことに、ちゃんと着くのである。ただし、10年の時を経て。暴君だった父は老人になり、家族の要だった母は亡くなり、ジェームズは青年になっている。そして父をひどく憎んでいる。

 ジェームズは憎みすぎていて気付いてないのだが、実は父ラムジイ氏はなかなかユーモラスな人だ。
 50もすぎているのに哲学者ヒュームが太り過ぎて沼にはまって近所のおばあさんに助けてもらったなんていう話をひとりで思い出してくすくす笑いながら散歩する(そんなにおもしろくない)。
  あるいは突然悲劇的な詩を大声でわめいたり。妻と六歳児が遊んでいるところに突如やってきて、慰めてもらえるまで「おれは敗北者だ」と言い続けたり。

  「奇人変人」のくくりに入るくらいの奇行のように思うが、評判の美人と結婚し八人も子どもがいるくらいだから、面倒なわりにはかわいげもある人なのだろう。
  ただ、母を奪い合わなければならなかったジェームズにはちっとも面白くない。どうもラムジイ氏は、母にとりわけかわいがられているこの末の息子に嫉妬しており、冒頭の灯台行き中止もやきもちである可能性が高い。

 関係をつなぐ要だった母が亡くなってからこの灯台の見える別荘を訪れなかった歳月、父子の関係はさんざんだったろう。
 10年ぶりに別荘へ帰ってきて、父はなぜ息子に灯台へ行こうなどと言い出したのか。アガサ・クリスティだったら間違いなく殺される状況ではないか。

  父は父で気まぐれで灯台行きを中止した件を気にしていて、まわりくどい方法で贖罪したかったのかもしれない。
 父の偏屈を憎んだ息子は父によく似た偏屈になり、亡くなった母は灯台として家族の象徴になり、父とジェームズを心配する娘は母に似てくる。平凡に平凡を重ねながら、時が繰り返していく。どうせ遺伝子には逆らえない。

 華のある存在でストーリーの推進力だったラムジイ夫人が第一章で死んでしまうので読んでいてびっくりする。しかし、この家族は沈黙ののち再び母を見出すのだから、カフカと違ってともかく灯台には着くのである。読む側としては、やはり、一応目指した場所にはついた方が安心するものだ。

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