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123「外套」ゴーゴリ

192グラム。昭和レトロ家電のような表紙デザインがかわいい。そして巻末になぜか唐突に中学生の感想文が付いているのでびっくりする。古本屋さんで買い集める本というのはたまにこんな風変わりなものがぽろっと混じってくるのがいい。

 貧乏役人アカーキー・アカーキエヴィチが、爪に火をともす生活で貯金して外套を新調する話だ。苦労して手に入れた新しい外套はその日のうちに追いはぎに盗まれる。役所に行くやら警察にいくやら、取り返すべく奔走するが、剣もほろろに追い返され、失意のうちにせん妄状態で死ぬ。その後街では外套を奪う亡霊が出るという噂が立つようになる。

なかなかに残酷な話なのである。何がといってこの貧乏役人アカーキー・アカーキエヴィチが面白いのだ。小男で醜くて常にオドオドしてる。

かれは一風変わった芸をもっていて、通りを歩いても、窓からいろいろなごみくずが放り出されるときに限って、ちょうどその下を通りかかるのである。だから、彼の帽子には、すいかの皮とか、メロンの皮とか、そういったくだらないものが、いつも載っているのである。

「そんな人いるかっ」と突っ込みつつも、ちょっといるような気もしてくるところがすごい。あまりにも運が悪くて自分から選んでるように見える人って、たしかにいる。
 そしてボロボロの正装で頭にゴミをのせて歩いてくる小男、って完全にチャップリンではないか。真面目でおとなしい人なのだが動きは常にコメディなのである。

 このスラップスティックな貧乏役人は、役場で清書係として働いている。彼が字を書くのは生きがいでもある。家に持ち帰って楽しみに清書をするほど字を書くことが好きだ。何もない貧しい寒い部屋で、ろくな食事もないまま、いそいそと文字を書いて楽しむ彼の世界は、なんだかじんわりいい。

 この世界が、しかし新しい外套のために一変してしまうのだ。自信をつけたように見え、家に帰っても清書をしないで寝台に入ったりするようになる。前のボロ外套と新しい外套を並べてつるして、くすくす笑ったりする。読んでいる方はたいへん不安になるところだ。
 法事で妙に浮かれて場違いなシモネタを口走りはじめる親戚のおじさんのような、危なっかしくて見ていられない、という気がしてくる。

 果たして、経験のない夜の外出をし、浮かれ気分でなんとなく女性の後をふらふらとついて行きかけた暗い路地で追いはぎに会って外套を取られる。それがショックであっという間に死んでしまうのだ。なんという死因。

 アカーキー・アカーキエヴィチには友達がいないが、実は一人、なかなか味わい深い人物が出てくる。外套を手がけた仕立屋ペトロ―ヴィチだ。
 およそ呑んだくれのダメ人間であるが、しらふの時は結構いい仕事をする。アカーキー・アカーキエヴィチの新しい外套がどういう風にみえるか確認するためにわざわざ通りに出て、歩く姿をずっと見ているような人だ。それから正面からも見てみようと思い立って、走って先回りして待ち伏せし「おー、きたきた」とかやるのである。大人にしてはずいぶん馬鹿で、ちょっといいやつだ。

 この仕立て屋とならば、なくなった外套のことを一緒に語らい、あれがどんなに素晴らしいものだったか思い出を共有しえたのではないか。そしてちょっと元気が出てきたら今度こそもっといい外套を、という夢を語りあいながらまた節約生活ができたではないか。
 孤独なアカーキー・アカーキエヴィチには、亡霊になって警察署高官の外套を奪ったのがせめてものカタルシスだったのである。面白いが、やっぱり寂しい。

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