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「マスゴミ」の正体

【いま「報道」はプロのものじゃない?】
ネットがある時代には「報道」という行為はプロのものではなくなった、という感じがある。

【例えば野球選手だったら】
野球選手が一般人とは違って、マウンドに降りて、多くの人の注目を得て走り回る権利を持つのは、野球という試合をするために認められている、ってことだからね。試合もしないのにマウンドに降りて走り回ると、そりゃブーイングの嵐になるよね。

だから、一般的にマスコミが悪い、とか言うんじゃなくて、本来やるべきことをしない「マスコミ組織」が、鮮明に多くの人に見える時代になっただけ、ってことだな。そのマスコミ組織が中味が空っぽの「特権」だけ使えば、そりゃねぇ。いろいろ言われるよね。

【「特権」のような報道だった時代もあったけど】
特権のように「報道」という腕章をつけて一般人が入れないところに入って、当事者に話を聞き、映像を撮り、表からは良くわからないところに入り込み、巨大な装置を使って多くの人には一見ではわからないような「事実」や事実に至るまでの背景を解き明かす。そんな「報道組織」のイメージがあったが、今は、報道機関に取材される当事者、あるいは当事者に近い人が、必要とあらば自分で事実を広い世間に知らせる「インターネット」という道具を使うことができるようになった。

【「事実を知らせる」だけでは】
報道機関という組織は「ただ知らせる」だけの報道には意味がない、という時代になった。であれば、報道機関の価値は、一般人では知り得ない事実をさらに時間や手間をかけて深く掘り起こし、他の世間とのつながりを探り公にする、というところに価値のありどころが移ったのだ。それが「報道のプロ」の役割になった。いや「移った」のではなくて、その本質が鮮明に浮き上がって来たんだな。

【なぜ「特権が認められていたか】
現代という時代はインターネットがあるために、報道のプロが持つ「本当の実力」「報道という職業の役目」がより鮮明になったと言えるのじゃないか?と、私は思う。その実力とその結果があってこそ「特権」が認められる。今の報道機関はそんなところにいるんだろうな。

【「プロ」はなぜプロかが問われる】
逆に報道機関の持つ「特権」にフォーカスして、それを中心に、その存在感の上で満足していると、アマチュアであるインターネット上の素人以下のことしかしなくなり、社会での存在価値がなくなるんでしょうね。そういうところは多いように見えるけどね。だから「マスゴミ」とか、多くのところで言われちゃうんだね。だから「マスゴミ」って、決して根拠のない揶揄ではないんだな。むしろ怠惰な報道組織と、本来の役目を果たす報道組織を分けるキーワードなんだろうね。

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