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遊廓と日本人 (田中 優子)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 いつもの図書館の新着本リストの中で見つけました。

 著者の田中優子さん元法政大学学長で江戸文化の専門家です。田中さん関係では、以前、松岡正剛氏との対談集「日本問答」という本を読んだことがあるのですが、その博識さとキレのある語り口が強く印象に残っています。

 本書のテーマは「遊郭」
 落語ではよく登場する場所ですが、その実際については全く知りません。私にとっては、本書で初めて聞き知ったことばかりだったのですが、その中から特に印象に残ったところをいくつか書き留めておきます。

 まずは、「遊郭」の位置づけ
 もちろん「廓」として女性(遊女)の人権や健康を害する場ではありましたが、その他、別の面も有していました。

(p7より引用) 遊廓は日本文化の集積地でした。書、和歌、俳諧、三味線、唄、踊り、琴、茶の湯、生け花、漢詩、着物、日本髪、櫛かんざし、香、草履や駒下駄、年中行事の実施、日本料理、日本酒、日本語の文章による巻紙の手紙の文化、そして遊廓言葉の創出など、平安時代以来続いてきた日本文化を新たに、いくぶんか極端に様式化した空間だ、と言えるでしょう。

 さて、江戸期に作られた遊郭ですが、明治以降も幕府に代わり政府公認の遊郭は引き続き存在し続けました。
 そこでの遊女の人権問題は、当時の「不平等条約撤廃交渉」においても関係していたそうです。

(p139より引用) マリア・ルス号事件を契機にして、明治政府は、現在の私たちの政府とは比べ物にならないくらい速度ある対応をとります。同事件が決着するや否や政府は、一八七二(明治五)年、遊女および同様の労務契約によって拘束されている者の「一切解放と身代金即時解消」を命じたのです。これを芸娼妓解放令と言います。
 むろん、これは外交手段です。不平等条約を回避するために明治政府がおこなっているさまざまな、西欧諸国へのポーズのひとつでした。なぜなら、実態はその後もほとんど変わらなかったからです。

 その後、「貸座敷渡世規則等の制定」「近代公娼制度の成立」等、仕組みは変化しながらも遊郭類似社会は存続しました。

 さて、本書ですが、「遊郭」をテーマに、その歴史や遊女たちの暮らしぶり等、さまざまな事実・実態・エピソードが盛りだくさん。そのほとんどが知らないことだったので、大いに刺激になりました。興味を抱いた事柄に関する知識をサクッと概観できる本はとてもありがたいですね。

 とはいえ、本書が目指したものは、そういった “文化としての遊郭社会” の紹介だけではありません。
 遊郭社会の背後に通底する「ジェンダー差別」「家族制度」に関する問題。それらは、コロナ禍の今なお現代的課題として残存している。その状況を何とかして解決したい、著者が本書をもって強く訴えているメッセージです。



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