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ルワンダでタイ料理屋をひらく (唐渡 千紗)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 いつもの図書館の新着書リストの中で目に留まりました。
 ちょっと前に服部正也さんの「ルワンダ中央銀行総裁日記」を読んだところだったので、“ルワンダ” という文字に反応して手に取った本です。

 内容は強烈です。似たようなテイストの旅行記ならそこそこありますが、これは、シングルマザーである唐渡さんが、旅行で一度行ったことがあるだけのルワンダで「タイ料理屋」を開くという大奮戦記です。

 当然起こる想像を絶するエピソードからいくつか紹介します。

 まずは、定番の現地のノリとのギャップ。

(p67より引用) ルワンダ人と働き始めてまず痛感するのは、一歩先を見通す、段取りを考える、ということが極端に苦手な人が多いということだ。そもそも「段取り」という概念があまりない。そんなのその時になってから考えようよ!というスタイルだ。ここでは、今日のアポも結局あるのかないのか、当日になって決める文化だ。祝日がその前夜に決まってラジオを通して国民に知らされる、なんてこともある。

 “時間の進み方” が違うというのは、日本でも、以前の沖縄がそれに近い感じですが、それをも遥かに超越した “おおらかさ?” ですね。

 そして、「買い物をお願いして、渡したお金の残りを自分のものを買うのに使ってしまう」とか、「店に自分の家の洗濯物を持ってきて洗う」とか、「店の装飾品を客の求めに応じて勝手に売る」とか、「外出制限時間に遅れそうになり配達を諦め、自分でその料理を食べてしまう」とか・・・、さらには、雇っていたドライバーから脅迫されたこともありました。

(p139より引用) 「助けてあげよう」と意気込んでルワンダに来た外国人が、繰り返されるスタッフの嘘や不正、裏切りに失望し、さじを投げる場面を何度か見てきた。私もここに来るまでは、一事が万事、小さなことでも、いけないことはいけないと断罪してきたと思う。でも。どうなんだろう。
 盗まなくても、嘘をつかなくても、脅さなくても、裏切らなくても生きていけるなら、それは必ずしも、心が清いってことじゃない。そういう場所に生まれたっていうことなんだ。

 彼らの行動は、私たちでは到底思い至らないような背景や厳しい現実の反映でもあるのでしょう。

 さて、本書を読み通しての感想です。

 今までも様々国々への旅行記のようなものは何冊か読んでいるのですが、本書のような「外国に移住して店を開く」といった経験を綴った体験記はあまりありませんでした。(山口絵理子さんの「裸でも生きる―25歳女性起業家の号泣戦記」が似たようなテーマですね)

 旅行ですら思いもよらない経験をするのですから、住んで働いてとなるとその驚きの程度は桁外れなんですね。
 そして、その紹介されているエピソードが、単なる習慣の違いというレベルにとどまらず、人種的背景・歴史的経緯等をバックボーンとして生起していることは、とても衝撃的ですし、さらに、そういったショッキングなトピックを現地の人々が平然と語る姿にも深く考えさせられました。

(p253より引用) ここで出会った、自分の人生を丸ごと受け入れ、前だけを見つめ、歩みを止めない人たち。時として、吹き荒れる嵐の中の、ろうそくのともし火のような命を、懸命に燃やして今日という日を生きている。

 今もコロナ禍真っ只中のルワンダで、現地のスタッフと一緒に、一心不乱に苦労をともにしている唐渡さんは、本書の「おわりに」の章でこう語っています。

(p257より引用) そして始めてからも、くじけそうになることは訪れる。結果が出るまでには、時差があるから。結果というアウトプットは、日々の努力というインプットが溢れることでしか生まれない。圧倒的な量を、溢れるまでインプットし続けるしかないのだ。地味な作業だ。

 さらに、

(p259より引用) 選択肢があること。それを自分で選び取れること。それは、世界の一部の人にだけ許されていることなのだと、ルワンダが教えてくれた。持って生まれた特権を、あなたはどう使うのか?誰のために使うのか?いつもルワンダが私に問うていた問いを、これからは自分で自分に問い続けるだろう。

 この気づきのインパクトは絶大です。心に沁み入るメッセージですね。



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