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日本のいちばん長い夏 (半藤 一利)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 この時期(8月)には、できるだけ「戦争」を扱った本を読んでみようと思っています。

 少し前になりますが、半藤一利さん「日本人の宿題: 歴史探偵、平和を謳う」を読んでいて、“太平洋戦争” をテーマにした大座談会の話が登場していました。

 本書は、その座談会の様子を記した著作です。

 8月15日を挟んだ終戦前後、様々な立場、様々な場所で同じ時を迎えた30人の人々の証言は、心に留め置くべき真実の吐露でした。
 それは、読む人の心に改めて戦争の悲惨さや理不尽さを刻み直すものもあれば、戦争に至らしめた人の無責任さへの怒りや虚しさを思わせるものもありました。

 たとえば、ポツダム宣言受諾をめぐる8月10日ごろの政権内の様子を振り返ってのやりとりです。

(p69より引用) 松本俊一(当時、外務次官) 終戦工作というのは、要するに、今になると実感としては、文字の解釈論争みたいなものでしたね。
迫水久常(当時、内閣書記官長) そうなんだな。前の「黙殺」もそうだが "subject to" なんかもその典型だった。回答の中に「天皇および日本国政府は、連合軍司令官に subject to する」とある。これを何と翻訳するか。陸軍はことさらに、字引きのなかの「隷属する」というのを引っぱり出して、日本を奴隷にするつもりだ、といきまく。外務省は苦しまぎれの訳で「制限の下におかれる」。私は下手に法律の言葉を知っていたから「但し何々することを妨げず、と いうときに subject to を使うのだ」と頑張った。こんなことで一日中議論しているのだからね。

 こういった当時の政権や軍部中枢にいた方たちの生々しい証言を耳にすると、何か他人事のような虚しさとともに強い憤りを抑えることができません。あなた方が “文学論争” をやっている最中にも、数多くの一般国民や前線の兵士たちがその尊い命を落としていったのだと。

 また、極限状態の戦場で敵と対峙していた兵士たちの本音を語る声

(p103より引用) 大岡昇平 それで思うのだが、十五日の放送をきいて、くそっと思ったところは、大体において食糧があったのじゃないだろうか。
会田雄次 くそっなんて、少くとも思ったものは僕のまわりにはなかったですね。幽霊に意地なんかありませんよ。
池部良 もともと兵隊には敵愾心なんかありませんものね。条件反射としてはありましょうけど。
岡部冬彦 ありませんでしたね。
村上兵衛 ただ眼の前で仲間がやられると、敵愾心が起る、とある友人がいってましたが。
会田雄次 それは起ります。僕も経験しました。
有馬頼義 空襲だってアメリカがやっている気がしない、天災みたいな気がしてね。
扇谷正造 兵隊に敵愾心など、いつの戦争でもないのではないですかね。

 戦闘は誰の意思で行われていたのか、意思と肉体(生命)とは別々だったということです。理不尽な環境に置かれ、心にもないこと、理屈では理解できない行動をとらされ、その結果貴い命を亡くしていったのです。

 そして、座談会の最後のあたりでのやり取り。

(p121より引用) 上山春平 最大の愚行から最大の教訓を学びとること、これが生き残った特攻の世代に背負わされた課題なのかも知れません。
有馬頼義 同感です。とにかく終戦によって何万、何十万の人間の生命が救われたことは事実です。それが僕だったかも知れない。そう考えれば生き残ったわれわれが何をなすべきか。一人々々が真剣に考えるべき問題であることはたしかなのです。

 あまりにも大きな代償でした。「せめてもの」という真摯な気持ちの発露でしょう。

 この座談会が設けられたのは昭和38年ですから、終戦から18年後になります。司会を務めた半藤さんも33歳、多くの戦争体験者がまだ健在で記憶も確かなころでした。

 それから半世紀以上の歳月が過ぎ、こういった方々から直接体験談を聞く機会はほとんど無くなってしまいました。
 それだけに、この座談会の記録はとても貴重です。そしてその場で交わされた証言は、決して忘れてはならない記憶と教訓に満ちています。



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