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古今亭志ん朝の口調で読む芥川龍之介「鼻」(6)最終章。~雨降って地固まる

人並み外れて長く垂れ下がった「鼻」を持った僧侶・内供ないぐ
顛末を描いた芥川龍之介の小説を、二代目古今亭志ん朝の口調で綴る
6回目の最終章は、ようやく鼻が短くなったかと思えば、
途端に周囲が冷ややかになるという事態に見舞われた
内供が、最後に手にした境地が明らかになります。

■幸せの向こうにある不幸せ
 さて、(普通に短くなった鼻を笑われた)内供はと言いますと、日毎に機嫌が悪くなってまいりまして。どんな者にも二言目には、意地悪そうに叱りつけたりしましてね。これは、周りの者はたまったものではありませんな。
 しまいには鼻を踏んで治療をしてくれた、あの弟子の僧でさえ「内供は法慳貪ほうけんどんの罪、あさましくなる罪ってぇのを受けられるぞ」なんて陰口をきくという風になってまいりまして。
 
 特に内供を怒らせたのは、例のいたずらな中童子で、
ある日「どうも犬がうるさいな」ってんで、内供が何気なく外へ出て
見てみますというと、中童子が、二尺ばかりの木片をふり回して、
毛の長い、痩やせたむく犬を追い回している。
これが、ただ追いまわしているんじゃないっ。
「鼻を打たれるな。それ、鼻を打たれるな」
と、こう囃しながら、追い回している。
そこで内供は中童子に近づくってぇと、手からその木片を
ひったくりましてね、その顔をぴしゃんと打った。何しろこの木片というのが、
あの自分の鼻を持ち上げたものだったんですから放っちゃおけません。
 この後、内供はもう、なまじ鼻が短くなったのがうらめしくなって
くるという始末で。

■奇跡の裏返し
 さあ、そこで、ある夜のことでございます。
 日が暮れてから急に風が出たと見えて、塔の四隅に吊るされた風鐸の鳴る音が、うるさいほど聞こえてきた。
 その上、寒さもめっきり厳しくなっておりまして、もう若くはない内供は
寝つこうとしても寝つかれない。そこで床の中でまじまじしておりますと、ふと鼻がいつになく、むず痒いのに気がついた。
 そこで鼻に手をあててみますと、少し水分を含んだようにむくんでいる。
 それどころか、熱さえ感じてきた。内供は、仏前にお香とお花を
供えるような、うやうやしい手つきで鼻を抑えますというと、
「無理に短くしたからか、何か病が起ったのかも知れない。」。
なんてなことまで呟いていた。

 翌朝、内供がいつものように早く眼をさましますというと、
お寺のイチョウやトチが一晩のうちに葉を落したようで、
庭が黄金を敷いたように、ぱぁ~と明るくなっておりまして。
霜が下りたせいでしょうか、まだ薄い朝日を浴びて、
塔のてっぺんに、こう細長い輪が重ねられた九輪てぇのが伸びていますが、
これもまばゆく光っている。
そこで内供は、しとみと言う格子を取り付けた板戸を上げまして、その縁に立ちますと、深く深呼吸をいたします。

 さてこのとき、ほとんど忘れようとしていたある感覚が、
再び内供に戻ってきたようでございまして。

■雨降って地固まる
 内供があわてて鼻へ手をやりますってぇと、手にさわったのは昨夜の短い鼻ではない。上唇の上から顋の下まで、五六寸つまり15cmをちょいと超えるほどの長さでぶら下っている。
 鼻が、一夜の内に元通り長くなっちゃった。ただ、この時の内供、
驚きはしても悲しくはならなかった。
 それどころとか、鼻が短くなった時と同じような、
晴れ晴れした心もちが、
どこからともなく沸き上がってきた。

 気にしていた長い鼻が戻ってきたというのに、
気持ちが前と反対に動いている。
 この内供、そんなことには気づかずに、戻ってきた長い鼻を、
明け方の秋風にぶらつかせながら、
心の中でこう自分にささやいたそうでございまして、

「こうなれば、もう誰も笑う者はないに違いない」

雨降って地固まる。芥川龍之介「鼻」の一席でございました。
お後がよろしいようで。          

                              *

【二代目 古今亭志ん朝さんについて】
昭和の落語界の重鎮、かの六代目三遊亭圓生をして
「将来、三遊亭圓朝を継ぐとしたら、この人です」と言わしめた
早逝(63歳で没)の噺家。
私が最も大好きな噺家で、高校の落研時代、何度も“志ん朝落語”を
覚えて演じていた。高3の“襲名披露興行”でも、
志ん朝さんの「鰻の幇間たいこ」を演った。

このnoteでは、私の脳裏に刻み込まれた、
粋で鯔背な江戸っ子がそこにいるような
志ん朝さんの語りを、
ただ自己陶酔しながら書いている。

【5回目までのバックナンバー】
同じ志ん朝さんの口調で、「鼻」の冒頭から綴っています。

https://note.com/noriyukikawanaka/n/n86136acb9fb7?magazine_key=mf2e650bd6fff











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