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太宰治『海』全文にツッコミを入れてみた

以下、本文は「青空文庫」からの引用である。めちゃめちゃ短い。戦時中に、太宰が妻子連れて太宰の生まれ故郷の津軽へ疎開したときのエッセイである。


 東京の三鷹の家にいた頃は、毎日のように近所に爆弾が落ちて、私は死んだってかまわないが、しかしこの子の頭上に爆弾が落ちたら、この子はとうとう、海というものを一度も見ずに死んでしまうのだと思うと、つらい気がした。

「この子の頭上に爆弾が落ちたら」という誇張表現。あと親ばかっぷりがすごい

私は津軽平野のまんなかに生れたので、海を見ることがおそく、十歳くらいの時に、はじめて海を見たのである。

今なら車で30分で海に行けると思う。

そうして、その時の大興奮は、いまでも、私の最も貴重な思い出の一つになっているのである。この子にも、いちど海を見せてやりたい。

「最も貴重な思い出」なのか…???一応島国なんだが…

 子供は女の子で五歳である。やがて、三鷹の家は爆弾でこわされたが、家の者は誰も傷を負わなかった。

「爆弾でこわされた」なかなかのパワーワードだ…

私たちは妻の里の甲府市へ移った。

こういうときぐらいは妻の実家にころがりこむのはしょうがない。でも
普段だったら絶対嫌だ。

しかし、まもなく甲府市も敵機に襲われ、私たちのいる家は全焼した。

これはぴえん

しかし、戦いは尚つづく。いよいよ、私の生れた土地へ妻子を連れて行くより他は無い。

最初からより安全なところに行けばよかったがこればかりは予想できまい。

そこが最後の死場所である。

最初、「あんたの最後玉川上水やんけ」と思いましたが、「ここで骨を埋める覚悟である」という比喩だったのかもしれないと思い、僕の読解力のなさを恥じました。

私たちは甲府から、津軽の生家に向って出発した。三昼夜かかって、やっと秋田県の東能代までたどりつき、そこから五能線に乗り換えて、少しほっとした。

三昼夜もかかるの!?

「海は、海の見えるのは、どちら側です。」
 私はまず車掌に尋ねる。この線は海岸のすぐ近くを通っているのである。私たちは、海の見える側に坐った。

「海は、海の見えるのは、どちら側です。」ってきく太宰、かわいい

「海が見えるよ。もうすぐ見えるよ。浦島太郎さんの海が見えるよ。」

太宰、ワクワク

 私ひとり、何かと騒いでいる。

なにかのフラグでしかない

「ほら! 海だ。ごらん、海だよ、ああ、海だ。ね、大きいだろう、ね、海だよ。」

すこし落ち着きなさい

 とうとうこの子にも、海を見せてやる事が出来たのである。

親としてはそういうものだろうか

「川だわねえ、お母さん。」と子供は平気である。

せっかくの海を「川」呼ばわりする娘

「川?」私は愕然とした。

太宰「えっっっっっっっっっっっっっっっ???????」

「ああ、川。」妻は半分眠りながら答える。

妻まで川呼ばわりして草

「川じゃないよ。海だよ。てんで、まるで、違うじゃないか! 川だなんて、ひどいじゃないか。」

太宰、激おこ

 実につまらない思いで、私ひとり、黄昏たそがれの海を眺める。

あぁ。悲しい最後でした。エモい。


前回までのはこちらから


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