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想像力の外側へ

大丈夫としんどいのはざま

私はメンタルの波があることや、感覚過敏・鈍麻等で、生きづらさを感じていますが、もう何もできない!となるほどでもありません。通院・服薬も続けていますがはっきりと診断名を言われたことはありません。申請のために書いてもらった診断書はありますが主治医から詳しく説明をうけていません。
できることとできないことの差が激しいし、できるけどしんどいこと(そのしんどさに自分で気づけない)ことがあります。自分のことが少しわかってきましたので、最近は調整をしたり周囲にお願い事をしたり働き方を見直したりしています。それでもきっと、外からは分かりにくい。
私の大変さはやはり大変なのでわかってほしいという気持ちがある。でもきっと、私だけではなく、それぞれの人がそれぞれの大変さを持って生活している。もっと大変な人もいるのだ。そんな想像力を忘れずにいたい。

関心のない人が関心を持つきっかけ

じゃあ、自分の知らなかった困難さを抱えている人に気づくきっかけはなんだろう?関心がないから情報に出会わない。(情報を素通りしてしまう)
当事者になる、当事者と会うというのは確実だ。私が様々な病気の人の話を聞くようになったのはペイシェントサロン「心の健康」についての回に参加したところから始まった。https://note.com/patientsalon/n/n4b166a28303c

ハブになってくれる人との出会いで一気に視界が広がった。患医ねっとの「くすりと生活」の配信を見ていることも大きな影響をもらっている。https://kan-i.net/ml/

それから、「あゆかんラジオ」もおすすめしたい。とにかくお二人の話が楽しくて聞いている。

あゆとかんで【あゆかん】です。 病名や立場を超えて、ここなら安心して話せる カフェの様な場が欲しくて始めました。 真面目な話から雑談まで、のんびりきままに。 皆さんの憩いの場となりますように。

[発達障害✖️難病]あゆかんラヂオ

ライフイベントについて考える場面

色んな状況・考えの人がいる、家族や関係性のあり方も多様だ。その中でライフイベントについて考えたり話し合ったりする場面があると複雑だ。かすかな引っ掛かり、それは単に個人的なこだわりかもしれない。逆に無知ゆえの発言や行動・反応が周囲の人を不快にさせたり傷つけたりしてそのことに気づかないこともきっとあるだろう。
それだからといって黙って過ごしていたら、余計に自分のことしかわからないままだ。人間に起こりうるライフイベントについて、フラットに、色々な年代の方と、色々な属性の方と、話せる機会はあるといい。きっと作れると思っている。

安心の作り方

「”ひとりじゃない”と感じるのはどんな時?」をテーマにした対話も参加してよかった。
https://note.com/patientsalon/n/n1e282ab28499

とてもとてもありがたいことに自分自身は、周囲の人のやさしさや、運と縁でのらりくらりと生きてきた。棒をぶん回して人と距離をとってきた時期や、殻に閉じこもっている時期もあった。
これからは違う安心の作り方ができそうな気がしている。たくさんの人のおかげで安心をもらった。サレンダー。コントロールしようとしないあり方でいきたい。名づけえぬもの、言葉にならぬもの、はざまにあるものも感じ取れるのだから。
感謝をわすれずに、想像力の外側があることをわすれずに進んでいきたい。


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