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お母さんも死ぬよ

先日、下の(4歳の)娘が食事中唐突に「おかあさんあいしてる♡」と言ってきた。
嬉しいが、意味わかって言ってるかな?という見くびりもあり、
「ありがと、『あいしてる』ってどういうこと?」と尋ねた。すると、
「死んでほしくない、ってこと」

あまりにも的を射すぎてて、
「うん、じゃあ頑張るね」としか言えなかった。

子供はたまに、「おかあさん死なないで」と言ってくる。別に私が死にたそうな顔をしてる訳じゃなくても。たぶん、死生観が芽生える時期なんだと思う。

こういう時、だいぶ慎重に返答するようになった。
なった、というのは前科があるからだ。

一度、上の娘(当時4歳)が
「おかあさんも死ぬの?」と聞いてきた時、
真顔で「死ぬよ。人間はみんないつか死ぬよ」と圧倒的真実を伝えてしまった。
それからしばらく、娘は寝る時シクシク泣くことがあった。
完全に時期尚早な上に、言葉のチョイスも非言語的部分も最悪だったと思う。

しばらくして、また同じ事を聞かれる機会があった。その時は
「いつかは死ぬ、でもそれはずーーっと先で、おばあちゃんになってからだよ。それに、死んでも、おかあさんのこと覚えてたら、○○ちゃんの中ではおかあさん生きてるよ」
と超ファンタジック丁寧な回答をした。
さすがに泣かれなかった。

とは言ったものの、正直いつまでも心の中で私が生きているようでは困る。
基本的に、彼女たちの人生と私の人生は別物であり、「心の中で生きている」と言えるレベルまで鮮明に憶えられていては、彼女の人生に支障をきたすと思っている。
思い出のいいとこ取りだけして、「あの時のお母さんマジ笑ったね」と言い合える程度になれる、そのタイミングで死にたい。
冒頭、下の娘に答えた「頑張るね」という約束も、その範囲の頑張る、だ。

最近、上の娘が「死ぬのがこわいの」と涙ぐむことがあった。(過去に強引な死生観押し付けたからかも、ごめんね。)
さすがに子供の死生観対応も慣れてきた。

「分かるよ。
お母さんも怖い。お父さんも怖い。
犬とか猫も、怖いって気持ちはないけど、死ぬかもってなったら一生懸命逃げる。
生き物はみんな、死にたくなくて生きてるんだよ。
○○ちゃんが怖いのは、全然おかしい事じゃないんだよ」

聞いてくれたし、今回は泣かさなかった。よくやったぞ私。
そしてさらに、前半オザケンを思い浮かべながらこう言った。
「お母さんは、死ぬってこと分かってて、それでも今日を楽しく美しく生きる人が好きなんだ。
それに、死にたくないっていう気持ちが、色んな綺麗な絵や音楽を生むんだよ。」
これに関しては全然聞いてなかった。
まぁ5歳児の集中力なんてそんなもんですわ。

長生きなんてしなくていいと思っていた。
そういう心持ちで生きてた私はこの歳になり(お察し下さい)、両親は60代。
今まだ、両親に死なれたら「早すぎるよ」と思ってしまうだろう。

個人的な願望を言えば、夫に先立たれると本当に、精神的文化的に困るので、チキンレースの如く私が先に死にたいとは思っている。
でも、子供たちの中で「お母さんも死んだねぇ」くらいになるまで、思い出の大半が風化するまで、心の中で生き続けやしなくなるまで、頑張って生きようか。

時間は死に向かって過ぎていくのに、人間は死なないために生きる(場合が多い)。
死も怖いが、生きるのもなかなか大変だ。
大変だけど、求めてくれるなら、必要じゃなくなるまで、ここに居るつもりでいる。それが、死ぬまで続く唯一の約束。

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