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ミーツ・ザ・福祉ってやつを考えてみた 〜場における多様性と、個人の中にある多様性〜(藤本寄稿記事)

これまでのミーツの様子は、下記の動画からご覧いただけます!
🌟ミーツ・ザ・福祉2018 Youtube  🌟ミーツ・ザ・福祉2019 Youtube
🌟ミーツ・ザ・福祉2020 Youtube  🌟声のないお店 Youtube

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「ミーツ・ザ・福祉」が生まれてもう5年になります。
けれど「ミーツ・ザ・福祉」って、一体なんなんだろう、と思います。

もちろん、対外的には、あるいは一般的な説明としては「障がいがあってもなくても楽しめるフェス」であり「多様なメンバーがともに関わり合いながらつくっていく過程を楽しめる企画」と言うことができます。

間違っていません。けれど、大事な部分を言えている感じがしない気もします。

自己紹介が遅れました。「ミーツ・ザ・福祉」実行委員会藤本遼(ふじもと・りょう)と申します。2016年(準備段階)からこのプロジェクトに関わっています。普段は株式会社ここにあるという会社を経営しながら、地域でさまざまな企画や場、プロジェクトをつくっています。

ぼく自身、2014年から尼崎でいろんなイベントを主催・運営してきました。その経験の中で障害のある人たちのイベント参加、あるいは障害のある人たちとの接点が少ないなと感じたことがきっかけで、この企画に関わるようになりました。

そんな自分なりの「ミーツ・ザ・福祉」の紹介ができればと思います。

メンバーによって切り取り方・語り方・エピソードがそれぞれに異なるのが「ミーツ・ザ・福祉」の素敵なところでもあると思っているので、ぜひ機会があれば他のメンバーの声も聞いてみてください。

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突然ですが、ぼくはヨシタケシンスケさんの本が好きです。なかでも代表作の『りんごかもしれない』はとっても面白いなあと思っていて、何度も読んでいます。

絵もかわいいし、内容も自由で面白いんですよね。

子ども時代に見ていた世界、無限に広がるかのように感じていた世界のことを、少し思い出させてくれるような。そんな気にさせられます。

一方で、大人になるということは、現実を知っていくということでもあり、限界や規則(規律)や常識を集めて自分のものにしていくというプロセスを経ることでもあります。アインシュタインも「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことだ」と言ってましたね。

ぼくたちはそうやって、現実を知りながら(限界を知りながら)、そして、偏見も集めながら大人になっていくわけですが、その結果見えなくなっていくものもあるなあと思います。

大人になってもっとも厄介なのが「それはそういうんもんだろう」というだれかからの言葉であり、自分の中で沸き起こってくる「常識的な」声です。その声に絡めとられてしまうと思考停止になって「まあいいか」となってしまいます。そうして、自分の殻がどんどん強化されて新しいものを受け付けられなくなっていきます。ううむ、大人になるって、難しいですね。

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ぼくは20代前半までロクに障害者と言われる人と付き合ってきませんでした。きっと自分の日常生活の片隅にはいた(小学校に特別支援学級はあったし、高校の頃の親友の彼女はろう者だった)けれど、積極的に関わろうとは思いませんでした。別に関わらなくても自分の人生において、なんの関係もなかった(ように思っていた)のです。

結果として、なんとなく障害者はこわい、障害者は「できない」人だという認識が自分の中で生まれていたように思います。

けれど、ひょんなことから障害者と言われる人たちと関わりはじめると、自分の中の物事の解像度が変わっていきました。

「車椅子はこうやって押せばいいのか」
「ろう者とのコミュニケーションはこういう部分に意識すればいいのか」
「精神的にしんどくなりやすい人のためにこういうツールを用意してはどうか」
「外出できない人でも参加できるようにするにはどうしたらいいのだろう」

そうやって今までとは違う視点で、あるいは解像度で物事を考えられるようになりました。それは、自分の中にある偏見を刷新していく作業でした。自分の中にある常識の塊が少しずつ形を変えていくような、それはちょうどヨシタケさんの本で主人公がりんごをさまざまな可能性として見ていくような、そんな過程でした。

でも、障害者はあくまでも障害者なのかもしれません。りんごが最終的にはりんごであったように。

もちろん、究極的にできないことはあるし、厳然たる障害もあると思います。そして、だからこそ必要な支援があることも事実です。それは、綺麗な言葉だけでは語れないものだろうと思います。けれども、もっと個人として掘り下げていくと、障害とは別のラベルのその人らしさも見えてくるのだと思います。

「ミーツ・ザ・福祉」を通じて出会った車椅子ユーザーのメンバーと一緒に活動や仕事をする機会が増えました。彼は重度の障害なので、移動時にはヘルパーの支援が必要です。でもパソコンワークはめっちゃ早い。というか仕事が早いんです。想定力・構想力もあって、一緒にやっていくのが楽しい。そうして、ともに活動するからこそ見えてくるお互いのクセや進め方、得意や苦手などがわかっていくことがまた楽しいな、と思うのです。

それは、自分の中における障害の理解や認識が変わるということだけではなく、障害があるけれども一個人として存在しているその人のことをもっと解像度高く見つめていくことでもあります。いや、対象者として見つめていくだけではなくて、一緒に汗水垂らしながらなにかを実現していく。そうした関わりの中で、より高い解像度でいろんな人の側面が見えていくということなんだと思います。

りんごも角度を変えて見てみると少しずつ違っているように、人間は角度を変えて見てみるともっと多様な存在として浮かび上がってくる。「ミーツ・ザ・福祉」において可能になるのは、個人の中における多様性が実感として理解されることだと思っています。

とまあ、説明らしい説明をしてきましたが、一旦そんなことは忘れて、ぜひよかったらわたしたちと一緒に面白いイベントをつくっていきませんか、ということで結びにさせていただきます。きっとおもろいはず。今年もたくさんの関わりや出会いがありますように。

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文・藤本遼(ふじもと・りょう)


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