【創作】「宗教を信じる家族と、神様をそんなに信じていない私 (3)いろいろ辛かったけど、生きていたほうがいい
(2)の続き。
中学生のとき、いじめられた。
教室にいる私は、いない人のようだった。クラスメートによって存在を消されていた。
体育の授業で、最初に2人組をつくって準備体操をするのだけど、いつも私だけがあまってしまう。
なにかの行事でグループ分けをすると、私はどのグループにも入れない。
わかりやすく、仲間はずれをされた。
当時、いじめは社会問題になっていた。
いじめを苦に自殺する少年少女がいると、テレビのニュースで知った。
自分だけが辛いわけではないと知った。
ただ、死んでしまうのは……。
いじめがなくなるかどうかは、担任の先生の力量しだい?
中1の担任の男性教諭は、
「授業のほうが休み時間より大事なんだから」
学校に来るように、と電話で家族に言い、私に伝えるように言われたという。
家族は、私の部屋の学習机に置いてあったノートを勝手に見て、いじめられていると知り、私に事実を確認。その後、家族を通じて先生に相談した。
先生に、私が学校に行かなくなったのは、いじめが原因だということは伝わった。
が、ある日の放課後、私1人対クラスメートの女子たちという多勢に無勢な構図で、猛抗議を受けた。
担任の男性教諭が、私がみんなからいじめられていると、彼女たちに話したらしい。〇〇さんは、こんな風に嫌がらせをする、など、かなり具体的に。
私が先生に相談したことを、私の許可もとらずにクラスメートの女子たちに話してしまったのだろうか。
先生、なんでそんなことしたのか。
彼女たちの猛抗議の内容は、
「いじめなんてしてない」
「内申点が下がる」
「高校受験、受からないかもしれない。そうなったらどうしてくれるんだ」
中には、泣いている女子を抱きしめている女子もいた。
1対それ以外。私に反論の機会なんてない。針のむしろだ。鋭い針の先端が、すべて自分に向けられている。
私がみんなに嫌な思いをさせた、ってことになっていたようだった。
でも、話しかけても最低限の言葉しか返ってこなかったり、同じクラスの女子の私への態度が、ほかの女子と違っていたりなど、いじめがあったのは事実。
嫌な気分だったけど、泣いている女子と抱きしめている女子を見て
(こっちが泣きたいんですけど)
と白けた気持ちになったりして、当時、冷静に耐えていたのをおぼえている。
中2になると、怒ると怖くて、生徒から恐れられていた男性の体育の教師が担任になった。
少し嫌がらせをされたりもした。
あるとき、男子が、教室にあった掃除機のホースを私に向かって投げたことがあった。それを先生に言うと、先生はきっちりとその男子をしかってくれて、男子は私に謝った。
中1のときと比べると、学校に行けるようになった。
が、中3のとき、中1のとき同じクラスだった人がかなりいた。
またしても、自分だけがほかの人と違う態度をとられたり、嫌な思いをするようになってしまう。
中3のときの担任は女性で、穏やかな印象の人。けど、中2の担任の先生のような、生徒から怖がられている人ではなく、どちらかというと、なめられている部分もあった。
中3の夏休みが終わり、2学期、学校に行くのをやめた。
深夜に放送されていたアニメを見て、わざと朝、起きられないようにした。
昼夜逆転の生活。
家に引きこもった。
外に出なくなり、外見を気にしなくなった。
いつからか、お風呂にも入らなくなる。自分の布団から出てこなくなり、このまま腐っていけばいいと思っていた。それが3か月ぐらい続いた。
起きて、食事をして、これといって何もしないで、テレビを見るぐらい。日が沈み、夜になると寝る。
久しぶりにお風呂に入った。
でも、学校には行かないままだった。
家族は、変わった私にどう接していいかわからなかったようだ。
当時のテレビでは、学校に行かない生徒は、してはいけないことをしている、不良みたいな言われ方だった。学生は、学校に行くのが普通という認識。
けど、時代が変わると価値観も変わる。2024年のいま、フリースクールがあり、学校に行かなくても勉強ができるようになっている。
家から出なくなったある日、2階のいつも閉められている雨戸と窓を開け、そこから下を見ていた。下には、うちの家と、お隣さんの家の境界の塀がある。
落ちたら死ぬ。死ななくても、意識不明か、後遺症が残るか。あとすごく痛そう。
結局、なにもしないで窓を閉めた。
母は、神様によく拝んでいた。娘を助けてください、と。
が、なにも変わらなかった。私は学校を休み続けた。
中3の3学期、もうすぐ卒業という時期に、私は急に学校に行った。
なんで心変わりをしたのか、かなり過去のことなのでもうおぼえていない。
最後ぐらい行っとこうかな、ぐらいの、たいしたことは考えていなかったのかもしれない。
授業には、ぜんぜん追いつけなかった。
久しぶりに教室に来た私に、クラスメートたちは変わらず、冷たい態度で接した。
隣の席の男子は、私の顔を見るなり、かなりわざとらしく嫌そうな顔をした。
その顔を見た私は、まったく彼に似合っていない茶髪のロン毛を見て、
「ぶっさいくだなぁこいつ」
と、心の中で思いっきり悪口を言って見下した。
3月。中学校を卒業。
校庭の桜が咲いていた。
みんなは友達と別れを惜しんで、名残惜しそうに校庭にいた。
私はさっさと帰った。校庭にいる人たちが視界に入って、少しだけ胸の痛みを感じた。
あれからもう、10年以上、長い時間が過ぎているけど、あの卒業式の日を思いだしてみて、いま、どう思うか。
私もあんな風になりたかった。友達と、別れを惜しんで、思い出話でもしてみたかった。誰かに、いじめから助けてほしかった。教室にいる、ほかの人達と同じように、存在を認めてほしかった。いじめがなければ、学校に行けたのでは。普通に、学校に行きたかった。ちゃんと勉強もしたかった。中学生として、普通に楽しく3年間を過ごしたかった。
とはいえ、過去は変えられない。
神様は、過去を変えられない。
けど、いまの私は、これからの自分の人生をつくっていける。
いまの私は、まあまあ。すごい幸せってほどでもないけど、あの頃に比べたら良いほうだ。
中学を卒業すると、高校で、親友と呼べる人と出会う。
私が生きていて良かったと思えたことのひとつだ。
いまがしんどくても、未来はわからない。生きていて良かったと思えるときが来る。
あの頃、私は、生きていて良かったと思える日が来るまで、とりあえず生きてみようと思っていた。そのうち、そんな日は来ないんじゃないかと思うようにもなった。
実際、死のうとして、してはいけないことまでして、家族をかなり心配させた。
でも、実際に、生きていて良かったと思える日は、来た。
「いつかきっと良いことがある」
あの、誰が言ったかわからない、おまじないみたいな言葉は、どうやら本当にそうらしい。
いろいろと辛かったし、苦しかったけど、生きていたほうがいいと思えた、10代のあの頃の私をほめてあげたい。よく頑張ったねって。
まあ、とりあえず、私が幸せで、まわりにいる人たちも幸せだったら、それでいい。いや、それで十分だ。
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