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すごいと思ってない自分すごい

"すごいね"と言われた時、自分が違うと思っているのなら精神的に孤立する。
そんな気がする。

先日、大学時代の友人の結婚式があった。
同じ学科の友人であり、同じサークルの友人でもあった。
なので式や二次会では大学時の知り合いが多く集まり、同窓会のようでもあった。

卒業以来、数年振りに集まり第一声、あるいは第二声に発せられるのは大抵
「今、何してるの?」だ。
ナンパ的なあれではなく仕事について、だ。

僕はというと仕事を辞めている。
それを言うと発せられるのは
「就職活動中?」だ。
脊髄反射的真っ当な質問だ。

僕はというと年末にワーキングホリデー に行く予定。
それを言うと
「へーすごいね!」

すごいね。
何人の人がミリ秒単位の電気信号のやりとりで脳から無自覚に発せられた言葉を発していて、
何人の人が本当の意味で凄いねと思ったのかはわからない。
どちらにせよ表面上はすごいと褒めてくれている。

行くこと自体はそんなすごいことじゃない。
仕事辞めて、金払えば誰でも行ける。
職責から海外逃亡だ。
逃亡先で何かを得られるか、どれだけ得られるかは分からない。

自分で決めた道についてそんなネガティブでどうする、という感じだし
別に今の選択を悔やんでいるとかは全くないが、
そういうことをパッと思ってしまう。

「へーすごいね。」
と言われた瞬間になぜかすごいと思っていない自分が孤立してしまう気がする。
すごいと思ってない自分、すごいって話じゃない。
自分と相手の考えの決定的な不一致。

「そうでもないよ。」
と返すと、本心ではあるが相手から見たら謙遜してみえるかもしれない。
すごいと思ってない自分、すごいって思っているやつと見られたかもしれない。

いや、こんなこと考えてる時点で心の深部では
すごいと思ってない自分をすごいと思っていない自分をすごいと思ってない自分、すごいと優越感に浸っているのかもしれない。
自戒、自戒。南無南無。

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