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「近視の戦士は夢想する」



「こちら、最新式の魔力増強仕様となっております。色も大きさも豊富に取り揃えておりますので、多くのお客様に──」
「いや、結構だ」
「でしたら、その右隣りはいかがですか?ほんの少しですが魔法の詠唱速度を上昇させる効力が──」
「それも結構」
「そうですか。ではその下はいかがでしょう?厄介な忘却術への抵抗力がわずかに高まり──」
「結構」

 眼鏡を見繕う重戦士の男の声に、次第に苛立ちが混ざっていった。装飾品店の店主の積極性と商売根性は、馴染みの鍛冶屋のそれとは似ても似つかない。
 慣れない圧迫接客に辟易した男は、狭い部屋に自分と店主の二人だけしか居ないことを確かめると、わざと大仰に声を荒げた。

「あぁ!魔導士用の眼鏡しかないのか、この店は!」
「お気に召しませんでしたか。眼鏡といえば後衛の、特に魔導士の皆様の定番装備ですが」

 獣の雄叫び染みた男の声は、並の魔物を怯えて逃げさせる程に激しかった。しかし、相対する飄々とした老紳士には全く効力がなく、その様は男の神経を更に苛立たせた。

「そもそも俺は魔導士ではない!魔法など使えん!」
「おや、失礼しました。体格は良くても鎧を身に着けておられないものですから、てっきり後衛のお客様かと」

 鎧も兜も盾も剣も、男が愛用している装備品は全て修理中だった。布製の服と皮靴だけを纏った今の男の服装は、まだ角兎つのうさぎすらも倒せぬ駆け出しの冒険者と相違ない。
 男は眉間に皺を寄せ、目を細めて店主を睨んでいた。彼の言葉がかんに障ったからだけではない。そうでもしなければ、男の視力では眼前の相手の表情を捉えることができなかった。

「別に度が入っていれば構わない。だが……納得できん!前衛向けの付与はどうした!急所への一撃を狙いやすくなるとか、少しでも腕力が高まるとか──」
「申し訳ございません。そのたぐいの付与を施した眼鏡は、非常に需要が少ないものでして。特に“盾”をお務めの方が戦闘中に掛ける眼鏡は、一般的には作られておりません。兜の中で透鏡レンズの曇りやずれ・・を気にしながら魔物と戦うなど、気が散ることこの上ないでしょう」

 慇懃いんぎん無礼な態度でこそあったが、店主の言葉は真っ当な正論だった。
 近眼の進行を自覚しながらも騙し騙し戦ってきた男は、先日赴いた人喰い花の討伐任務で、遂に自分の限界を悟った。
 人喰い花の対処法は極めて単純だ。まずは前衛の“盾”が注意を引き付け、棘の付いたつるは防具で受け止めてから斬り捨て、酸を放つ棘無しの蔓は距離をとって避ける。その隙を狙い、後衛が魔法で本体を狙い撃つ。魔物退治の常識と言ってもよい。
 ところが、目視で判断できる蔓の二択を男は読み誤り、全身を守る金属製の装備の随所を溶かされた。堅固な造りの重戦士用装備だけあって傷は負わなかったが、白い煙を上げながら弱々しく溶ける装備を目の当たりにし、男は自身の衰えを改めて痛感した。
 だとしても、視力の問題さえ解決すれば、まだ自分は今まで通り戦える……。一縷いちるの可能性を、男は眼鏡に賭けようとしていた。

「深い経緯はお聞きしませんが、念のためご確認させて下さい。戦いによって落ちた視力ではないのですね?」
「……ああ、怪我でも呪いでもない。自然に低下した視力を戻せる術師はいない。不本意だが頼るしかないんだ、眼鏡にな」

 近眼の理由には、確かな心当たりがあった。
 幼い頃から、男は就寝前の読書が好きだった。目が悪くなるから止めるよう母にたしなめられながらも、男は蝋燭の先端が放つ微かな灯りの下で、絵物語に記された騎士の活躍に心躍らせた。三十年余りが経過した今でも、その習慣は続いている。昨晩も間借りしている宿の枕元で、男は買ったばかりの戯曲集を読み進めていた。演目は勿論、騎士を主人公に据えた英雄譚だった。
 数多の物語に憧れた結果、男は甲冑に身を包む重戦士となった。王宮付きの騎士となる夢こそ叶わなかったが、仲間を守りながら魔物と戦う日々に、確かな充足感を覚えていた。
 徐々に遠方が見え辛くなっている自覚はあった。しかし、たとえ構えた剣の切先が三重に見えようと、夜空に浮かぶ月の形さえ判らなくなろうと、幼い自分に歩むべき道を選ばせた習慣を止める選択肢は、男の中に存在しなかった。

「眼鏡を掛けて、今までのような戦いを続けようと?」
「その通りだ」

 店主の問いに、男は強くうなずいた。尚も強張こわばっている面構えは、男の心中を見事に表していた。
 強情な男に業を煮やした店主は、やや語気を強めて持説を述べた。

「……改めて申し上げますと、前衛をお務めになられる方、特に“盾”となる方に眼鏡は不向きです。すなわち、結果的に裸眼視力が生死に直結すると言っても過言ではありません。ご自身の健康状態をお仲間の方々に隠していたようなら、築き上げた信用さえ失うでしょう。よろしいですか、もしも視力が原因で人命を危険に晒したのでしたら──“盾”の役目を考え直すべきかと存じます」

 転職。引退。戦死。目を背けていた数々の言葉が脳裏をよぎり、男の背筋は凍った。店内に沈黙が流れ、荒い呼吸の音が空気を震わせる。
 やがて、淀んだ空気を割いて放たれたのは、苦し紛れの一言だった。

「それは……できない」

 強張らせた顔に反して、男の声は微かに震えていた。

「全身を鎧で固め、皆を守りながら剣を振るう……!それが、それだけが俺の生き方だ!戦い方だ!」

 心の底から放たれた叫びが、陳列された眼鏡の縁を震わせた。
 溜め込んでいた言葉を吐き出し、少しだけ冷静さを取り戻した男は、初めて甲冑を身に着けた瞬間を思い返していた。兜の視界が悪くても、脛当てが少々窮屈でも、憧れの姿に一歩近付けた時の悦びに勝るものはない。身体に降り掛かった圧倒的な重量でさえも、高揚感へと変わって男の心を支配した。翌日に全身の筋肉が泣き叫び起き上がることさえできず、一日中枕元で本を読んで過ごしたのも、今となっては良い思い出となっていた。
 男の顔の強張りが少しほぐれたことを確認し、店主は幼子を諭すような調子で語り出した。

「……前衛向きの能力付与は、決して不可能ではないのです。時には軽装の剣士様からのご注文も承りますので。ご希望される具体的な効果がお決まりでしたら、当店専属の術師へ特別な依頼をいたします。特注品となりますので、それなりのお値段はご了承ください。物理的な限界はありますが、兜に極力干渉しないような形造りも承ります。……ですが、今一度よくよくお考えください。眼鏡を掛けた偉大な騎士の逸話など、聞いたことがありますか?」
「──それは──」

 反論の言葉など考え付かず、ただ男は黙って唾を飲み込んだ。店主の指摘通り、古今東西の騎士物語を読み漁った男にとっても、そのような物語には覚えがなかった。彼らの容姿の描写といえば、眉目秀麗か筋骨隆々、その姿を甲冑で覆い、雄々しい馬にまたがり──。彼らを飾り立てる要素に、眼鏡は必要とされていなかった。

「どうか、どうかご理解ください。たった数分話しただけのお相手だとしても、私はただ一人のお客様にも死なれてほしくないのですよ」

 懇願とともに店主が浮かべた哀れみの表情は、男の瞳に霞んで映った。
 ──もう、潮時だというのか。
 店主に悟られないようにゆっくりと鼻をすすると、男は陳列された眼鏡を眺めながら言った。

「……無理を言ってすまなかった。戦闘には持ち出さない、日常的に使うもので構わないから、一つ買わせてもらう」
「おや、当店の眼鏡でよろしいのですか?魔法をお使いになられないのでしたら、どの商品の効果も宝の持ち腐れに──」
「迷惑を掛けた詫びだ。無論、前衛用の付与でなくても構わない。御守りだと思って使わせて貰う」
「……承知しました。ご要望がおありでしたら、何なりと」

 男は初歩的な魔法すら使えない。それでも、一つだけ気に留めていた付与効果があった。

「先程話していた詠唱を速める効果とやら、もう少し詳しく聞かせてくれ」
「ええ。劇的な効果を発揮するわけではありませんが、咄嗟に攻撃系の魔法を唱えたい時、瞬きほどの時間を短縮できるかと。少しだけ詠唱を速めるとは申しましたが、正しくは術者の脳の言語野をわずかに活性化させ、詠唱の速度に影響を与えるそうで──」
「わかった。試着しても構わないか」
「勿論ですとも」

 まだ透鏡レンズが嵌められていない試着用の銀縁眼鏡を、男は店主から受け取り、恐る恐る掛けて姿見を眺めた。人生で初めて眼鏡を掛けた自分の姿は、男の細い瞳に、どこか気恥ずかしくて慣れないものとして映った。
 縁に施されている付加効果──詠唱速度の変化は、魔法の使えぬ男にとって確かめようがない。しかしこの瞬間、男の脳内に、確かに閃きが走った。

「……気に入った。これにしよう」
「ありがとうございます。お眼鏡に適った商品のようで何よりです」

 店主が放った他愛のない冗談に、男は微笑で返答した。そのような余裕がありながらも、男の心中には僅かに焦りが芽生えていた。一刻も早くこの眼鏡を手に入れ、そして──。

「それでは、これから度を合わせていきますので、もう少々お時間を──」


 完成した眼鏡を掛けたまま急ぎ足で宿に戻った男は、市場で買った本を窓辺の机に置いて広げた。表紙の装丁こそ煌びやかであったが、その中身は完全な白紙だった。
 穏やかな夜風でなびく大鷲の羽根を、男は真っさらな本に走らせていった。

「眼鏡を掛けた偉大な騎士の逸話など、聞いたことがありますか?」

 昼間の言葉が蘇る。
 礼節を欠いた態度をとった自分の身体を気遣い、安易に商品を押し付けようともせず、本気で命の心配をした店主に、男は心底敬服していた。そして、何より感謝に堪えなかったことは、彼の問い掛けが与えてくれた閃きだった。
 ──物語の中くらい、眼鏡を掛けた騎士の物語が居ても良いのではないか。
 湧き上がった執筆意欲には、眼鏡の付与効果が影響しているのかもしれないと男は考えた。その実はどうあれ、物語を綴りたくて仕方がない衝動に偽りはなかった。自分は眼鏡を掛けた偉大な騎士になれなかったが、そんな異色の騎士の英雄譚を思い描き、紡ぎ出すことはできるはずだ、と。
 夢想は具体的な言語化を伴って綴られ、白紙が徐々に黒く染められていく。たちまち見開きを文字で埋めると、男は小休止とばかりに、頬杖を突きながら窓の外を見上げた。
 眼鏡越しに男の瞳に映った月は、確かな輪郭を描いていた。


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