息切れを甘くみないで!
こんばんは。フリーランス理学療法士の nozomi です。
これは自分の note なのだから、書きたいことを書く。言いたいことを言う!気を使う必要なんてない。と今、数回の下書き保存を経て想いました。誰に気を使っているのか。全くやれやれです ٩( ᐛ )و
今回綴りたい想いは、タイトルの通り。
"息切れ" を甘くみていませんか?
動けば息は切れる。階段の昇り降りでさえ、息切れはする。日常生活で私達が身近に経験することで、珍しいことではない。
でも、これに病気が関係してきたらどうだろうか。
息切れがするということは、身体に酸素が足りない状態である。酸素は身体の隅々だけではなく、私達が生命を維持する為に最も重要な脳にまで届く。
ということは、酸素が足りない状態とは、とても危険な状態といえる。
息切れが顕著にみられる病気として、肺の病気や心臓の病気が挙げられる。(他にもあるけど)
高齢になるほど、肺や心臓の病気になる確率は高くなる。そりゃ何十年(90歳なら90年)も使ってきたんだもの。ある意味、自然なこと。
だから、病名は付けられていなくても、既往歴にその病名の記載がなくても、息切れがあるかどうかを把握するのは重要なことだと私は思う。
息が切れることは、けっして「当たり前」ではない。
そして、息切れに慣れてしまってはいけない。
日々の活動でそう感じます。
高齢になると「このくらいは仕方ない」とか息切れしていることに気づいていないとか。「動けば息は切れるさ」的なたくましい感じ。だとしたら、それは周りが放っておいてはいけないことだ。これは医療・介護に携わる人だけではなく、皆さん自身のこと、家族のこと、とにかく全ての人。
顔色が悪いとか、苦しそうとか、それは専門職ではなくても感じられることだと思う。もちろん、専門職ならばなお敏感に感じとるべきところ。これはリスク管理の一つであるから。
ここに記載します。息を切らしてまで(身体を危険な状態にさらしてまで)やらなければいけないこと?と感じた出来事を。
1.歩くと疲れる、歩かなくても普段から疲労感を訴える方への歩行練習
2.筋力維持のため負荷をかけた筋力トレーニング(回数多め)
3.出来ることは一人でしてもらおう、自立のため、ADL維持のためという理由で、一人で靴を履いてもらう。一人で服を着てもらう。
あくまでも私個人の考えです。
1.歩かなくても疲労感の訴えがあるのなら、それはすごく問題!病気が隠れている可能性もあるし、まずその治療の経過はどうなのか。そして、わざわざ疲れさせる必要はあるのか…筋力・体力の維持は必要ですが、優先すべきことでしょうか。理想を押し付けてはいけないと思います。病気が悪化してしまう可能性もあります。
2.苦しみながら筋トレって…何を目指して…(^_^;) あなたは苦しみながら筋トレしたいんですか?そして、苦しんでいるように見えないから別にいいじゃんは違う。高齢者は血圧にも注意なので、血圧管理も酸素飽和度の測定も不可欠です。それで負荷の量や回数を決める目安にすればいいし、測って異常なしならそれに越したことはないですよね。
3.自立の意味を履き違えている気がします。靴を履く行為で全力を使った結果、その後の歩行で苦しくなってふらついたり転倒したら?本末転倒。手伝い過ぎもよくないけど、危険にさらしてまで無理させる必要はない。
つらつらと思うまま書いたら、まとまりがなくなった ٩( ᐛ )و
とにかく、息切れを甘くみないこと!ここ。
パルスオキシメータで、酸素飽和度を測定しましょう!私達の見えない部分まで数値化してくれます。
異常というか「普通じゃないかも…」と気づく感覚を鍛えよう。
これは特別なことではないと思う(2回目)。いや、もしかして特別なことなのかな?医療・介護に携わっているから思うこと?苦しそうだとか、顔色が良くないかもとか、疲れているみたい…とか。感じるのって難しいのかな?
難しいとしても、私は伝えていきたい。そう思うのは、祖母との別れがあるから。その話は次回、書きたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました^^
ぜひ感想やご意見を聞かせてください。
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