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なぜ「まっちゃまち」か?(その1)

松屋町とは

 松屋町とは、大阪市中央区松屋町、松屋町住吉の周辺をさす。大阪メトロでは心斎橋から長堀鶴見緑地線で東へ2駅である。長堀通(国道308号)と松屋町筋の交差点付近でもある。人形・玩具・駄菓子・花火などの卸問屋街として知られている。モリシゲ、増村、福板屋(閉店)などの人形店は有名であろう。
 しかし、松屋町は謎だらけの町である。

第1の謎 松屋町はいつできたか

 一般的には、大坂夏の陣の後、大坂の城下町復興のため、瓦職人が集まってできた町だとされている。瓦職人が人形の製造も手がけて、現在につながったという。南隣には瓦屋町があり、もっともなように思われる。
 しかし、大坂城には既に松屋町口が存在し、松屋町はもっと前から存在していたはずである。おそらく、大坂城築城の頃か、その前の石山本願寺の頃にできた町ではないかと思う。

第2の謎 松屋とは

 松屋町の「松屋」とは、いったい何なのか。石山本願寺の寺内町か、大坂城の城下町にあった商人であろうと推測されるが、まったくその痕跡が見当たらない。堺にも松屋町(まつやちょう)があるが、関係があるのだろうか。
 大坂の陣で、「松屋」が幕府方についたのか、豊臣方についたのか、それすらもわからない。いずれにしても、名前しか残っていない幻の商人である。

第3の謎 なぜ「まっちゃまち」か

 松屋町の正式名称は「まつやまち」であるが、地元でだれもそう呼ぶことはない。正確に発音すれば、必ず「まっちゃまち、やで。」と指摘される。
別に牛丼屋街だと思われたくないとか、抹茶が好きだからというわけでもない。大阪人の発音の仕方が原因だと言われるが、それは疑問である。同じ文字の松山は決して「まっちゃま」とは言わない。それは、自然発生の現象ではなく、意図的なものを感じるからだ。
  おそらくは、「松屋」を軽蔑して呼んだか、親しみをこめて呼んだかの、どちらかであろう。ここでは、前者の説に従って、仮説を立ててみたい。

一つの仮説

 「松屋」は、大坂の陣で幕府に協力し、その功績で江戸に呼ばれることとなる。大坂商人としては、面白くないし、「松屋」の名など口にもしたくない。「まっちゃまち」はそうして生まれたのではないかと思う。役人の前では「まつやまち」、町人の間では茶化して「まっちゃまち」。町人は、行政区画としての松屋町と、コミュニティとしてのまっちゃまちを使い分けていたのであろう。だから、どちらの読み方も正しいのであり、まっちゃまちが正式名称になることも決してないのである。
 「まっちゃまち、やで。」と言う大阪人の言葉には、「お上の言いなりにならんで。」という大阪商人の魂を感じるのである。
 私の父方の先祖は、幕府方として、吉村寅太郎らの天誅組の変の平定にも加わっており、私も本来は幕府側の人間なのである。しかし、私は戸籍上の生まれは大阪ではないものの、母の産休の間は松屋町にいたから、実質的に松屋町の生まれでもある。松屋町のDNAが、大坂商人と共鳴しているのかもしれない。

まとめ

 ここでは、戦国時代の松屋町について考察したが、のちほど近代から現代の松屋町について述べるつもりである。ここでいったん筆を置くこととする。




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