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海外生活と日本生活との本質的な違いについて、生活当初驚いたことを振り返りつつ考えてみる

こんにちは。なっつんです。最近私の住むカナダの地域でも暑い日が続いています(個人的には年間通して寒い日がほとんどなのでうれしいです)。外にいるのが楽しい季節です(冬になると当たり前のように外気が-20〜-30以下になるのでそれでも外に出て楽しいと言うにはなかなかの勇気がいります)。今の時期、キャンプなどのアウトドアがはかどりますね。ちなみに画像はこの前湖にSUP(スタンドアップパドルボード)しに行った時に撮った写真です。ウユニ塩湖ばりに反射していました。

暑い日が続いているのがうれしすぎて前置きが長くなりました。さて今回は、実際に海外暮らしをしている人間として最初のほうで感じたことをまとめながら、海外に出てみて驚いたことについて考えてみたいと思います。すでに同じく海外で生活されたことのある方、これから挑戦してみたいなと思っている方、全く海外興味ないわという方までどなたでもお楽しみいただければと思います。


正直最初はそんなに驚かなかった

私がカナダで大学生活を始めてからしばらくしてまず思ったことは、「あれ、思ってたよりそんなに変わらないな」でした。このままではここで記事が終了してしまいますし、ちょっと誤解と混乱を招きそうなので説明を加えていきましょう。

もちろんコミュニケーションに使われる言語は日本語から英語に変わりました。日本で英語を勉強していた時に知らなかった英語表現もたくさん現地に来てから学びました。というかカナダに来てから約4年経った今でさえ、Netflixで海外ドラマを観てても知らない表現はたくさん出てくるので現在進行形で学んでいますし、きっと一生学び続けるでしょう。これは英語に限らず何かを学ぶことは死ぬまで続くと私は思っています

来たばかりの頃に学んだ表現の例で言うと、「(明日のキャンプ行けるかどうかまだわかんないから)行けたら連絡するわー」を友達に伝える時は"I will let you know if I can make it"と言い、「連絡する、相手に知らせる」という意味で"let you know"と言ったり。(ものすごい頻度で使います、これすらも日本にいる時知らなかったんかいと自分にツッコミたくなります)。

でも、言語が英語に切り替わることなんて勿論知ってたし(だから日本で英語を勉強していたわけだし)、自分の英語は完璧ではなく知らない表現がまだまだあることもすでに日本にいる時からわかっていたし、新しい表現に出会うたびにそんなに驚くことはなくただひたすら自分の語彙力を増やしていったのでした。発音や表現の言い回しも同じですね。やっぱり来たばかりの頃の方が、「それ発音の仕方間違ってるよ」とか、「そういう言い回しは自然じゃないよ」とかもよくカナダ人の友人たちと一緒に遊んでいる時に言われたなと今思い出してきました(言ってくれるだけありがたいですね)。

言語は違えど本質的な物事の進め方は一緒

大学の勉強についても正直そこまで驚きませんでした。カナダの大学しか行っていないので他の国の大学がどのようなものかはわかりませんが、カナダの大学では課題は基本的にエッセイが多いです(もちろん会計や統計など数字を多く扱う授業ではエッセイではなく問題を解いたりすることが多かったです)。

エッセイではAPA フォーマットという(これが結構細かくて、序論・本論・結論という構成に必ずしなきゃいけないとか、文間はどれくらいスペースをあけるとか、フォントは何を使うとか、フォントの大きさはどれくらいとか、エッセイ内で引用をした場合はどのように引用元を記載するかとかなどなど)エッセイ用のルールを守りながら自分の意見を述べることを求められます。

その新しくて慣れないAPAフォーマットというルールを守ること自体には最初は苦労しましたが、もっと本質的な自分の意見を述べること自体については、特に新しいことではなく、むしろ楽しみながらできました。日本の大学でも課題でレポートはたくさん書いたし、新卒で入ったコンサル時代では「自分の意見を述べないなら時間の無駄だから会議には出るな」とも言われていたからかもしれません。とはいえ、日本でIELTSという英語のテストを初めて受けた時のライティングの問題が300文字で考えを述べることに苦労していたのが、大学では2000文字〜3000文字になったので、そこはもう英語でそれくらい文章を書けるようになるまでは多少時間と慣れは必要でした。

白衣は着てないしパソコンで作業してましたがイメージはこんな感じですね

授業と課題とバイト(大学の図書館でフロントデスクのバイトと、大学のSNS管理のバイトをやっていました)の両立、スケジュールとタスク管理も、感覚的には日本で会社員をやっていた時に培ったスキルをそのまま使い回しできた気がします。小さなタスクになるべく切って、他のプロジェクトのスケジュールと照らし合わせながら優先順位をつけて、優先順位の高いものから一つずつつぶしていく。もちろん大学で英語で学ぶこと自体は新しかったし、英語で大学のInstagramの中の人として更新する作業も新しかったですが、大枠の部分というかそれの進め方については特に新しいことではなく、今までの知識を使ってなんとかできたかなと思います。

日本の中では一番多様性があると思う東京と通じること

対人関係にしても、良い人もいれば少し意地悪でめんどくさい人もいる。でもそれは他県から上京してきた人たちで作り上げられた東京(もちろん中には生粋の江戸っ子もいると思いますが)でも一緒。結局のところみんな生まれ育った環境が違うのだから考えや価値観は合わなくて当たり前。生まれ育った国が違うならなおさら。お互いの違いを理解した上で、その違いを尊重しつつ上手く共存していくしかない。私はカナダに来る前の時点でこう考えていたのでバラエティ溢れるカナダ人の友人たちとの交友関係においても、正直あまり驚きはありませんでした(もう一度言いますが、知らない英語の会話表現の発見はたくさんありました)。

白人の子どもに「コロナ」と言われてから自分事化できた人種という根深いテーマ

では何に一番驚いたのか。正直これがカナダに来てから一番驚いたことですね。それはある日突然起こりました。2020年、まだコロナになって間もない頃(私が住んでいる地域ではロックダウンになることはなく、自由に外出はできました)、私が自転車で近くの公園の前を通り過ぎた時に、たまたまその公園で遊んでいた白人の子ども(多分小学校低学年くらい)の一人が私に向かって「コロナ」と叫びました。そもそも私は自転車に乗っていたので、そのまま何も反応せずに通り過ぎました。が、ショックと驚きが強かったです。

日本で日本人として生まれ、日本人として生活をしているとまず自分の肌の色について考える機会はほぼありません。総務省が出しているデータによると、2020年の日本での総人口における外国人割合は2.2%だそうです。そうです、日本に住んでいる人の約98%が日本人、肌の色は黒くも白くもなく薄橙のような色で、黒髪、目の色は黒か茶色ということになります。肌の色や目の色は他人と違って当たり前、英語以外の言語も飛び交いまくる移民国家であるカナダとは真反対です。そんな日本人だらけの日本の中でおそらくまだ地方と比べれば多様性があると言える東京で人生の大半を過ごし、性格などの多様性についてはある程度理解しているつもりだった私も自分の肌の色や、自分がアジア人であるということについて考えたことは、一度もありませんでした。

私に向かって「コロナ」と叫んだ子は白人で、シンプルに私とは肌の色が違いました。その子はこれから先、社会に出て行くにつれて何を他人に言ったら失礼なのかなど色々学んでいくのでしょうが(というかこれからの社会のために切実に学んでいってほしい)、きっとそのコロナという言葉を言い放った瞬間は、別に私を傷つけたいとかではなく(小学生ぐらいだったので心底そうであることを祈りたい)「アジア人=中国人=中国から発生した病気」のような思考に至ったのではないかと思います。

日本にいた時は自分の肌の色について考えたことは一度もありませんでした

この「アジア人=人口多いしみんなどうせ中国人だろと決めつけちゃう問題」は当のアジア人以外、白人に限らず他の人種にも漏れなく起こることもカナダに来てから学びました。ちなみに人間とは時にひどいもので、アルゼンチン人の友人から教えてもらったのは、これの中南米版は「ヒスパニック=みんなどうせメキシコ人だろと決めつけちゃう問題」とのことです。例え中南米のチリやアルゼンチンといった国出身であったとしても、他の人種からはメキシコ人だと思われる率が高いとのこと。先ほどカナダは移民国家と書きましたが、それでも白人が多数派なのは確か(日本の日本人率98%と比べたら低いですが)。アジア人含めて他の人種はどうしても少数派のため、白人ではないというだけで時々ちょっと大変な思いをするのは避けて通れない事実かつ(特に白人の人たちにとっては勝手に加害者にされてしまう事案なので)とてもデリケートな話題だったりします。

日本にいた時に人種差別や人種問題と聞くと、どうしても真っ先にアメリカが浮かび、「また黒人が白人に対して権利を主張している」と対岸の火事のごとく(本当にお恥ずかしながら)考えていました。そして今回自身がその火事が起きている対岸側に当事者としてやってきたことで、ようやく自分事化できるようになったわけですね。

ただ言いたいのは、もうカナダの同じ街に約4年住んでいますが、露骨に人種差別されたのはこの一件だけです。カナダに住み始めてから最初の頃に起きたこの一件がパンチ効きすぎてて他の出来事が思い出せないだけかもしれませんが、他には特に思い当たりません。私は今住んでいる街しか住んだことがないため、バンクーバーやモントリオール、トロントなどの大都市に行くとまだ事情が異なるかもしれません。ちなみにこれらの都市に観光では行ったことがありますが、滞在中、アジア人だから不当な扱いを受けたという経験はありません。(注:モントリオールでフランス語が喋れないから不当な扱いを受けたことはありますがまたそれは別の機会に)

一方隣国のアメリカは観光でしか行ったことがなく住んだことがないため、断言はできないですが何かとカナダに比べてアメリカの方が人種問題が常に起きてそうだなとも感じます。アメリカ在住の日本人に限らず他の国に住んでいらっしゃる日本人の方々、なんなら日本在住の方でも意見が気になるところですね。コメントお待ちしております。では今日はこのへんで。

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